Page.9 気配なき侵入者

 さて、二人がお風呂に入っている間に俺は汗で汚れた服を脱いでおくか。

 ハイドラから力を託されてからというもの、日に日に体が頑丈に変わっていくのを感じる。

 風邪はそうそうひかないだろうけど、単純に冷えた服の汗は不快だ。


 でも、下着だけは流石に残しておく

 有事の際に真っ裸では格好がつかない。

 まっ、流石に今なにか起こるとは思えないけど……。


「ぎゃああああああああああああ!!!」


 予想は脆くも崩れ、浴室の方からパステルの悲鳴が聞こえた。

 俺は本能的にそちらに向かう。

 たとえ二人の裸を見て怒られても構わない。

 むしろ怒れるくらい無事でいてくれれば……。


 祈るようにリビングから浴室に向かう廊下に入ろうとしたその時、素っ裸のメイリが水滴をまき散らしながら現れた。

 彼女はそのままの格好で俺の方に走ってくる。

 大きな胸と右手で鷲掴みにしているピンク色の物体がぶるんぶるんと揺れる。


「ちょ、ちょっとメイリ!? どうなってるの!?」


 その体を直視しては悪いと視線を逸らして後ずさる。

 メイリはお構いなしにリビングに躍り出るとそのピンク色の物体をテーブルにビタンッと叩きつけた。

 遅れて体にバスタオルを巻いたパステルもリビングにやってくる。


「パステル、これはどういう状況なの?」


「私にもわからん。ただ、風呂の天井から私めがけて落ちてきたそのピンク色の何かをメイリがひっつかんでくれたのだ」


 このわけがわからない状況の原因はあのピンク色の物体か……。

 見たところぷるぷると震えていてスライムのように見えるが、ピンク色は珍しいな。

 普通は緑とか青とかの寒色系だ。


「メイリ、それはスライムだと思う?」


「ええ、間違いなくスライムです」


 メイリが言うならば確定だろう。

 スライムというのは最弱のモンスターだ。

 どれくらい弱いかというと過去の俺でも余裕で倒せるくらいだ。


 非常に原始的な種族で、そのプルプルした体で地面を這って落ちている栄養を摂取する。

 知能はほぼなく本能で行動している。

 そのうえ攻撃の手段というか、身を守る機能すらもたない。


 中には酸のような体液を飛ばしてくるちょっと長生きして成長してる個体も出るらしいが、人間をドロドロに溶かすような事例は確認されていない。

 せいぜい少しの間肌がかゆくなる程度。

 そのかゆい液体も明確に攻撃しない限り飛ばしてこない無害な奴ら。

 そもそも静かなところを好む習性があるので人里にも下りてこない。


 無害とはいえゼリー状の体なので、いざ倒すとなると物理攻撃が効かず苦労すると思いきや、切ったり叩いたりしてそれなりにバラバラにすると倒せるらしい。

 スライムにもバラバラになれる限界があるみたいだ。

 また、スライムは分裂して個体を増やすが、その分裂と外的要因によって引き起こされる分裂は明確に違うようだ。

 つまり、切ったら増えましたということにはならない。


 ……と、ここまでの受け売り知識をパステルに話す。

 実は俺自身スライムすら狩ったことはない。

 必死に剣振ってスライムをバラバラにしている間に他のモンスターに囲まれると終わりだしね。

 それにスライムは無抵抗だからかわいそうになってくる。

 見た目もかわいいからなぁ。


「ふむ、エンデのおかげでスライムに関する知識は深まったが、肝心のこのピンクのスライムのことはわからんな。まあ、無害な種族ならば森に帰してやろうぞ」


「いや、それはまだだよ」


「エンデ様の言う通りです」


 メイリが冷たく言い放つ。

 その手はまだ体を隠さずスライムを抑え込んでいる。


「このスライムは異常な進化を遂げた個体だと思われます。そうでなければ屋敷のバリアを気づかれずに突破することは不可能です。また、ガーゴイルとゴーレムの監視を出し抜くのも不可能」


「確かに! それにエンデの話によるとスライムは静かなところを好むらしいな。おしゃべりしていた私たちにこいつは自分の意思で近づいてきたような気がするぞ!」


「はい、ですから徹底的に調べる必要があります。もしかしたら、屋敷の防衛機能側にエラーがある可能性もありますから」


「うむ、頼んだぞメイリ。だが、その前に服を着ようか。エンデが目のやり場に困っておる」


「はっ……! これはお見苦しいものを長々と大変失礼いたしました……」


「いやいや! 全然見苦しくなんてないさ! むしろ……あっ、なんでもないよ! 早く服を着なきゃ風邪ひいちゃうって!」


 俺はメイリからスライムを押さえつける役目を受け継ぎ、二人は今一度脱衣所に引っ込んでいった。

 それにしても、初めて見たメイリの服の下はとんでもない……。


「鼻の下伸ばしてるところ悪いけど、兄さんに一つ言いたいことがあるぜ」


「だ、誰!?」


「俺だよ」


 声の主は……ピンク色のスライムだ!

 スライムが喋っている!

 このゼリー状の体に発声器官なんてないし、そもそも言葉を理解する知能が……。 


「言いたいことは手に取るようにわかる。ほら、今『手なんてないだろ?』って思っただろ? まあ聞いてくれよ兄さん。あんた……素人だな」


 スライムは俺の手からするりと抜け、リビングの床にボトリと落ちた。

 取り押さえようとした時には、スライムの姿が変わっていた。

 ほんのりと淡いピンク色の髪を持つ少女の姿に。


「俺の名前はサクラコ。これでも立派なスライムさ」


 名前がある。何より彼女にはハッキリとした自我がある。

 どれもスライムの特徴とは当てはまらない。


「兄さんの名前は?」


「エンデだけど……」


「エンデさぁ……。スライムの捕獲方法知らないの? 体つきからして冒険者だったんだろ?」


 な、なんかすごい馴れ馴れしくダメだしされてる!


「ご、ごめん……底辺冒険者だったもんで……。種族としてのスライムの知識はあったんだけど、捕獲方法までは……」


「まあ、普通はスライムを捕獲する必要なんてないからな。割とエリート冒険者も知らない奴多いんじゃね?」


 じゃあ、なぜさっきは知ってて当然のような物言いだったんだ……。


「でも、あの最高の体の女……メイリだっけ? あいつはちゃんと知ってたんだよなぁ。我慢できなくなって、ちっこいのに妙な色気がある女に絡みつこうとした俺をギリギリで感づいて止めたし、あいつはただもんじゃねーわ」


「メイリは魔界で特別な訓練を受けたサキュバスですごく優秀なんだ」


「へぇ、魔界ねぇ~。ということはやっぱあんたら魔王の一派なんだな。魔王はあのパステルって子か。確かに雰囲気はある」


 ま、マズイっ、内部情報をぺらぺらと部外者に喋ってしまった。

 この妙にフレンドリーな話し方、しかも男口調だから妙にリラックスしてしまう。


「安心しな。俺は女はよほど悪女じゃない限り傷つけない。悪い奴なら仕方ないと切り替えられるのが、そこらへんの女好きとの違いだ! わかる?」


「まあ、なんとなく」


「んでさ、エンデ……。冒険者ならまだしも魔王軍の幹部でスライム一人押さえられないのは恥ずかしいわけよ」


「はい……」


 ここでその話に戻るのか……。


「だからさ、俺が一肌脱いで教えてやるよ!」


「……え?」


 な、なにが目的なんだこのスライムは!?




 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆




「何をしているのだお前たちは」


 服を着て戻ってきたパステルとメイリは唖然とする。

 そりゃそうだ。

 だって俺はいまサクラコが扮した少女の頭をテーブルに押し付けているところなのだから。


「見てわからねーのか? スライム捕獲の練習だよ! やっとわかってきたかエンデ?」


「うん、要するに自分の魔力を相手の体に伝わらせて包み込むってことだね」


「そういうこと!」


 スライムの体は見ての通りゼリー状なので力で抑えても逃げてしまう。

 だから、自分の魔力を放出しスライムの体をすっぽりと覆ってやる。

 これで普通のスライムは捕まえられるらしい。


 サクラコみたいな異常に進化した個体は抵抗も激しいのでこれでは難しいらしい。

 でも、今回のメイリのように瞬時にサクラコの力を見抜いて本気の魔力で体ガッチリ覆われると逃げるのにも苦労するそうだ。


「これでエンデは魔王軍の幹部として一つ立派になったな! おめでとう!」


「ありがとう!」


「そして、俺は……逃げられなくなったな」


 逃げるつもりあったのか……。

 パステルとメイリも顔を見合わせて呆れたように手と首を振る。


「メイリ、こいつはやはり無害だぞ。阿保が過ぎる」


「いえパステル様、阿呆ほどいざという時危険なものはありません」


 メイリがサクラコの首根っこをひっつかむ。

 スライムに本来首などないので、絞められても痛くも痒くも苦しくもないだろうが、頭の良いサクラコはそれが脅しだということを理解しているだろう。


「なぜ侵入してきたかという理由から聞かせてもらいましょうか。まさか、誰かとおしゃべりしたくて来たわけでもないでしょう」


「いや、俺は誰かとダベりたくてここに忍び込んだんだよ。大正解だぜメイリちゃん。俺は頭の良い女が好きだぜ。アホも好きだけどな」


 メイリは冷たくにらむ。

 サクラコは不敵に笑った。

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