うらみ

 振り返っても、後ろから3人がついてくることはない。リンたち3人の足跡が伸びている。


「葵のおかげで上手く切り抜けられたね」


「おもろいやろ」


「いいのかな……」


 信晴は不安ながらも着いてきた。ちらちらと何度も後ろを気にしている。

 あの3人は追ってこない、紙使がくるかもしれないけれど、今はいない。しばらく歩き、意を決して足を止めて振り返る。


「ねえ、聞きたいことが……え」


 リンが後ろを向くと、そこには葵も、信晴も、誰もいない。

 さっきまで後ろをついてくる気配がして、葵の笑い声も、信晴の今にも泣きそうな唸る声も聞こえていた。おかしい。これはどういうことか。

 雪には途中からリンの足跡しか残っていなかった。


『リン』


 すぅっと黒い仔犬の形をして肩にのる。


「ユメ……どういうことかな?」


『分かんない、いきなりみんないなくなっちゃったね』


 もしかして、2人は田中先生から怒られるのが怖くて途中で降りてしまったのか。だがあれほど楽しく着いてきた葵まで引き返すとは思えない。近づいてみても途中で引き返した足跡は見当たらない。ゆっくり元の足跡をたどって引き返すとしても時間がかかるはず。


『雪だ』


 ぴょん、と肩から降りてちらちらと降る雪にはしゃぎだす。地下生活が長かったため、外の光景全てが真新しく新鮮に映る。いつもは体重の感じない霊体化しているが、降りた瞬間実体化して本当の犬のように足跡が雪に残る。空中でぱくん、と雪を食べたり、身体に積もる雪をぶるっとふりはらったりと1人で遊ぶ。


「……」


 そんな光景をリンは見ているようでいて見ていない。更に考えることが出てきて頭がいっぱいだった。


――なんで、雪が降ってるの?


 何故今日山に登っているか、それを考えればすぐにおかしいと気づく。

 今日は天体観測をする日。それはつまり、何日も前から計画して、当日も雪の降らない日を選択している。雪が降ったり、それどころか曇っていたら別の日になる。登る前は綺麗な夕日が見えていたほどだ。天気予報の降雪確立0%で降るのはほぼない。

 ひゅう、と凍える様な風が吹いた。コートを着ていても体の芯まで吹き抜けて熱をさらっていきそうだ。


「ユメ、おいで」


『うん!』


 両手を広げて呼ぶとすぐに走り寄って抱きかかえられる。腕の中でもブンブンと尻尾を振って喜びをあらわにする。


――ユメとだけは、死んでもはぐれない。


 ぎゅっとユメの身体を抱きしめて歩き出す。立ち止まっても何も始まらない。自分から行動しなくては。




 冷たい風が途切れることなく吹き続ける。降る雪は重みを増し、横殴りにリンの体力を奪う。


「はあ、はあ」


 近くの木に身体を預けて足を止める。息を整えながら斜面の上を睨み付ける。どれほど歩いたか、時間の感覚もない。ケータイを手に取るも電源が入らない。電池はあるはずなのに、と苦々しく思う。


『僕が周りに人いないか探してくるよ』


「それは、ダメ」


『でも、さっきからずっとこうだよ』


 きゅーん、と心配そうにリンを見上げる。ユメにも大体の察しはついた。あれからどれくらい歩いたか、分からない。もう何時間も経っている気がする。

 リンが1人で頑張っているのを手伝いたい。けれど断られる、がずっと続いている。


「ちょっと、きゅうけい……」


 ずるずると木に背をつけながら座り込む。ずっと歩いていたため疲労が溜まっていた。


『リン! 寝ちゃダメだよ!』


「うん……」


『リン!』


 返事はするもすでに瞼が閉じている。寒いところで寝たらどうなるか、それくらいユメも知っていた。耳元で必死に名前を呼んでも、完全に眠りに落ちて返事もない。


『そんな、リン……』


 身体の力が抜けて、ぐったりとユメを抱きしめる手が離れる。それはまるで、主が亡くなったような――。


『イヤだ!』


 体をゆすって名前を呼んでも目を覚まさない。雪山を登る体力と、誰にも会えない、いつたどり着くのか分からないストレスがリンを深い眠りに誘ってしまった。


『だれか! 助けて!』


 アオーン、とオオカミのような遠吠えをあげる。ユメは色んな動物霊の集合体。犬の形をとっているが、なろうと思えば猫にもオオカミにもなれる。


『誰か、だれか……』


 誰も助けてくれない。こんなに広い外の世界なのに、あの暗い地下と同じ孤独を感じる。

 今まではリンがいてくれた。リンが外へ連れ出してくれた。リンさえいれば寂しくなかった。それなのに――。


『ぜったイにユルさナい』


 ゆらゆらとユメの身体の周りに黒い炎の様な揺らめきが起こる。人間に悪意を持つ集合体だったユメ、それはリンというかせがあったからこそ落ち着いていられた。だがその枷が外れたら、ユメの『陰の気』は外に放たれ、大きさを増す。どんどんと身体は大きくなり、3メートルもの大きな犬の形を成した。

 リンを背にして周囲を見回し、グルル、と喉を鳴らして威嚇する。

 すると風が緩まり、徐々に雪もおさまっていく。

 ピク、とユメの耳が反応する。音が聞こえた。鋭い眼光を向けると、そこには白銀の毛並みを持つ大きなキツネ。ユメの姿に恐れもせず、しずしずと近づいてくる。


『おまエが、こんナことヲしたノか』


『違います。山の神がリンに嫉妬してこんなことをしてしまいました。貴方の怒りで山の神の結界が緩み、助けに来ることが出来ました』


『たすケ? うソだ! たすケなんテこなイ!』


 先ほどまで散々助けを呼んでいた。けれど誰も助けに来なかった。ユメの心はまた閉じかけている。キツネを信用することはできない。


『そこを退きなさい、でないとリンが死んでしまいます』


『リンはシなない、ズッとぼクといっショにいるッテ、やくソくしタ』


『まだ生きています。けれどそのまま、貴方が退かなければ、リンは死にます』


 貴方のせいです、ときっぱり言い切る。じっとキツネを見つめてその言葉が正しいのか、正常じゃない思考で考える。

 キツネの目はまっすぐユメを見つめる。リンではないのに、リンに見つめられた、あの時のように気持ちが静まっていく。


『ぼクのせイで……』


 リンが死ぬなんて、そんなの嫌だ!

 ユメは頭の霧が晴れたようにキツネが正しいことを理解する。しゅるしゅると悪意が収まり、元のサイズに戻った。


『リンが死んじゃうよ……でも、僕には何もできないよ……』


 青い目からボロボロと涙が零れる。戦う力は持っているが、助ける力は持っていない。無力な自分が嫌になって、悔し涙がとめどなく溢れる。


『私が助けます』


 いつの間にか近づき、リンの前に立つキツネ。見比べると何となく、ほんの少しだけどリンに似ている気がする。

 キツネはリンの額にキスを落とした。リンの身体が淡く光り、すぐにおさまる。


『リン!』


 今まで真っ青だった顔色に朱がさす。うーん、と唸って寒さに身を縮こませる。生きていることを実感して再度涙が溢れるユメ。


『ありがとう、本当にありがとう! あなたは?』


『――くず

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