Page.10 桜のスライム

「ふざけても無駄ですよ。あなたほどの実力者がなんの目的もなく魔王に接触してくるはずがありません。何かしら重要な目的があるのでしょう? それがあなた自身の目的なのか、背後にいる誰かの目的なのかはわかりませんが」


 メイリのサクラコを拘束する手は緩まない。

 それも当然だ。

 サクラコは俺とメイリの目をかいくぐって、直接パステルに接触することに成功している。

 場合によってはパステルを殺せていたかもしれないんだ。

 俺としても彼女をそのまま返すわけにはいかない。

 ただ、悪者だとはどうにも思えない。


「俺の後ろには誰もいないぜ。ただのしがない野良スライムさ。目的も俺がよく来るこの魔境に見たこともない屋敷が出来てたから好奇心で侵入してみただけだ。そしたら綺麗なお姉さんとお嬢さんがいて、しかも今から風呂に入るってんだから男として当然覗く! 一つもおかしな行動はないだろ?」


「サクラコって男なの!?」


 俺は思わず疑問を述べる。

 どことなく異国風のおかっぱヘアーに小柄ながら肉付きの良いむちむちとした体。

 ピンクを前面に押し出した服装といい、どう見たって女の子だ。


「見た目は女だが、中身は男だよ。まあスライムに性別はないから気持ちの問題だがな。じゃあ、なんで女の姿かって? それは女の方が女に警戒されずに近づけるからさ。俺は女が大好きなんだ」


「そうやって人間を辱めてきたわけですね」


 メイリの体から赤いオーラが立ち上る。

 火属性の魔法を発動するつもりだ……。

 スライムに魔法は有効な攻撃手段で、特に火に弱い。


「ま、待ってくれって! 辱めるといっても、服を溶かして恥ずかしがらせる程度だぜ!」


「そんなことをしたら肉体も溶けてしまうでしょう」


「俺の溶解液は服だけを解かせるんだなぁ~これが! なんてったって伝説の種族スケベスライムだからさ!」


「そんなおかしな種族が存在するわけ……」


「いや、待ってくれメイリ」


 スケベスライム……。

 古くから男性向けのいかがわしい物語でよく登場する架空のモンスターだ。

 女性の衣服だけを溶かしてそのぬるぬるとした粘液で裸体を這いまわり辱める習性があるとされる。

 しかし、現実のスライムはそこまでの知能はないし、分裂で増える以上生殖行為のまねごとをする意味もない。

 粘液だって物体を溶かすほど強力ではないし、もし溶かせるとしても衣服だけに限定するとなるともはや高度な魔法だ。

 まさに都合の良いモンスター。存在するはずがない。


 でも、サクラコはそんなモンスターをわざわざ名乗った。

 自分の正体を偽るにしてもスケベスライムなんて疑いが増すだけで意味がない。

 もしかして、本当に彼は伝説の種族なのでは?

 男として確かめないわけにはいかない。

 それに俺はサクラコが悪いスライムじゃないって思い始めている。


「サクラコ、その服だけ溶かす溶解液を俺にかけてくれ。それで真実を証明できる」 


 俺の体は【超毒身体ポイズンボディ】という呪文によって変化している。

 常時発動の魔法ともいうべきこれは、任意で発動する魔法とは仕組みが違うため、単純に『特異体質』や『特殊能力』と呼ばれることが多い。


 【超毒身体ポイズンボディ】の効果の一つはシンプルかつ強力、あらゆる毒を無効化できる。

 そのうえ、触れた物に毒性があるかどうか判断でき、毒であった場合はどのような効果があるか把握することも可能。

 これでサクラコが本当にスケベスライムかどうか知ることが出来る。


「さあ、サクラコ! 遠慮せずに存分にぶっかけてくれ!」


「すまんエンデ、俺に男を脱がせる趣味はないんだ……。だから、できねぇよ……」


「…………」


 俺はチラッとパステルの顔色をうかがう。

 心底呆れた顔をしている。

 メイリの顔もうかがう。

 赤いオーラの勢いはさっきよりも強くなっている。

 こりゃ叩きだされるのも時間の問題だ……。


「サ、サクラコ! じゃあ、魔本を見せてくれ! 呪文で証明できるかも!」


 メイリにお願いして少しだけ拘束を緩めてもらい、サクラコは魔本を具現化した。


「うわぁ、ピンクにハート模様の魔本とはなかなか派手だね」


「桜模様と言ってくれ。ハートに見えるのは桜の花びらさ」


「桜?」


「極東の国に咲く最も美しい花さ。ピンクと言ってもほんのりと淡くて上品な色合いだろ? 実物はもっと美しいんだぜ。そんな花が木に目いっぱい咲いて、わさーってなるのさ!」


「へー、サクラコって名前もそこからとってるんだね」


 俺はサクラコの魔本のページをパラパラとめくる。

 なんだこれは……めくったり戻したりするたびに魔本の内容が変わっている!


「実は……魔本も擬態できるんだわ。だから、いくらでも嘘の呪文を書き込める。実際に使えるようになるわけではないけどな」


「それでも結構すごいことなんじゃ……」


 魔本を偽装するなんて聞いたことがない。

 その人がその人である証明、心から生み出されるもの。

 それを上辺だけでも変えられるサクラコは擬態の達人だ。

 バリアやガーゴイルの目、メイリの感知を潜り抜けてもおかしくはない。

 パステルもこの能力には関心を示し、サクラコを見る目が少し変わった。


「おぬしは本当に私の裸見たさに侵入してきたというのだな?」


「ああ! 本当は幼い子どもは興味の範囲外なんだが、パステルには抗いがたい魅力があった! だから、思わずボトリと天井から落ちちまったわけよ! 興奮しすぎたな!」


「そうかそうか、ふふんっ、わかっているではないか。それでこれからどうするのだ? お前を逃がしてやっても良いが、行く当てはあるのか?」


「野良のスライムに行く当てなんてないさ。ただ人間の社会に擬態して紛れ込んでみたり、かわいい女にちょっかいかけて見たり、たまには人の来ない魔境で休んでみたり……そんな感じだ」


「なら、我々の仲間にならないか?」


「パステル様!?」


 驚きの声を上げたのはメイリだ。

 彼女はまだサクラコへ警戒を解いていない。


「見ての通り我々は魔王軍と言っても三人だ。それに人間界に頼れる者もいない。サクラコのような人間界に深く精通している味方がいれば心強いこのうえない。ただまあ……毎回裸を見せろと言われると困るがな」


「見せてくれるなら即決だったんだけどなぁ……てのは冗談だ。俺もそろそろ身を固めようと思ってたところさ。パステルたちは当然知ってると思うけど、ハイドラが死んで魔境のバランスは崩れつつある」


 サクラコは基本人間の中に紛れて生活しているが、時には擬態を解いてスライムの姿で休養も必要らしい。

 その時に人があまり立ち入らない魔境は最適の場所だった。

 スライムにはほとんどの毒は効かないし、魔境の霧も姿を隠す良い道具だ。


 しかし、ハイドラが死んだことでモンスターたちが次の魔境の主になろうと暴れて、とても落ち着ける場所ではなくなってしまった。

 迷路と呼ばれた霧も崩壊し、さらには薄まってきている模様。

 しばらくすると、ここは魔境でもなんでもなくなってしまうかもしれない。


「この屋敷のバリアの中は静かでいい。建物の中に入れてもらえなくてもいいさ。たまに敷地内でのんびりさせてくれればそれでいい。その代わり人間界で得た情報は提供する。それくらいの関係でいかせてくれないか?」


「正式な仲間にはならず、協力者という立ち位置がいいのか? なんだ妙に馴れ馴れしかった割にはいざという時怖気づくのだな」


「擬態でコソコソ生きてきた男なんでね。急に魔王軍に入れと言われると、ちょっと考えちまう」


「まあ良い。気が変わったらいつでも言ってくれ。我々は常に人材募集中だ」


「じゃ、今日のところはそういうことで! 良いもん見させてもらったぜ!」


「お待ちなさい」


 屋敷から出て行こうとするサクラコの腕をつかんだのは、メイリだった。


「パステル様の決定に逆らう気はありません。ですが、私自身はまだあなたのことを信用していないのも事実。あなたの力で私を納得させてください。でないと、敷地に入ってこられるたびに私が落ち着きませんから」


「それはメイリを脱がせていいってことだよな?」


「出来るものなら」


衣服溶解液スケベント!」


 サクラコの両手から放たれた粘性のあるピンク……いや、桜色の液体はメイド服に直撃し、それをみるみると溶かしていった。

 徐々にメイリの粘液に濡れて妖しく光る素肌があらわになっていき、彼女は顔を赤らめてそれを隠す。


「そう、その表情が好きなんだ。驚きと戸惑いと恥じらいが混じった最高の表情がな。メイリの場合は脱がされた恥じらいよりも、俺を疑ったことへの恥じらいが大きいか?」


「ええ、申し訳ございませんでした……」


「謝らないでくれ。俺みたいな怪しい奴信用できなくて当然だし、最後まで疑ったメイリは立派な魔王の配下さ。メイリを見てると、ますます生半可な気持ちで仲間になるなんて言えなくなる」


 サクラコは体の中からずっしりと重そうな袋を取り出す。

 テーブルに置かれた時の音から、その中身がお金である事はすぐに分かった。


「溶かしちまったメイド服代だ。安心してくれ、割と真っ当な手段で稼いだ金さ。魔王だって人間界で生きるんだから、人間の金をどうやって調達するかも考えとかないといけないぜ」


 サクラコは最後に「またな」と言い残して屋敷から出た。

 そして、そのまま門をくぐって霧の中に消えていった。


「なんとも人間らしいスライムだったな。ああいう奴がいればさらに賑やかに暮らせそうなのだが、馴れ馴れしいようで我々との間に明確な壁を感じる……」


 粘液まみれのメイリの体を一生懸命拭きながら、パステルはぼそりとつぶやいた。

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