番外編

零れ話 馴れ初め

朝も早く、せっせと働く娘の姿があった。

畑での農作業。

まだ齢十代の半ばくらいだろうか、美人ともいえる顔立ちに華奢な体つき。

とても農家の娘とは言えない出で立ちだ。

この年にして浮いた話もなく、娘はひたすら労働のために体を動かす。

今日も村はいつも通りの時を刻む。


「お凛!大変じゃ、来てくれ!」


と思ったがそうではなさそうだ。

娘…お凛を呼ぶのは、祖父の声だった。

お凛はふぅと一息つき声の元への向かう。


「どうしたのお爺。

まさか…腰をいわしたわけじゃないわよね」


いつも大げさに事を荒立てる祖父に対し、お凛はあまり緊急の用事とは思わなかったようだ。


「違うわ!ほれ、見てみろこいつ…」


「…大変!!」


祖父の示すその先には、一人の大柄な男が気を失い倒れていた。

やはり今日はいつも通りとはいかないようだ。




「いやー、まいった!腹が空き過ぎると倒れるんだな」


先程までの弱った様子はすっかりと消え、男は陽気に話す。

男を介抱しようと自宅へと運ぶ途中。

男の腹から盛大に鳴った腹の虫によってお凛の心配は杞憂に消えた。


「もう…病み上がりなんですから無理しないでください」


とはいえ倒れるほどの事態だったのだから表向きは男の身を案じる。

すると男はぐいっとお凛の顔を覗き込みじっと見つめる。


「な…なんですか…」


急に近くなった男の顔にお凛は戸惑う。

真剣な表情にお凛はほんのりと頬を染めた。


「なんじゃ、そんなにそいつが気に入ったのか?

嫁にしてやらんでもないがな」


「お…お爺!!」


祖父の言葉にお凛は顔を真っ赤にして叫ぶ。

そんなお凛とは対照的に男の方は全く動じない。

じっと考えるようなそぶりを見せ、ため息をつくとお凛から顔を離す。

その態度にお凛は少なからず腹が立つ。

何が気にくわないというのだろう。

もやもやした気分のまま、自己紹介へと移る。


「こいつは孫のお凛。

お前さん、名はなんというんじゃ?」


「あ…ああ。俺の名は黄昏だ」


何故か本人同士ではなく祖父が場を仕切る。

冗談でもなく二人をくっつけようという魂胆なのだろうか。


「そうか、黄昏。お前さんはどこかへ行く途中だったのか?」


「いや…特に用事があって旅をしてるわけじゃないんだ。ただ…」


「ただ?」


「…すまん。うまく話せない。

俺は故郷を捨てた。

だからもう戻るつもりはないんだ」


「なるほどの…」


祖父は妙に納得し、それ以上は突っ込むのをやめた。


「儂は仕事に戻る。

黄昏よ、行く場所がないのならしばらくここにおればよい」


黄昏は一瞬驚いた顔をするが、祖父の気遣いに気付き首を垂れる。


「…すまない」


黄昏とお凛の二人に視線を向け悪戯っぽい笑みを浮かべる。


「ふぇっふぇっ。

儂は邪魔せんからしばらく二人で積もる話でもしておればよい」


「お…お爺!!」


そうしてさっさと庭へと出ていってしまう。

唐突な言葉にお凛は顔を真っ赤にする。

対する黄昏は動じた様子はない。


「これからしばらく厄介になるが、出ていくまで辛抱してくれ」


「い…いえ。別に迷惑とかではないですから…」


と、その時黄昏の体が大きく傾く。

お凛は急いでその体を支える。


「黄昏さん!大丈夫ですか!」


帰ってきたのは寝息だった。


「…」


気が緩んだのか、黄昏は安心しきった顔で眠っていた。

横たえ体に布団をかけてあげる。


「もう…図太いのかどうなのか…」


黄昏の寝顔を眺めながらお凛は今後の事を想い、複雑な感情に襲われた。




最初は不快感。

見知らぬ男と一緒に床を同じにし、朝夕を過ごす。

しかし黄昏は印象とは違いとても生真面目な男だった。

体はみるみる回復し、畑も手伝い、今では立派な働き手となっていた。


「私、この人と一緒にされてしまうの?」


お凛は内心戸惑っていた。

というのも祖父はすっかりその気で、暇さえあれば黄昏に持掛けるのだ。

その度に黄昏は拒否しているが、実際の所はどうなのか…。

それ以上にお凛を不安にさせる原因がある。


「この人の事、何も知らないもの…」


黄昏はいまだ語らない。

どうして故郷を捨てて来たのか、一体何があったのか。

いつもは陽気な表情を浮かべ、ふざけた様子である。

しかし時折にじませる暗い影。

一体何を考えているのか、お凛には謎だった。

そしてそれ以上に知りたいと思う様になってきたのだ。


「私…黄昏さんの抱えてるもの何も知らない…」


「どうしてそんなに寂しそうなの?」




その夜。

皆が寝静まっている中、小さな蝋燭の火を灯し黄昏はまだ起きていた。


「ん…こんな感じかな」


その背後にそっと近づく影があった。


「黄昏さん…」


「うわっ」


突然話しかけられ驚いて振り返る黄昏。

そこにはお凛が不思議そうな顔で見ていた。


「お…凛…」


「こんな遅くに何をしているのですか?

早く休まないと明日も早いですよ?」


「い…いや、なんでもないんだ。すまん、もう寝る」


「………」


黄昏は何事もなかったかのように振る舞うが、手元には何かを持っている。


「何ですかそれは?」


「いや…これはな…何でもないんだ」


「ふぅん…」


と一瞬背後を向けるお凛。

黄昏が気を緩めたその隙をついて、黄昏の手の中のものを奪う。


「うわぁ!!」


それを見られたことでひどく狼狽する黄昏。


「あら…かわいい…」


それは作りかけのこけしだった。


「…」


「黄昏さん。こけし作れるんですか?」


「あ…ああ…」


黄昏の意外な特技に驚いたものの、お凛は内心嬉しかった。

というのもお凛の家は代々のこけし職人の家だった。

しかし両親と死に別れて以来、その後を継ぐ者がいなくなってしまったのだ。

今では祖父が細々と時間のある時に作っているのみだ。

幼い頃よりこけしに囲まれて育ったお凛にとって、それは親近感が芽生える事柄だった。


「それ…お前」


「え?」


「お前のつもりで作ったんだよ…」


よくよく見れば、自分の良く着る着物の色。

女の子のような顔立ち。

そして片方にたらしたおさげ。

言われてみれば自分に似てるともいえるかもしれない。


「…」


何故だか少し恥ずかしくなって顔を赤らめる。

しかし暗闇の中で黄昏に気付かれることはなかった。

いや、黄昏は遠くを見るように、何もない場所を見つめている。

そうして語り出す。


「そろそろ出ていかないといけないと思ってさ、世話になり過ぎた」


初めての、心の内を語る黄昏の様子にお凛はただ黙って耳を傾ける。


「俺もさ、こけし職人の家系だったんだ。

だけど今はもうやる気っていうか…駄目なんだ。

向き合う事が出来ない」


ではどうして今、そのこけしを作っているのだろう。


「せめてものお礼をと思ったんだ。

俺にできる事ってこれくらいしかないからさ」


無理をしているのだろうか、お凛はそう思った。

またそういう顔をしている。

時々見せる影を含ませた表情。

その顔がお凛の心に引っかかって離れないのだ。


「また…そういう顔をして…」


ぼそりとつぶやく。

その囁きは小さすぎたのか黄昏の耳には入らなかったようだ。


「私、黄昏さんのこと知りたい」


はっとして顔を上げる黄昏。

そこには優しい微笑みを浮かべたお凛がいた。


「心にしこりがあるのなら吐き出してください。

聞くくらいなら私にだってできるんですから…。

それって迷惑なことですか?」


全てを包み込むような、母性に溢れたその表情。

いつ以来だろうか、こんなに人から優しくされるのは。

黄昏は心の結界が崩れていくのを感じる。

目元に溢れそうになるその感情を制御できなくなる。

もう止められない。


「く…う…」


その様子を見て戸惑うお凛。


「どうしたんですか黄昏さん。私何か気に障る事を…」


「ち…が……」


お凛が手を伸ばしそっと黄昏の頬に触れる。


「違うんだ!!」


叫ぶ。

そしてお凛の手を振り払う。

これ以上優しさを受けたくなかった。

黄昏にとっては拷問に近い。


「俺は…逃げてきたんだ…。

辛い事から目をそらして…すべて捨ててきて…だから…俺は…」


お凛はただ黙って黄昏の激情を受ける。

思っていた以上にこの男の心の傷は深かったのだ。


「黄昏さん…」


「優しくするな…」


「黄昏さん」


黄昏の体を包む柔らかい感触。

いい匂いがした。

お凛は何故自分でもそうしてしまったのか分からない。

ただ、これ以上見ていられなかったのだ。


「無理しないでください。今だけでも…」


「う…うぅ……」


お凛の胸元に顔をうずめて嗚咽を漏らす。

声を漏らさない様に。

深く…深く…抱く腕に力を込める。




黄昏は語りだした。

かつての故郷での出来事。

双子の姉との死別。

それから心にぽっかりと穴が開いたように…。

何のために生きればいいのか分からなくなった。

大切なものをなくしてしまった…。


「辛かったのですね」


「ああ…」


「よく耐えてきましたね」


「ああ…」


慰めの言葉をかけ続ける。

黄昏は聞いているのかどうなのか、気のない返事を返す。


「俺は…とんでもない事をしてしまったのか?」


「いいえ、いいんですよ。

私、初めて会った時から貴方の事が…どうしても気にせずにはいられなかった。

貴方の空虚を私で埋めることはできないかもしれないけれど。

少しでも癒す事が出来るのなら、それで十分…」


「お凛…。

お前の優しさに甘えていた…。

俺に幸せになる資格なんてないと思っていたんだ。

だけど…。

一緒にいて欲しい。

そう思っていいのか?」


「…はい!」




「ふぇっふぇっ。やっと腹を決めたか黄昏よ」


「ああ、これからはずっと世話になることになる。よろしく頼む」


二人は夫婦となることを決めた。

黄昏の顔はどこかつきものが落ちたように晴れ晴れとしていた。

もうその言葉に迷いはない。


「愉快愉快!お前さん、思っていたよりも堅物じゃったのぉ」


「もっと簡単に落ちるものかと思っていたがな」


やはり祖父としては二人を一緒にしたくてしょうがなかったのだ。

その表情がにやりと厭らしい笑みに代わる。


「それで、お凛の具合はどうじゃった?」


ふぇっふぇっと笑い声をあげる。

黄昏は一瞬その言葉に目を見開くが、特に戸惑いもせずににやりと笑う。


「ああ…よかったぞ」


祖父と黄昏の思いもよらない言葉にお凛はひどく狼狽した。


「お…お爺!!黄昏さんも…!」


顔を真っ赤にして叫ぶお凛。

その様子を見て豪快に笑う祖父。

黄昏も屈託なく笑っている。

お凛はそんな黄昏の様子を見てつられて笑う。

黄昏は正式にお凛の家に婿入りをし、こけしを作り続けた。

それこそが自身に課す罪滅ぼしなのだと誓って。




それからいくつかの季節が過ぎ、お凛は大きなお腹を抱えて部屋で休んでいた。


「お凛!」


そこへ嬉しそうな顔を隠さずに黄昏が入ってきた。


「あら、どうしたんですか黄昏さん。そんなに慌てて」


「それがさ!さっき風の噂で聞いたんだけど、こけし職人が山に入ってきたってさ」


「…?」


「多分あいつだと思うんだ。仮面の男の噂でもちきりだ」


「あ…」


それは黄昏が語るかつての故郷での出来事。

そこで時折話に出る仮面の少年の話があった。


「八王子さん」


「ああ!」


はずむ気持ちを隠しきれない。

黄昏は今にも飛び出してしまいそうな勢いだ。


「あいつ、どうしてんだろうな…」


だが、その気持ちを抑えてしんみりとつぶやく黄昏。

お凛はしょうがないわねと言った顔をする。


「会いに行きたいのでしょう?」


「それは…そうだが…」


こういう所は素直に認める。


「お前を残して出ていくなんてできない」


しかし腹に子を抱えた妻を一人残して留守にする事も気が気ではない。


「まあ別に今じゃなくてもな」


「私の事は気にしないで、行ってらっしゃい」


「いや…だがな…」


「もう!そんな貴方の様子を見て行くななんて言えないですよ」


「うーん…」


さんざん迷うそぶりを見せ、上目づかいにお凛を見つめる。


「いいのか?」


「はい」


黄昏はお凛の大きな腹を抱きかかえ、耳をあてがう。

どくんどくんと鼓動が伝う。


「戻ってくるころには生まれてるかもしれないな」


「ふふ…こんな大きなお腹だから、きっと双子かもしれないわね」


「辛くはないか?」


「正直少し…でも貴方が好きな事をしてほしいの。

大丈夫。待っているから」


その笑顔を見て、黄昏はこの笑顔にどれだけ救われてきたか改めて思った。


「そんじゃ。ちょっとだけ行ってくる」


「はい、行ってらっしゃい」




体中が痛い。

重い。

道が崩れて、気が付けばこんな状態だ。

痛みよりもまして眠気が襲ってくる。


「…俺…死ぬのか…」


よみがえる懐かしい顔。

お凛。

八王子。

そして…。

石榴。


「お凛…すまねえ…俺は…結局約束を果たせない」


その腹の子のことを思う。


「ちゃんと父ちゃんになってやれなくてすまない…」


思い返す。

お凛はいつも笑顔だった。

あの笑顔に何度助けられたことだろうか…。

そこへ石榴の顔が重なる。


「石榴…やっとお前の元へ行けるんだな。

こんなこと思っちゃいけねえって分かってるんだが…。

これで楽になれるんだと思ったら…なんだかとても気持ちがいいんだ」


土砂降りの雨が黄昏を激しく打ちつける。

もう感覚がほとんどなくなってきた。


「………」


ただ雨の音だけが辺りに響き渡る。

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