Page.42 剣と魔本の世界

「とんでもない事に巻き込まれたが、こうしてまた帰ってくることができたな」


 魔王たちの宴、そして壮絶な覇権争い、勇者の存在……。

 いろいろあったけど、俺たちは誰一人欠けることなく屋敷に帰ってきた。

 幸運、そして各々の努力が勝ち取った結果だ。


「どうやらお客様が来ておられるようで」


 屋敷の前には漆黒の修道服を着た人がいた。

 この存在感……忘れるはずもない。


「メル、来ていたのか」


「あっ!? パステルちゃん! 良かった~! 久しぶりだから忘れられてないか心配だったんです~!」


「ということは、おぬしもあれ以来屋敷に来るのは今回が初めてか?」


「はい、いろいろ勇者は忙しくて……」


「それはご苦労様だ。立ち話もなんだろう。屋敷に入ってくつろいでくれ。我々も疲れているので早く腰を落ち着けたいものだ」


 門を開け、足早に中に入る。

 ああ……屋敷の敷地内に入ると自分たちの場所って実感できて安心する……。

 ゴーレムやガーゴイルといった動かせる戦力もいるしね。

 防衛戦力は今後も増強できたらいいな。


「ちょ、ちょっと待ってください! なんか……皆さん雰囲気変わってません? 前ならこんな無警戒に私の前を素通りしたりしないはずです! いったいお出かけの間に何があったんですか?」


「そこらへんもソファーに座って話そう。私は立っているのもやっとなのだ」


「わ、わかりました……」


 俺たちが何をしてきたか話したら、メルは心底驚くだろうな。

 なんてったって、彼女の同僚を殺してきたのだから。




 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆




「あー、フリージくんをっちゃいましたか。なるほどね~、彼はそんなことをしていたのですか~」


「軽いですね……」


 俺の予想は外れた。

 メルは大して驚きもしなければ、悲しむようなこともなかった。


「私たち勇者はたしかに同じ運命を背負った存在ですが、別に友達じゃなければ仲間とも呼べませんからね~。特にフリージくんは素行の悪さで有名でしたから、いずれ敵対すると覚悟はしていました」


「会ったことは何度か?」


「ええ、一応勇者は用事がなくても定期的に招集されますから。でも個別に連絡を取る手段なんてないものですから、主要都市にチラシを貼って集まるのを待つんですよ? 不器用な集団ですよね~」


「あはは……やっぱり、その時からフリージには魔王とつながっている兆候がありましたか?」


「ない……とハッキリ言えます。正確には、私なんかに察知されるような隙のある人ではなかった。あっちもあっちで私とは主義が合わないとわかって近づいてきませんでしたから」


「むぅ……」


 まあ、勇者が魔王と手を組むなんてセンシティブな話題を表には出さないか。

 自分の支配下にある社会的地位の低い人々ならまだしも、同じ勇者にバレると面倒この上ない。


「それにしても、皆さんの雰囲気が変わったのは勇者と戦ったからなんですね~! それなら納得です! あの視線も冷たくて態度も冷たいフリージくんと会った後なら、ほんわかあったかお姉さんの私が信用に足る人物だと実感できるはずですから!」


 ほんわかあったか……というのは置いといて、他の勇者を知ったことでよりメルを信用する気になったのは間違いない。

 俺はメルに対して威圧感を感じていたし、おかしな言動に恐怖も覚えていた。

 でも、そんなのは本物の勇者の殺気に比べれば大したことはない。


 フリージの葛藤やためらいなしの純粋な殺意。

 すべてを凍り付かせる冷気。

 思いだすだけで身が凍る思いだ。


 エンジェの太陽が天に昇らなかったら、どうなっていたことやら。

 強大な敵に立ち向かうには、頼れる仲間がいる。


「メルさん、俺はパステルがあなたを信用するからという理由であなたを信用していました。でも今は俺個人としてあなたを信じたい。普通に生きていくことすら難しい世の中で、パステルは特別狙われやすい子です。彼女を守るために、差し伸べられた手は掴んでいきたい」


「エンデくん……」


「そして、あなたがパステルを……俺の大切な人を守ってくれるなら、俺もあなたの大切なものを守るために協力したい。俺みたいな人間にどこまで出来るのかわかりませんが、精いっぱいやるつもりです」


「うん、うん、ありがとう……。私もやっと信頼できる仲間と出会うことが出来て嬉しいわ……。さあ、同盟を結びましょう……!」


 メルの取り出した紙にはこう書かれていた。

 『ここに名前を書いた人はこれからメルと仲良くすること!』

 ……ん?


「なんなのだこれは……」


 パステルが目を丸くする。


「盟約の書類で~す!」


「もっとまともな文章を用意できんかったのか……」


「だって、私そういう知識ないんですもん! 人に聞いたら聞いたで私が魔王と手を組もうとしてるというウワサの信ぴょう性が上がってしまいますし、こうするしかなかったんです!」


「まあ、この文面だとサインする方は気楽だがな。まさか、何らかの方法で隠された文章が浮かび上がるとか……」


「またまた~、そんな器用なことが私に出来ると思いますか?」


「無理だな」


「そもそも、こんな紙キレ一枚には何の意味もないんですよ! 勇気のページじゃあるまいし、強制力もない! 簡単に破れるし燃えます! いざとなればこんなの無視して暴力で解決ですよ! 力の前に法は無力です! ここは剣と魔本の世界なんですから!」


「身もふたもないことを言う……」


「形あるものは簡単に壊れる……。だからこそ、目に見えない誰かとの繋がりが最後に頼れるものなんです! 私たちはちゃんとした文章がなくても、心が繋がっているはずです! 人間と魔王と勇者という種族の壁を越えて! そうでしょ!?」


「まだそこまで深く繋がっている気はしないぞ!? だが、深めていけばいいのだ。こういう関係が私たちにはあっているのかもしれない」


 一人ずつ名前を紙に書く。

 メルの言う通りこんな紙キレに意味はないのかもしれない。

 でも、この紙キレが深める絆もあるかもしれない。

 名前を書いたところで操られることもない一枚の紙、大切に保管しておこう。


「これで我々は同盟だ。仲良くやるとしようではないか」


「同盟……友達……うふふ、やった~!! これでもう私も一人じゃない!」


 喜びを爆発させたメルは、なぜが俺を抱きしめ頬にキスをした。


「これからよろしくね……エンデくん! ちゅっちゅっちゅ~っ!」


 キスの雨からぎゅうううと文字通り力強いハグ。

 身長差的に胸が顔に当たる……。

 形というか柔らかさがハッキリわかる……。

 まさかこの人……勇者の頑丈な体だから垂れないと思って下着を……。


「こらメルっ!! 今すぐエンデから離れんと盟約書を今すぐに破るぞ!」


「ん~? パステルちゃんもぎゅううう!!」


 今度はパステルがキスとハグの餌食になる。

 初めは抵抗していたパステルも、やはりあの胸の感触はまんざらでもないのか大人しくなった。


「さぁ~て、残り二人もぎゅうううしちゃうぞ~」


「私は遠慮しておきます」


 メイリは屋敷の奥に走り去った。


「逃がしませんよ~!」


 メルもまた巨体からは想像できない速さでそれを追っていった。


「おいおい! 俺は大歓迎なんだが!?」


 その後ろを鼻の下を伸ばしたサクラコが追う。

 騒がしかったリビングも俺とパステルだけになってしまった。


「むぅぅぅ……やってくれおるわ。しかしながら、あの胸の感触はなかなかたまらん……。あれだけは許してやらんでもない」


「やっぱり女の子同士でもそう思う?」


「気持ちいいものはどうしても気持ちいからな。それよりエンデ、そのぉ……メルのキスは唇に当たらんかったか?」


「え? うーんと……当たってないね。意図的に避けてた感じがするよ。メルさんだって流石にそれは相手を選びたいと思うし」


「そうか……私もそうだ。よかったよかった、一安心だな。それでエンデよ、少しこっちに顔を寄せてくれんか?」


「ん? 別にいいけど?」


 背の低いパステルの顔に少しかがんで合わせる。


「これでどう?」


「うむ、これなら届く」


 俺の頬に小さくて柔らかくてあったかいものが一瞬だけ触れた。

 それがパステルの唇だと気づくのに、少し時間がかかった。


「まあ、日ごろのお礼だ。ふ、深い意味はないぞ……。今したくなったからしただけだ」


「……ふふっ、ありがとうパステル。とっても嬉しいよ」


「なぜ笑う? それに別に礼を言う理由もないぞ」


「いや、別に深い意味はないよ。お礼を言いたくなったから言っただけさ」


「ふむ、そんなに礼がしたいなら同じことを私にしてくれても……良いのだぞ?」


 パステルがすっと自分の頬をこちらに差し出す。

 俺は迷うことなく口づけをした。

 唇も柔らかかったけど、頬も負けないくらい柔らかい。

 いつまでもこうしていたい気分になる。


「なんかちょっと照れるけど、悪くないね。むしろ楽しいというか」


「うむ、たまにはこういう事もしていこうではないか。繋がりというのは深めていくものだから……な」


 ほんのりと頬を赤らめたパステルはいつもより色っぽく見えた。


 こうして、勇者の来訪から始まった一連の物語は幕を閉じた。

 でも、この物語を通して生まれた繋がりは途切れることなく新たな物語を目覚めさせる。

 今この瞬間も、屋敷の中で『それ』は動き出そうとしていた。

 そのことに俺たちが気づくのは、メルが勇者としての仕事に戻って数日後のことだった。

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