私と同じね

 リンは暗い室内にただ1人、立っていた。いや、1人ではない。目の前には巨大な犬の形をした異形が爛々と赤い目を輝かせて睨む。


『何故怖がらぬ』


「……怖くない」


 リンの青い目がそれを見つめ返してしっかりと答える。強がって言っているのではない。


『これでもか』


 鋭く尖ったガラス片やメスが宙に浮かんでリンに向く。今にもすべて襲い掛かって串刺しになってしまう状況。少しでも動けば肌に傷がつく。

 それでもなお、瞬き一つ動かさない。


「私も不思議、ここに入ってから全然怖くないんだ」


『この場で死ぬかもしれないのにか』


 その通り、リンも自分がこの場で死ぬかもしれないと思っている。死ぬのが怖くないわけではない。けれどなぜか、死なないな、とも思っている。


「あなたは何? 犬じゃないんでしょ?」


『私は犬でもあり猫でもある……この実験室で殺された動物の集合体だ』


 ネコ、ネズミ、豚……どんどん変わり、また犬の形に戻る。もっとも多く殺されたのは犬なのかもしれない。


『私達はみな容姿が醜く生まれた動物だ』


「容姿が醜い?」


『ある者は生まれながら足が不自由だった、またある者は片目が潰れ――模様のブチが気に入らない、目つきが悪い、毛が短い、雑種はいらない……そういう人間の趣味主観で捨てられた! たったそれだけで!』


 切っ先がカタカタと震える。怒りをこらえるのに必死になっているんだ。本当は今すぐ刺してやりたい、そんな思いが伝わってくる。


『人間が憎い……いとも容易たやすく自身の都合で命を捨てる神気取りの動物が、自分たちは世界を支配していると過信している愚か者共が……どれほど恨み、憎んでいるか味わわせてやろうか』


 言葉にすることで憎しみが増す。異形は憎悪とともにどんどんと膨れ上がり、部屋いっぱいに大きくなった。

 だがリンはそれを見ても怖いという感情は沸かない。むしろ怖いと思わない理由が分かった。


「そういうことだったのね」


『同情か?』


 人間のお前が、とその声に嘲笑が含まれる。リンは初めて視線を反らした。


「同情、かもしれない……」


『そんなもの』


「私も、あなたたちでいうと――雑種なの」


『……』


「この目、青いでしょ? イギリスっていう国の血が少し流れてるの」


 リンは嫌々ながらも見せるため、眉をしかめて顔を上げる。今度は赤い目がじっとリンを見つめる。


「でもそれは祖母の時代で私は日本から出たことがない。英語も喋れないのにみんな私を外国人扱い――まるでパンダみたい」


 いや、パンダなんかじゃない。あれは人気の象徴だ。

 そんな暖かい目ではなく、異国混じりが、と存在を否定するような視線だった。血筋に何の意味があるのか、そんなの関係ない、私本人を見て。入学当初は思っていた。


「そう言えばこの前、異国の血の入った娘の式神にはならないって言われて……傷つくよね」


 異形の目が見開かれる。同じだと気づいた。リンと異形は種族は違えど思いは似ている。


『……お前も憎いのか』


 同情か、声のトーンが柔らかい。

 かたや醜い動物だから人間に捨てられ、方や人間なのに血筋のせいで同じ種族と見られていない。どっちが辛いのか――いや、辛さは比べるものではない。

 辛い気持ちを共有することで優しくなれる。


「憎いっていうか、悔しいかな。性格が悪いとかなら直そうとできるけど、どうしようもできない部分で悪口を言われるのは、悔しい」


『悔しい、か』


 自身はどう思ったか、当時を振り返る異形。憎い、悔しい、なんでこんな目に――優しくされたい、人間に愛されたい。


「さっき分かったの、あなたは私を攻撃できないって」


『何だと?』


「だっていつまで経っても刺そうとしなかったでしょ」


『……』


「刺せないよね、刺さると痛いの知ってるから」


 刺されたらどれほど痛いか、苦しいか……知っているからリンを脅した。痛いんだぞと脅せば逃げると思ったのだろう。でもそれがハッタリだと気づいてしまった。


――人間が怖いから遠ざけたかった


 赤い目が怯えている様にリンには見えた。そう分かると、周りの目に傷つく自分と重なってしまう。


「私があなたを愛してあげる」


『なにを言っている』


「こんな私でもお父さんとお母さんは私を好きでいてくれるんだ」


『……私は両親を知らない』


「私がなるよ、君のお母さんに。それでいっぱい可愛がってあげる!」


 人間から、愛される。それは最も求めていて、手に入らないと憎んだもの。


「いっぱい好きって伝えて、君がどんな姿かたちをしてても『ここに居ていい』って思えるくらい」


 ずっと言われたかった。何度実験されても、いつかそういってくれる人間がくるんじゃないかと――来てくれたらと。宙に浮いていた危険物がストンと地面に落ちる。


『名前は?』


「リノット・リン。イギリスと日本の血を引く、青い目の魔女見習いリトル・ウィッチ。あなたの名前は?」


『……ない』


「じゃあ私が付けてもいい?」


 こくんと頷く。そのしぐさが子供っぽくて、本当の母親になったようだ。


「じゃあ――私と同じ、見た目で決めつけられたり気味悪がられたりしない将来を夢見て――ユメ!」


『ユメ……僕はユメ』


 ユメはどんどんと縮み、小さな黒い仔犬に姿を変えた。

 リンはしゃがんではっと気づく。自分と同じ、青い目。ユメは私に合わせて変えてくれたんだ。気づいてくれたと嬉しそうに尻尾をぱたぱた振る。その愛らしい姿を誰が醜いって思うだろう。リンは笑って手を差し出す。


「これからよろしくね、ユメ!」


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