四章 真霧編 そして私は神となる
「ご苦労様」
湖の岸で待っていた男へと声をかける。
「もういいのか?」
「ええ」
何故この男がここにいるのか。
この男は私をここまで運んでくれたのだ。
一体何を考えているのか分からなかった。
だが私にとっては都合がよかったので協力してもらう事にした。
暁に呼び止められた後の事だった。
この男、八王子は突然やってきた。
私を送った後、暁も神社の石段を上るのに気づいて後をつけたらしいわ。
心配してのことだったらしいけど、気味の悪い男。
この男は暁に関してはまた違った感情を抱いているみたいだけど、一体なんだというのかしら。
まあそれは私にはどうだっていい事ね。
八王子は夜に待っているとだけ言い、その場を去っていった。
暁も寝つき。神社が寝静まった頃。
護衛の目を盗んで私は神社の扉へと向かった。
閂を外し外へ出ると、八王子がそこにいた。
「では行こう」
小舟に乗り込むと八王子が漕ぎ出す。
遠のく屋敷の全景。
辺りは霧に包まれ、月明かりもない。
そんな中でこの男はどうして進む事が出来るのだろうか。
「私は随分と長い事暗闇にいたものでな。夜目が利くんだよ」
「そう。別に聞いてないけど」
そっけない言葉を返す。
八王子は気にした様子はない。
もう慣れたのかしらね。
「あと、これだけは言っておこう」
八王子の顔を見る。
随分と真剣な表情をしていた。
「君を送り届けたら私はこの村を去る」
その言葉に少しだけ残念な気持ちがした。
何故そんな風に思うのかは自分でもわからない。
「…そうか」
だけど出てきた言葉はそっけないもの。
「驚かないのだな。それともどうでもいいという事か」
何か期待されているんだとは分かる。
だけど私には気の利いた言葉をかける術がない。
「そう…ね」
だから、こんな言葉しか出てこない。
「君は最後まで冷たいのだな」
しかし八王子には気落ちした様子はない。
今夜の八王子は以前の印象とは違い、どことなく陽気に感じた。
何か、この男も吹っ切れたという事なのかしら。
「私はもうここにいる必要はない。
私は結局逃げた。様々のものから逃げてしまったのだ。
しかし後悔はない。
後は君達が好きにすればそれでいい」
別に聞いてないのにどうしてこんなに多弁なのかしら。
「…それを言いたかったの?」
「そうだな…」
「私は誰かに話しておきたかっただけなのだ。
その相手は私と良く似た君が適任だと、そう思ったのだ」
この男の考えていることはよく分からない。
だから私も正直な気持ちを伝える。
「よく分からないわ。どうしてあなたはそうまで私にこだわるのか。
私はこれからも神社の中に幽閉されて外とは交わらないかもしれない。
あなたの期待するような事はないと思うわ」
だけど…。
「そういうことではないのだ」
「ただ私は、君に、私と同じものを感じただけ」
何故人に求めるのだろう。
「私は…思わないわ…」
私も…求めたいのだろうか。
「これは私の一方的な押し付けなんだろう。
この村ではただ一人こけしを作っていない者がいた。
それは誰か…私と同じで存在を認められなかった者は一体…」
「………」
八王子の言おうとしていることが分からない。
「君にこれを渡そうと思った」
男の手のうちには布でくるまれた何かがあった。
それを私に手渡す。
布を広げると…そこには一つのこけしがいた。
驚きに声を失う。
気が付けば頬が雫で濡れていた。
泣いているのか…私は…。
そうしてこぼれた言葉。
心からの気持ち。
「八王子…こけし職人よ。感謝する」
まだ暗いうち、私は護衛達を従え社を下りる。
村人達の打ちひしがれ呆然とした姿が見える。
そしてその中に、薄汚れた様子の男と少女がいた。
年の程は離れているがよく似ている。
「おい、あれは一体誰だ?見慣れない娘だ」
一人の村人が言う。
その言葉につられ他の者共も私に視線を向けてくる。
一気に複数の視線に射られ思わず足が止まってしまう。
しかし…臆する事などない。
私は今からこの村に君臨する者。
そのようなことでいちいち臆していては仕方がないことだ。
「おまえは?」
そのときただ一人私に話しかけてくる者がいた。
先程の男。
その傍には少女がしっかり男の着物を掴んで放さない。
「私は真霧。大部家真霧」
自然と口から出た言葉。
大部家。
私はこの姓の元に生まれたのだったわね。
この汚らわしい忌むべき姓。
受け継ぐ形で言うのはいかがなものか…一瞬の逡巡があった。
しかしそれもすぐに思い直す。
私は私として、この姓を名乗ればいいのよ。
「大部家…ということはまさか…」
私は何も答えない。
言わなくても皆には伝わったはず。
「惨劇を起こした双子は死んだ。
そして大部家と言う長くに渡りこの村を支配してきた一族もいなくなったのだ。
ここで私は宣言しよう。この村にとって今何が必要であるか」
一息つく。
村の者共は今では皆私の声に聞き入っている。
絶望の中で差し伸べられた声はまるで救いの様にでも聞こえるのかしら。
単純。実に単純ね。
「それは神。私は大部家と言う一族より生まれた者だ。
しかし彼らは私を忌み、社へと隔離した。
それはなぜか、彼らは恐れていたのだ。
私という存在が彼らの地位を脅かすのではないかと」
声を張り上げるほどに私を満たす充足感。
「だが彼らに罪はない。
彼らの言うとおり私という大いなる存在はこの世にあってはならなかったのだ。
しかし今は違う。
この村は私を必要としている。
だから私は降りてきたのだ。
さあ、皆の者立ち上がれ、私と共にこの村を作り直そうではないか」
そうだ、ここが私の居るべき場所だったのだ。
「待ってくれ」
一人声をあげる者がいた。
それは先程話しかけてきた男だった。
「それじゃあなんだ、お前が神だと言うのか?それは本気なのか?」
やはりそうよね。
小娘一人がこのようなことを言ったところで誰が信じるっていうのかしら。
だけど私は、私自身がそのような存在であると、彼らを導く事ができると信じている。
「そうだ」
「で、でも…それは本当なの?」
次に声を上げたのは男の裾を握って離さなかった小さな少女だった。
「あなたが神だったらどうしてこんな事が起こったの。
おかしいよ…こんなのって…あんまりだよ!」
そうして再びしゃくりあげる。
少女の声に呼応して周りの者共も私へと疑惑の目を向ける。
近くで控えていた護衛が声を上げた。
しかし私はそれを制す。
そして、村の皆を見渡す。
皆思い思いに考えを巡らせているらしい。
無駄な事を、何を考えようとこの先の事など変えようはないというのに。
「私はあの愚か者共の様に権力で思い通りにしようとは思ってはいない。
そしてなにより私はこの村を、あなた達を助けたいのだ。
これは私の我がままか、ならば私はここより去ろう。
私が居なくともどうという事もないだろう。
しかし二度と恵みの水は湧き出ないだろう」
「恵みの水…?何言ってるんだ?」
村人の大半はまるで意味が分からないと言うように首を捻る。
しかしそれを聞いた少女と男は目を見張り、驚きの表情を現す。
どうやらこの二人にはその意味が分かったようだ。
「お前は…一体何者なんだ」
「私はこの村を救う者。真の名を大噴間切り」
その声によって村人の喧噪は静まる。
そしてまるで人ではないものを見るかのように私を見つめてくる。
大噴。
それはこの地に恵みの水、温泉を沸きただせる泉である。
その源泉は強い毒によって、寄り付く者はない。
その禍々しい姿に忌噴とも呼ぶ。
しかし逆にその水は人に豊かになる術を与えてくれた。
それはこの地の者にとってはなくてはならない水だったのだ。
そしてその名を持つ私は正にこの地の神。
「さあ、崇めよ。讃えよ。私は大噴!この地の神だ!!!!」
声に応じたかのように霧は晴れ、雲の間から光が溢れる。
紅い日の光が私を包む。
これが、これが本物の日の光。
生まれてこの方浴びた事のない眩しさ。
ここまで来るのに何年かかったことか…ああ…。
長い長い産声が上がる。
私は今生まれたのだ。
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