終章 八王子編 黄昏の苦悩

仕事は上々だった。

親方にはなかなか筋が良いと褒められ、追い出されることもなさそうだった。

相変わらず黄昏は昼間はどこかに出かけているようだったが、親方がそれに何かいう事はなかった。


それが私には不思議でしょうがなかったが私がそれに口出しする事は憚られた。

そしてあの日以降私は毎夜石榴の寝室に通うようになった。

交わす言葉は他愛のないものだった。

石榴はそのたびに楽しそうにしているので私もいい気持ちだった。

そして意識してか石榴の口から黄昏の事が出ることはなかった。


ある時私は親方に頼まれ材料を買うために街へ出ていた。

言われたものを買い店へ戻ろうとしたところそれを見てしまった。

黄昏が他の店で働いていたのだ。

せわしなく動く黄昏は仕事に夢中で私のことには気づいていないようだった。

ただその一生懸命な様子が私にははじめて見る姿だったのでそれがとても気を引いた。


黄昏は客を送り出し中へ戻ろうとしたところずっと見つめていた私に気づいた。

その目は驚きに大きく見開いている。

そして観念したように笑った。



「昼間店に居ないのはそういうことだったのか」


黄昏は少しの時間休憩を貰い、私達は近くの石段に座り話している。


「ばれちゃしょうがないな。まあそういうことだ」


「なぜだ?」


「石榴のため…なんて言ったらあいつに怒られそうだな。

だがこうするしかしょうがなかったんだ」


そして黄昏は語りだした。


「あいつの病気を治すためあらゆる医者に掛かった。

だがどの医者も首を横に振るばかり。俺はそんなの信じねえ!

だからひたすらあいつが良くなるようにいい薬を買って飲ませてきた。

俺んちだってそんなに金がある方じゃねえ…。

だからその分こうして俺が働いて稼ぐしかなかった。

全ては石榴のためなんだ。あいつに治って欲しいからなんだよ…」


黄昏の苦渋の告白。

それはなんとも絶望的なものだった。

そしてまさかあの私が訪れるたびにうれしそうに笑ってくれるあの娘が…。

石榴がそのような病魔に巣食われていたとは。

私にはとても信じられなかった。

黙ったままの私に黄昏は言う。


「なあ次郎。お前は分かるよな、分かってくれるだろう。

石榴は絶対死なない、死なせない。

だから俺のことは止めないでくれ。頼む」


私に止められるわけがない。

このような強い思いを持った者を私ごときが止められるわけがなかった。

だから私は仕事に戻る黄昏をただ見送ることしか出来なかった。



その日は沈んだ気持ちで石榴の部屋へ向かった。

どのような顔をして行けばいいのだろう。

しかし自分は仮面で顔の表情が見られることもないのだから気にすることはないことに気づく。

そして部屋に入る。

石榴は私に気づくと体を起こそうとする。

いつものように上体を起こす手伝いをして傍に座る。

石榴は私の顔を見ると開口一番言った。


「次郎。元気がないようだけどどうしたの?」


「え……」


私はひどく動揺した。

すると石榴は私の様子に気づいてか、はあっとため息をついた。


「そんなの顔を見れば分かるわよ、次郎ってすっごい分かりやすいんだから。

そんな仮面で隠し通せると思ってたの?」


「そ…そうか」


なんと言えばいいのだろう。


「大方、黄昏に何か言われたんでしょう」


「そういうわけでは…」


「私の事…聞いたんでしょう」


心臓が一段と激しく波打つ。

こうまで意表をついたことを言われてはもう言い逃れることなど無理だろう。


「ああ」


「やっぱりね。もう、次郎がそんなに気にすることないのに…。

そんな態度取られちゃこっちがいい気分しないわよ」


「すまない」


石榴は大仰に肩をすくめる。


「自分でも分かってるのよ、もう私の命はそんなに長くないって。

私は別にいいのに…。

いっそこのまま死んでしまえば黄昏にもお父さんにも迷惑掛けないで済む…。

だから…」


胸に突き刺さる想いだった。

まさかこの娘はいつもは明るく振舞っているというのに胸の内ではこのような思いを秘めていたとは…。

その苦痛を考えるととても耐えられない。


「あの子、他の店で働いてるんでしょ」


もう驚くこともない。この娘には全てお見通しなのだ。

だから後はもうその推測が当たりであると伝え安心させる事にした。


「石榴。君になら黄昏の気持ちが分かるだろう。彼を責めないでくれ」


「責めるつもりなんてないわ。でもね、私が…辛いの。

あの子が私のことで苦しむのが耐えられないの」


始めて見る石榴の苦悩。石榴はこんなにも苦しんでいたのだ。


「石榴、君がそんな弱気でどうするんだ。

黄昏があんなに君の回復を望んでいるのだから。

君もそのように信じなければいけないだろう?」


ただ黄昏の思いを代弁したかっただけだった。


「あなたは私の気持ちも知らずに…。いい加減な励ましをいうのはやめて!」


それがどれだけ石榴の心を抉る言葉であったか考えもせずに…。

私に意見を言う資格などあるわけがないというのに。


「……………」


石榴の眸には涙が溜まっていた。

きっといままで気持ちを伝えることも出来ずずっと胸に秘めてきたのだろう。

そしてそれは私の言によって爆発してしまった。


「次郎…怒鳴ってしまってごめんなさい…でももう…駄目よ私」


そうして声を上げて泣いた。

私は目の前で心の悲痛を叫ぶ少女をただ見つめていた。

その痛みが少しでも和らげばいいと願い共に享受した。

やがて嗚咽は治まっていき、少女は私に言った。


「やっとこのときが来たのよ。やっとずっと望んでたこのときが」


そうして立ち上がろうとする。

しかし足元がふらつき倒れそうになり、慌てて支えた。


「次郎。この先私がすること黙って隣で見ていてくれる?」


私はただ黙って頷いた。

あとは石榴の望むままに動いた。

石榴を支え家を出る。


誰にも見つからないように注意を払ったが不思議なことにこの家には誰の気配もなかった。

外は黄昏時も過ぎ薄闇に覆われていた。

注意しなければ周りのものは見えにくい。

不思議と辺りに人の姿はなく、道に佇むのは私と石榴だけであった。


「このまま川へ向かって」


そして私は石榴を支えたまま川へと向かっていく。

川はこの町の中心を通る大河だ。

町を支える人々の憩いの場でもある。

その畔へとたどり着いた。


「ありがとう…次郎。もうここまででいいわ」


そう言って石榴は私から身を離す。

じっと川を眺める石榴。

今石榴は何を考えているのだろうか、私には想像するのは難しかった。


「次郎。私あなたといたこの数日すごく楽しかった。

こんなにうれしい気持ちになったのは久しぶり。

私は…あなたに始めて会ったとき、そのときにもう決めていたんだと思う。

本当にごめんね、あなたにばかりこんな役を押し付けて」


「そんな事はない。私こそ君に何も出来ずに本当に悔しい。

私にも何か出来ることがあればよかった」


「違うよ。次郎は私にたくさんの事してくれたんだよ。

一緒に話をしてくれた。いつも隣にいてくれた。

私は次郎にたくさん助けられたんだよ。だからそんな風に思わないで」


そうなのか。それでも私には何も出来なかったように思う。


「ねえ次郎。最後に一つお願いしてもいい?」


「なんだ?」


「次郎の素顔が見たいな」


えらくつまらないものを見たがるんだと思った。


「そんなに面白いものではないと思うぞ」


「でも、見たい」


そして石榴は私の頬に両手を添えた。優しい手。


「好きにするがいい」


にっこりと笑う石榴。

その手は仮面に掛かりゆっくりと外されていく。


顔を覆うものがなくなる。

素の目で石榴を見るのは初めてだった。

いつもと違い視界が広く石榴の全身を見渡せた。


「優しい目…」


そう言って石榴は私の目をじっと覗き込む。

それが随分長く続いた。

そして唐突に石榴は私の頭を抱いた。

頭上から声がする。


「次郎…私はあなたに言わなければいけないことがあるの。

それは辛くて長い話だけど聞いてくれるかな?」


それは今までに聞いた事のない優しい声だった。

石榴が何を言いたいのか皆目見当は付かなかったが聞かない理由もない。


「ああ…」


そして石榴は語る。


「あの子、黄昏はこの後この街を出て行くわ。

そしてどこか遠くの村に住むようになるの。

そこであの子はその村の娘と結ばれてやがて双子の姉弟を儲ける。

その双子はとても仲がいいの、私と黄昏みたいに。

でもその子達を引き離そうとする者がいるの。

そのせいでその子達はすれ違って大きな間違いを起こしてしまう。

だから次郎。あなたにお願いしたいの。

その子達を守ってあげて、それが私の切なる願い」


石榴の言葉に私はただ驚きを隠せない。

これは本当のことなのだろうか。

このような詳細まで石榴には分かってしまうのだろうか。


「やっぱりこんな事言っても信じないよね」


石榴は諦めたように言う。


「今更何を言われたところで驚きは…するが、信じないことはない」


「本当?」


石榴の驚きの様子が伝わる。


「君の言う事は何故か説得力があるからな」


「そっかぁ…」


そう言って石榴は気を和らげる。

息を深く吐く様子が伝わる。


「やっぱり、次郎でよかった」


そして石榴は私から身を離す。

とうとう来たようだ。


「じゃあ、次郎。もう行くね」


そしてもう未練は何もないかのように軽やかな足取りで川へと向かっていく。


「石榴、先ほど願い、しかと受け止めた」


「…え?」


振り返る石榴。


「私は君の願いを聞こう。だから安心してくれ」


「本当に?」


石榴はとても驚いた表情をしている。


「ああ、これは約束だ」


そういうと石榴の眸からまた涙がこぼれた。

だが今度は口元が笑っている。


「うん…約束…約束だよ」


石榴の足が水に触れ、段々と石榴の体が飲まれていく。

石榴は唄を唄っていた。


「あしびきの秋の紅葉の儚さは」


唄っているうちにも石榴の体は半身ほど水に浸かっていた。


「黄昏の日に紅に散る」


石榴は血を吐き、水を紅く染めた。


その身を深く深く川底に沈める。




「分かっているんだ。お前が悪いわけじゃない。だが…俺は…」


それから何日もしないうちに黄昏は都を出て行った。

石榴の言ったとおりだった。

だから黙って見送った。


数年経ち黄昏から知らせが届いた。

とある村にて今は妻と共に静かに暮らしているという。

そろそろ私も行くことにしよう…。

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