Page.33 勝利をこの手に

「ふ……いいように遊ばれているな」


 フレイアはつぶやく。

 戦況はパステルが圧倒的に攻め続けている。

 だが、その攻撃はどれもエンジェにとって大したダメージではない。

 彼女の体は見た目以上に頑丈なのだ。


(あの娘は……エンジェ以上にエンジェのことを知っている。攻め続けるのはダメージを与えるためではない。精神的に追い詰めるためだ)


 エンジェはパステルに攻撃されているという事実だけで動揺しきっている。

 大人しかった飼い犬が急に噛みついてきたような心境なのだ。


 そのうえ今回の武闘大会のヤジは強い酒のせいで悪質極まりない。

 本来ならば三名家の娘であるエンジェに罵声など浴びせられることはない。

 だが、今回は防戦一方のエンジェに対してヤジが飛ぶ。

 それもまた激しく動揺を誘うのだ。


 結果としてエンジェの魔法はより正確さを失う。

 パステルは機動力を生かしてその魔法の合間を縫って飛び回り、ちくちくと攻撃を加えていく。

 ただ、暴走状態のエンジェの魔法は付近を通るだけで身を焦がす。

 修羅のしおりの力である『雨蛙合羽ガマガッパ』がなければ致命傷は免れない。


(とにかく魔法を撃たせるあの動きはエンジェの魔力切れを狙っているようにも見える……。しかし、エンジェは魔力量も尋常ではない。体力は切れても魔力が切れたところを俺は見たことがない。このまま戦いを続ければ……エンジェが勝つ)


 兄ゆえの甘さではなく、客観的な事実だった。

 今のパステルの魔力量では『雨蛙合羽ガマガッパ』を維持できても十五分程度。

 エンジェはさらに威力を上げつつ魔法を撃ち続けられる……。

 だが、フレイアは同時に違和感も感じていた。


(あの娘は学園時代のエンジェの最も近くにいた存在だ。エンジェのことはよく知っている。当然俺の考えることくらい考えているはず。それなのに……目は死んでいない。あれは確かな勝ち筋を見据えている目だ。いったい何を狙っている?)


 フレイアの好奇心が掻き立てられる。

 彼は人間界にいる魔王の両親から生まれ、すぐに人間界よりは安全な魔界に送られた。

 それからは魔界にいるソーラウィンドの者に育てられたのだが、やはり本家の長男というのはしがらみも多かった。

 魔界に残されているのは基本的に分家の者で、代々家に仕えている配下たちも出来が悪いゆえに魔界に残っている者がほとんどだった。


 信用できるのは両親直属の部下と世話係のみ……。

 しかし、彼らもまた魔界の家の者とは折り合いが悪く、ギスギスとした空気の中でフレイアは育った。

 そんな彼のもとに突然現れたのが血のつながった妹エンジェだった。

 フレイアが妹を溺愛したのは言うまでもない。


 兄の威厳を保つためにエンジェの前では厳しい態度をとるも、その裏ではいつもエンジェのために動いていた。

 彼女を魔王学園に送り込んだのも彼だ。

 魔神の生まれ変わりとまで言われたその才能に致命的な欠点が見つかり、家の者からも陰口を叩かれるようになったエンジェを守るために、本来ならば行く必要のない学園に独断で入れた。


 魔王学園というのは名前から教育機関と思われがちだが、実際は保護施設の側面が強い。

 というのも魔界では身分の高い低い、力の強い弱いにかかわらず一定確率で『冥約のページ』をもって生まれてくる子どもがいる。

 冥約のページは殺して奪い取ることで新たな魔王になれる。

 弱者のもとに『冥約のページ』を持った子どもが生まれると、その時点で命の危機なのだ。

 これも弱肉強食の世界だから仕方ないという者がいる一方で、そうでない者たちもいる。


 その者たちは『冥約のページ』は自分たちも認識できない『大いなる存在』の意思によって選ばれし者に与えられていると考えた。

 まだ戦う力もない幼いうちに奪い取ってしまうのはその意思に反する……。

 彼らは魔界では異例の弱者の駆け込み寺ともいうべき魔王学園を設立した。


 『冥約のページ』を持つ者ならば、身分に関係なく無償で入れる。

 決してレベルは高くないが最低限の教育を受けられる。

 食事も十分に出て全寮制。

 まさに魔界にふさわしくない施設だ。

 しかし、特別な力をもって生まれてきた我が子を、自分たちの力不足で殺されることを恐れた両親にとってはまさに救いだった。


 逆に身分の高い者には必要のない施設と言える。

 家の中で英才教育を施し、食事も住処も最高のものを与えればよいのだ。

 エンジェにとって学園に送り込まれたことは、家から見捨てられたと思い込んでも不思議ではない。

 真意が伝わらぬままフレイアはとある事情で若くして人間界に戻り、エンジェは数年間学園で過ごした。


 学園の在籍期間は人それぞれだ。

 種族によって成長速度も違ううえ、入学時期もバラバラ。

 知力と魔力が一定の基準を超えてから三年後に卒業というのが一般的だ。

 卒業後ははやる気持ちを押さえられずに人間界に飛び出して行く者、十分に学び成長して魔界の家族のもとに帰る者……こちらもそれぞれだ。


 パステルの場合は魔力がまるで成長しなかったが、これが彼女の一定レベルと判断され卒業させられた。

 そして、なかば捨て身で人間界に向かった。

 エンジェの場合は順当に卒業し、生まれた家……人間界のソーラウィンド家に帰った。


 つまり、フレイアは魔王学園時代のエンジェを知らないのだ。

 エンジェも学園生活を良い思い出と思っていないのかあまり話したがらない。

 それでもフレイアは最愛の妹が最も多感な時期になにをしていたのか知りたくてしょうがなかった。


(パステル・ポーキュパイン……。お前は俺にどんなエンジェを見せてくれる?)


 その時、戦況に大きな変化が起こった。

 エンジェが魔法を撃つ手を止めたのだ。


「うぅ……うう……ッ! こうなったら……すべて消し飛ばして差し上げますわ……!! パステルと一緒に下品なお客様もッ!!!」


 エンジェは両手を天に掲げ、呪文を唱えた。


太陽爆発フレアバーストッ!!!」


 今までとは比べ物にならない超巨大な火球が、彼女の真上に現れた。

 それはまさに太陽……蒼い月光に照らされていた丘を一瞬で炎天下の真昼へと変えてしまった。

 流石にこの光景と熱で観客の酔いもすっかり覚め、みなあたふたと逃げ出し始めた。


「ふん……あれだけ下品な言葉を投げつけておいて、太陽を投げつけられそうになったら逃げるとは情けない……」


「フレイアちゃん……言いたいことはわかるけど、それは誰だって逃げるよ!」


 配下の者と協力して水の防護膜を張り巡らせるシーラ。

 観客席は覆うことが出来たものの、エンジェの魔法に耐えられるかはわからない。


「ちなみにエンジェちゃんのお兄ちゃんとして意見を聞きたいんだけど、この防護膜であの魔法は防げそうかな……?」


「ふっ、『焼け石に水』という言葉をこれほど適切に使える機会は……そうないだろうな」


「や、やっぱり……って、笑ってないでエンジェちゃんを落ち着かせてよ! このままじゃエンジェちゃんが宴をぶっ壊した犯人にされちゃうよ!」


「むぅ……そうか……。しかし、私の言葉では……」


 エンジェを愛する気持ちが本人に伝わっていないことはフレイア自身も知っている。

 妹にとって自分は冷酷な兄だとわかっている。

 いま声をかければ、そのショックで太陽ははじけ飛ぶだろう。

 この状況で頼れるのは……。


(パステル・ポーキュパイン……。だが、あの娘が今から行うことはシーラたちが望むこととは正反対だろう)


 フレイアの考えは現実になった。

 パステルは魔法に意識を持っていかれて棒立ちになっているエンジェの両足をカエルのムチでからめとった。

 そして、ムチを上手くしならせ左右にその足を引っ張った。


「うぐっ……!」


 エンジェは股を大きく広げた状態で地面にベタンと尻餅をついた。

 体が柔軟ではない者に行えば致命打となる股裂きだが、幸いエンジェの体は柔らかく十分にほぐれていた。

 しかし、それはパステルも把握済みだ。これは攻撃ではない。


(自爆狙い……!)


 エンジェの頑丈な体にエンジェの強力な魔法をぶつける。

 これこそフレイアが予想したパステルの行動だった。

 実際、太陽は完全にエンジェの制御から離れ、地上へと落下を始めている。

 この場合、一番ダメージを負うのは一番近くにいるエンジェに他ならない。


(やはりあの娘はかなり頭が回る。ここまでは手のひらの上でエンジェを躍らせていると言っていい。しかし……エンジェはその小さな手におさまるほど矮小な存在ではないぞ……)


 兄は知っている。

 自分の妹の圧倒的な炎への耐性を。

 他の属性の魔法ならまだしも、火属性に限ってはどんな魔法もエンジェを倒すには至らない。


(このままいけばあの娘は落下する太陽から出来る限り距離をとるため、一時的にバトルフィールドの外で待機するだろう。しかし、爆風を考慮していない。一度外に出れば爆風に押し込まれて十秒ではフィールドに戻れない。これでエンジェの勝ちだ)


 フレイアは満足そうに微笑む。

 隣でシーラが青い顔をしているというのに。


(パステル・ポーキュパイン……。お前はよくやった。生まれ持った才能の差を考えれば十分な戦いっぷりだった。そして何より……エンジェに成長するための大きなヒントを与えてくれた! これでエンジェも自らの身を焼いても何の問題もないということに気づくだろう!)


 エンジェの炎が危険と言われるのは、あくまでも周りからの意見。

 彼女本人からしてみれば無害に近いのだ。

 ゆえにフレイアはずっと願っていた。

 魔法は制御するものという常識にとらわれず、暴走を良しとする考えにエンジェがたどり着くことを。

 これは人の口から教えるのでは意味がない。

 自分にとって最適な戦い方を自分で見つけたという自信が、また新たな強さを生むとフレイアは考えていた。


(俺はお前に感謝するぞパステル・ポーキュパイン。あとで我が家専用のテントで最高のもてなしをするよう配下に伝えて……)


 ここまではすべてフレイアの予想通りだった。

 しかし、最後の最後で兄は驚愕し目を見開いた。


「なっ、なんだとっ!?」


「うわっ!? なによフレイアちゃん……って、あれぇっ!?」


 パステルは落下する太陽を見て距離を取るどころか、その真下……エンジェの方へと突っ込んでいった。

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