Page.15 底知れぬ悪意

 切り落とされた俺の右腕が地面に落ちている。

 手に握られていた魔本がするりと抜け、表紙の全体が見えるようになった。

 やはり竜の意匠が目立つ。

 普通の魔本は成長とともにゴテゴテしたデザインになっても、なかなか竜の模様は現れない。

 伝説上の生き物が魔本に宿るには、それなりの理由がある。


 だから、俺は魔本の持ち方を工夫して竜の意匠が見えにくいようにしていた。

 ハイドラには感謝しているが、流石に竜に助けてもらって力も貰ったというシナリオは嘘臭さが強くなる。

 群衆も竜に会ったなんて聞けば、俺が頭のおかしくなる毒を吸ったと信じてしまうだろう。


 その点、死にかけて力に目覚めたというのならばまだわかる。

 死ぬとなれば力も眠っているわけにはいかない。

 実際、呪文というものは日々の鍛錬の中よりもピンチの時に増える。

 説得力のある話なんだ。


 いや、そんなことを冷静に考えている場合じゃない。

 腕が切り落とされているんだぞ。

 なぜアーノルドはこんなことをしたんだ。

 こんなの、自分の罪を認めているようなのに……。


 自暴自棄にしてもなぜ首を切り落とさず腕なんだ。

 さっきまでの俺は完全に油断していた。

 やつの魔法ならばどこでも簡単に切り落とせたはずだ。


「エンデの魔本を見てみろ!! あの竜の意匠におぞましい色合い! 奴は邪竜アンブラルの化身なんだ!」


 アーノルドの言葉に群衆はざわつく。

 邪竜アンブラルというのは、はるか昔に封印されたとされる竜の名だ。

 もちろん本当にそんな竜が存在したという証拠はない。

 でも、作り話の題材としては人気で、最近はここ数年で邪竜が復活するという予言が人々の間でひそかに流行っている。


 だからといって、みんな本気で信じているかと言えばそうでもない。

 嘘だとわかっていて楽しんでいる者がほとんどだ。

 俺だってその一人だった。

 種族としての竜は存在しても、そんな大いなる力を持った竜は存在しないと思っていた。

 ハイドラに出会うまでは……。

 でも、ハイドラは邪竜じゃない。

 それをわかっているのは、この場で俺一人だった。


「エンデの腕を見ろ! あいつは普通の人間じゃないんだ!」


 アーノルドは続けざまに俺の切り落とされた腕を指さす。

 腕からはドクドクと赤い血が流れて……いない。

 それどころか腕全体が濃い紫色に変色しゲル状になったと思うと、それは俺の体に吸収され代わりに新たな腕が生えてきた。

 おぞましい光景を見た人々は悲鳴を上げる。


 【超毒身体ポイズンボディ】が持つ最強の効果を、こんな大勢の前で見せることになるとは思わなかった。

 この呪文は俺の体を毒そのものに変えることが出来る。

 ゲル状になった体には物理的な攻撃はほとんど通じない。

 斬撃などで一時的に体を分裂させることは出来ても簡単にくっつく。

 くっつけられなくても魔力により新たな毒を生み出して体を再生できる。


 弱点は魔法による攻撃か魔力切れくらいだ。

 あと、俺が慣れてないだけかもしれないけど、自分で意識して体をゲル状には出来ない。

 攻撃を受けたら勝手にそれを避けるように体が変化する。

 最高に便利な呪文だけど、見慣れない人からすればバケモノに見えるかも……。


 いや、火とか水とか体を自然由来のエネルギーに変える呪文を持つ人は珍しいけど確かにいる。

 これだけで俺をそんなウワサ程度の邪竜認定されては困るし、誰も信じないだろう。

 堂々と俺の力だと言えば問題ないはずだ。

 実際これは邪竜の力ではない。


「この体は僕自身に眠っていた呪文の……」


「うるせぇ! このバケモノめ!」


 群衆の中の誰かが俺に靴を投げてきた。

 それを皮切りに何人もの人が俺に物を投げつけ始める。

 靴や石はかわいいもので、中にはナイフや短剣などの刃物も混じっていた。


 もちろんこれで俺の体は傷つかない。

 でも、心は痛む。

 なぜみんな急に怒り出したんだ……?

 アーノルドの話がそんなに正しく聞こえたか?

 その答えは……わからない。

 人の心の動きを読むことは、竜の力を持ってしても不可能だ。


 形勢を逆転させることに成功したアーノルドはそのニヤケ顔を隠そうともしない。

 それどころかさらなる言葉の追撃を開始した。


「実はエンデの正体には以前から気づいていた! あれだけ冒険者として働いて白紙の魔本なんておかしい! きっと力を隠しているんだと思い探っていたんだ!」


「な、なんだって!?」


 群衆はすっかりアーノルドの言葉だけを信じている。

 その言葉を聴き逃すまいとアーノルドがしゃべっている時だけは俺に物を投げる手が止まる。


「正体を知った俺はみんなを巻き込むまいと魔境で邪竜を倒すことにした! しかし、今を思えば自惚れていた……。倒せたと思っていたが、奴は生きてここにいる!」


 本当に邪竜を見つけたのなら支部のギルドマスターどころか本部、または勇者に報告しなければ大問題だ!

 自惚れなんていう自虐だけで許されるものじゃないし、納得もできない。

 アーノルドはA級なんだ。

 そういう冒険者が背負う責任も当然把握しているはず……。

 だというのに、誰もアーノルドを疑うものはいない。


「サリーを置いていくことになってしまったのもエンデが原因なんだ! こいつが魔境で卑怯にも奇襲を仕掛けてきたから、俺たちは逃げるしかなかった! もちろん不本意だったが……全滅を避けるにはそれしかなかったんだ……」


「そのサリー本人がここにいるっていうのに、そんな嘘が通用するわけ……」


「そうだったんですね……エンデさん……。私をだましていたんですね!」


 サリーが腰に差した剣を抜き、俺の脇腹に突き刺す。


「サ、サリー?」


「私は記憶がぼんやりしていて覚えていませんが、邪竜に襲われたのなら一番弱い私が見捨てられても仕方ないことです!」


「わかってくれるのかサリー!?」


「はい、アーノルドさん!」


 何を言っているんだ……。

 君はちゃんとその時のことを覚えていて、俺に話してくれたじゃないか……。

 頭が痛い。耳鳴りもする。

 いったい何が起こっているんだ……。

 もしかして、俺が間違っているのか……?


「それにエンデさんが邪竜ならば、魔王とつながっている事にも納得です! ずっとそれが引っかかっていたんですよ! なんで魔王が人を助けるのかって! 私をだましてアーノルドさんをおとしいれるためだったんですね!」


「おいサリー、今なんて言った? エンデが魔王とつながっているだって? 本当か? 気は確かか?」


「はい! 魔境の中にお屋敷があるんです!」


「そう……か」


 急に出てきた魔王というワードにアーノルドが一瞬演技を忘れる。

 流石に奴もここまで突拍子のない展開には疑問を抱くのか……。

 まあ、残念ながらそれは事実なんだけど……。


「みんな聞いたか!? エンデは魔王の手先だという疑いもある! もはや生かしてはおけない!」


 群衆は雄たけびを上げる。

 誰も俺をかばってくれる人はいない。

 サリーすらも群衆に混じり、もはや判別がつかない。


「エンデ、せめてもの罪の意識があるなら、大人しくしているんだ。お前を殺すとなると首を切り落として終わりというわけにはいかん。苦しむことになると思うが、大人しく捕まれば出来る限り楽に死なせてやる。さぁ、大人しくしているんだ……」


 猛獣をなだめるようにゆっくりとアーノルドが近づいてくる。

 このまま捕まるわけにはいかない。

 逃げ出すだけの力が俺には備わっている。

 だが、本当にいいのだろうか?

 これだけ多くの人々から死を望まれている俺が生きていても……。


「そうだ……そのまま大人しく……俺に命をゆだねろ……」


「お断りだぜ! この大根役者がよぉ!」


 群衆の中から妙な形の短剣がアーノルドに投げつけられた。

 まったく警戒していなかったアーノルドはそれを防げず、頬を大きく切り裂かれる。


「ぐあああああああああ!! お、俺の顔がぁ!! ぐぅ……誰だ!!」


「お前に名乗る名前はない!」


 悲鳴を上げて散っていく群衆をかき分けて現れた女性が、アーノルドの腹にドロップキックを食らわせる。

 アーノルドが地面に倒れこんでいる間にその女性は短剣を拾い、俺の手を掴んで走り出した。


「まったく……! しゃんとしろよエンデ!」


「あ、あなたは?」


「サクラコだよ! もう顔を忘れたのか?」


「いや、そんな顔じゃなかったでしょ!?」


「あー、そうだった。今はデフォルトの姿じゃなかったな。俺はいろんな女の姿になれるんだよ。男にはなれないし、いろいろ条件もあるけどな」


「そうなんだ……」


「『そうなんだ……』じゃねーよ! なんであんなに無抵抗だったんだ? 口で負けたにしても、せめて悪あがきに一発くらいパンチをぶち込む気合が欲しいよなぁ男には!」


「ごめん……奴の言葉を聞いていると、なんだか自分が悪いような気がしてきて……」


「まあ、みんなに囲まれて存在を全否定されれば弱気にもなると思う。でも、それにしたって異常な雰囲気だったなぁ。初めのうちはみんな完全にエンデの味方だったのに、あんな大根演技で手のひら返しなんて異常だぜ。アーノルドは想像以上に危険だ」


「そうだ……。だから、ここでトドメをささないといけない!」


 サクラコの手を振りほどいて立ち止まる。

 あいつに屋敷と魔王の存在を知られてしまった。

 まだ完全に信じてはいないだろうけど、サクラコの乱入を見た以上、俺に仲間がいることには確信を持っているはずだ。

 ここで仕留めないと、いつ魔境に攻め込んで来るかわからない。


「やめとけエンデ! 今は奴に流れがあるし、ここは奴の土俵だ」


「でも、俺のミスでパステルの存在を知られてしまった。ミスを取り戻さないと」


「だから退くんだよ。ここで戦えば町の住民全てが敵になる。無関係の人を巻き込むかもしれないし、エンデに有利じゃない。俺たちの土俵はあの毒の霧の中さ。毒を気にせずに動ける俺たちが完全に有利だろ?」


「確かに……」


「俺の故郷では絶対に相手の土俵で勝負するなって言われてた。勝負せざるを得ない時もあるけど、今みたいに焦って突っ込むのは絶対にダメだ! 一度退こう。俺たちにはもう一人戦える仲間もいるしな。きっと一番強いし使わない手はないだろう?」


「ああ……サクラコの言う通りだ。俺が冷静じゃなかった。一度屋敷まで退こう。そして追ってくるなら魔境の中で仕留める!」


「そうこなくっちゃ! 元から考えてたプランに切り替えるだけだ。楽にいこうぜ。人間、楽をしようとすれば無駄のない良い案が思い浮かぶもんだ」


「頼りになるよ、サクラコ」


「もっと頼ってくれよ、エンデ。戦闘はちと苦手だけどな」


 サクラコは綺麗なウィンクを見せると、再び俺の腕を掴んで走り出した。

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