2月21日

 さく、さく、さく――雪を踏みしめて山を登る。

 あれほど疲れて動かないと思った身体が、嘘のように軽い。どうしてだろう、と不思議に思うと、ふと気づく。ここは今までいた小さな山じゃない。夢で見た場所だと確信する。

けれど夢とは違い、今は10歳の女の子、リンそのままの姿。これは夢なのか夢じゃないのか、判別がつかない。けれど登らなければ、それだけははっきりしていた。

 山頂に着くと、誰かが海を眺めて立っている。夢と同じ位置、格好、背丈――安倍晴明だ。

 リンの足は自然とその隣に向かい、一緒に日の出を待つ。空が白み始め、辺りが明るくなり始める。

 ちら、と晴明の顔を盗み見する。驚くことに、葵と顔が似ていた。


「海の向こうを知っているか」


 リンの方を見ず、じっと水平線を見つめている。

 海の向こう、それは地図を見ればどこに何と言う国があるか分かる。けれどそんな意味で言っているわけではない。


「まだ知らない」


「まだ、か……」


 その言葉に哀愁を感じる。今のリンには晴明の気持ちが手に取るように分かった。彼は中国という大陸に憧れていた。それ以外にも、世界を見て回りたいと思っていた。けれどその夢は叶うことなく生涯を閉じた。




「でも絶対に行く。私はアナタじゃないから」




 思いもしない発言に目を見開いて驚く。それは非難しているようにも聞こえるが、まるで炊きつけるような挑発。魂の一部があるとはいえ、リンはリン。安倍晴明ではない。そうはっきりと断言した。

 思わぬ人物を選んでしまった、と笑みがこぼれる。


「悔いのない様に生きなさい」


 まるで子の成長を見守るような優しい眼差し。それに答えるようにリンは見つめ返す。


「私の夢はイギリスに行くだけじゃない。もっと広い世界をこの目でみたい」


青い瞳に新しい日の出が映る。しかしその目が見つめているのはより先の未来。安倍晴明にはもうない、明日がある。

心のつっかえがとれ、目を細めてリンに向き合う。


「其方に託す」


「託された。だから――」




「安心してね」


『リン起きた?』


 ユメは体格を大きくしながら背中にリンを乗せて歩く。落ちないよう細心の注意を払って歩いている。リンの声が聞こえ、気になるも体勢を崩すと落ちてしまいそうになる。


『寝言のようですね』


 笑っている、と葛の葉がリンの様子を伝える。ほっとしたような、それでいてがっかりしたような、二つの感情が混ざった複雑な表情でリンを見つめていた。


『どうして助けてくれたの?』


『……死なれたら、悲しいです。特に今日は――』


『今日? 何かあるの?』


2月21日。バレンタインも成人式も過ぎている。他に何かイベントはあったかと思い返すも、この2つ以外知らない。


『……いいえ、なんでもありません』


 話し過ぎた、と口をつぐんで頭を振る。これ以上話すと気づいてしまうかもしれない。ユメに名前を告げたのは味方だと安心してもらうためだった。しかし気づかれることなく普通に接してくる。知らないのならそのままでいいが、おそらく3人は見たら気づく。リンが目を覚ましたら、と思い葛の葉は先を急ぐ。

 結界の綻びはもう目と鼻の先。


『あちらです』


『あ、みんないる!』


 おーい、とユメが声をかける。綻びの向こうにいる信晴と葵は気づいていない。必死で何かを探している。葵の式神のテマリも出してきょろきょろしている。朱雀も出ているが、やる気がなさそうに欠伸をする。最初から探す気はなく、ふと視線をユメの方に向けた。こいこい、と羽を手前に寄せて『早くこっちにこい』と合図する。


『あ、朱雀が気づいた!』


『まだ結界の中ですが……こちらに気づいていますね』


『じゃあ早くみんなのところに行こう』


 たたっと軽快に前へ進むも、葛の葉はその場を動かない。着いてこない気配に気になってユメは振り返る。


『? どうしたの?』


『私は行けません』


『えーなんで?』


 リンを助けてくれたお礼がしたい、と着いてこないことを渋った。一緒にみんなのところに行き、説明して『ありがとう』と言われるべきだとユメは考える。だが葛の葉は俯いて、


『……結構です』


 と何とか断る。その様子が苦痛そうで、見ているユメの方が別れを辛く感じる。


『ホントは会いたいんじゃないの? なんか、そんな感じがする』


『……見ているだけで、良いのです』


 目を合わせようとせず、頑なに行かないと言い続ける。けれどそれでさようならとならない。帰るそぶりも見せずに立ち尽くしている。


『ふーん?』


『……』


『さっき助けてくれた時、リンみたいに芯が強いなって思ったんだけど』


『……?』


『そういう、うじうじ? したところ、信晴にそっくりだね』


『!』


 はっと葛の葉は顔を上げた。

 言いたいことあったらはっきり言った方がいいよ、今の方が辛そうだよ、とユメは主の言葉を受け売って伝える。聞いたことのある言葉にふっと目を細めて微笑む。


『そうですね、有難うございます』


『どういたしまして』


 本当にいかないの? とユメが再度聞くも、行きませんと断られた。そしてその視線は信晴と葵をじっと見つめる。

 それじゃあね、と別れてユメは慎重に、でも心なし足早に皆のもとへと向かう。




――似ていると言ってくれて、有難う




 葛の葉の声は前へ進むことに夢中のユメには聞こえなかった。

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