Page.39 目覚める光
「兄さまあああああああああ!!!」
エンジェの叫びもむなしく、凶刃がフレイアの首に振り下ろされる……かと思われた。
「ふっ……ただのナイフ一本でトドメが刺せると思われていたとは……心外だな」
フレイアは振り下ろされる刃を素手で受け止め、それを握りつぶした。
そのまま下手人もろとも炎で焼き尽くす。
「ぐ、ぐああああああーーーーーーッ!!!」
一瞬で消し炭になった下手人を踏み砕き、フレイアは一息つく。
その顔色はどんどん青くなっていく。
「に、兄さま……大丈夫なのですか!?」
「……ゾイル・アースランド」
「えっ!?」
フレイアの視線の先には、同じ名家の当主であるゾイルがいた。
彼は戦場の中で平然している。
まるでこうなることを知っていたかのように。
「裏切りだけでは済まず……人間と手を結ぶとはな……。領地を人間に奪われて日和ったか……?」
「日和ったとはずいぶんな言い方ですねぇフレイア殿。私はただ人間界における魔王の在り方の新しい可能性を見つけただけです」
「ふん……物は言いようだな……。人間との戦いで領地を奪われ、多くの配下を失った……。だから、人間に媚びて生きる道を選んだというだけだろう……。我々を襲ったのも、もはや自分の家が他の二つの家に並ぶほどの力がないと認めてしまったからだ……。舐められて同盟を破棄される前にやってやろうという……小物の思考の結果だな」
「ハッ! わかったような口を利く! 私は昔からお前のそういうところが気に入らなかったのです! 若造がすべてお見通しという目で見てくる! ですが……今回の計画は見破れなかったようですねぇ。驚きましたか?」
「驚いた。私もお前の気に入らない部分はある……。シーラにも当然ある……。それでも手を取り合って協力するのが……長年維持してきた同盟だと思っていたのは私だけだったようだ……」
「魔王同士のぬるいなれ合いなどもはや過去の異物! ここは人間の世界です! 人間と手を組むことこそが、新たな可能性! これこそが人間界を支配し、魔界の覇権を握るための道筋……覇道なのです!」
「それよりも驚いたのは……」
「え?」
「お前が私をまったく理解していないことだ……。味方なら仲間として、敵ならば倒すべき標的として、当然理解すべき俺のことをまるで知らんのだな。ゾイル、どうやら私はお前という魔王を過大評価していたようだ」
フレイアの体が炎に包まれる。
その炎には荒々しさがなく、温もりすら感じる。
「エンジェ! あれは一体なんだのだ!?」
「心頭滅却……。ソーラウィンド家に伝わる秘伝呪文ですわ……」
「秘伝呪文?」
「血と共に受け継がれる呪文のことですわ。太陽に住む神鳥ヤタガラスの血を引いているとされるソーラウィンド家の当主はみな同じ呪文を持っていますの。兄さまも、父さまも、爺さまも……そして私も」
「エンジェも? しかし、おぬしは当主では……」
「だから昔は魔神の生まれ変わりなんて言われていたのですわ! 長い歴史の中で本家の長兄以外がこの呪文をもって生まれたことはない。ならば、その呪文を生み出した神の生まれ変わりなのだと……。実際はこの呪文すらロクに使いこなせない出来損ないなのですわ……」
「で、あの魔法の効果は?」
「世にも珍しい炎属性の回復呪文ですわ!」
【心頭滅却】は癒しの炎を生み出す。
外傷の回復はもちろん、毒や呪いなども浄化できる。
致命傷を負った時点で自動で発動し、即死でもない限り復活する。
まさに神から受け継いだ最強の回復呪文と言える。
弱点は自分以外を癒せないことくらいだ。
「……しかし、フレイアはずっと苦しそうだぞ」
癒しの炎に包まれているというのに、フレイアの顔は青いままだ。
「ククク……私があなたのことを理解していない? むしろ、私という魔王を理解していないのはそちらですよ。私は無策でフレイア殿に挑むほど勇敢ではない! いくつもの策を張り巡らせてある! その一つがこの毒ですよ」
懐から黒い液体の入った小ビンを取り出すゾイル。
「長年研究して作り上げた……ソーラウィンド家特効の毒薬です。この前の人間との戦いで日和ったですって? まさか! そんな一時の感情で家族たちを、配下たちを戦争に巻き込めるものですか! これはずっとずぅぅぅぅっと練ってきた計画なのですよ!」
「…………」
「まあ、人間の襲来で計画に大きな変更があったことは確かですがね。多くのものを失い、そして得た。人間との……勇者との協力体制を!」
「勇者だと……?」
「そうです! 人類の希望にして人間の最大戦力である勇者の一人をこの場にお呼びしているのですよ! これで二つの名家を敵に回しても戦力は拮抗! いや、奇襲をかけた分こちらが圧倒的に有利ですかね」
「ふっ……勇者と手を組んだ……か……。確かにそれは私も驚いた……」
「でしょう?」
「だが、やはりお前は私を理解していない」
「へ?」
瞬間、ゾイルの体が炎上した。
もちろん原因はフレイアの魔法だ。
「グアアアアアアアアアアアア……ッ!!!」
「こんな悠長な毒で俺を殺せると思っていたとはな……。せめて即死させられるまで作りこむべきだ……。何千年かかるか知らんが……な」
「グ……グウウウウ……!! 即死とはいかないものの、体は動かせないほどの猛毒の……はずなのに!!」
「見通しが甘い……! 呼んできた勇者とやらもこんな小物と組むとは程度が知れる……。すぐにお前の後を追わせてやる……。あの世で人間と仲良くするといい……」
「こ、このままで終われるか! 私だって魔王なんですよ!」
大地の力で炎をかき消したゾイルとフレイアの戦いが始まった。
この戦いに割って入る力はない……。
パステルはエンジェを連れてこの場から離れようとする。
「嫌っ! 兄さまを置いてはいけませんわ!」
「だが、私たちに何ができるというのだ!」
「兄さまが……このままでは死んでしまいますわ!」
「なに!? 十分に戦えているように見えるが……」
「あんなに弱った兄さまを見るのは生まれて初めて……。強がっているだけで、毒は十分に効いているんですわ……!」
「しかし! その弱った兄にすら及ばないのが私たちであろうが! ここは兄の気持ちを……」
「パステルだけさっさとお逃げなさいな!」
エンジェが強くパステルを振りほどく。
地面に転がったパステルは、逃げるどころか立ち上がる気配すらない。
「まさか……あなたもう……!」
「修羅のしおりは素晴らしい。もっと言えば装備魔法は素晴らしい……かな。魔力で作られているだけあって気合で強度が増す。おかげで炎から命を守れたが、魔力を全部持っていかれた」
「そんな……魔力が枯渇すれば、立っているのもやっとのはず……!」
「その通りだ。さっきまでは頑張っていたが、もう立ち上がる気力もない。このまま、お前と一緒に兄の死にゆくさまを見守ろうではないか」
「なん……ですって! 兄さまがこのまま死ぬと!?」
「お前自身が言ったのだぞ」
「そう……ですけど……」
あの強い兄さまが死ぬはずがない。
なのに……エンジェの心のざわつきは収まらない。
兄をよく知っているからこそ、最悪の結末は見えている。
「わたくしは……どうすればいいの……」
「お前がゾイルを倒すのだ」
「でも、兄さまが勝てない相手に……私みたいな出来の悪い妹が勝てるはず……」
「確かにお前には大きな欠点がある! おまけに性格も悪い! 実力もないのに見栄ばかり張って、人を見下すことでしか安心を得られない愚か者だ!」
「えっ……!?」
「だが、それは今までの話だ。エンジェはみなを救えるだけの力を持っている。今ここで変わるのだ! 兄を……お前を慕う配下を……受け継がれてきた血を守るために!」
「パステル……」
「あいにく私はこんな状況でも呪文の一つも浮かんでこない。手伝ってやれなくてすまない……」
「別に構いませんわ! パステルもついでに私が守って差し上げます!」
立ち上がれないパステルを背負い、フレイアの方に向き直るエンジェ。
背中に感じる鼓動が体を落ち着かせる。
耳元で聞こえる息遣いが心を落ち着かせる。
そして、体を包む温かな光が魔力を落ち着かせる。
(なんですの……この光は……。とても温かくて、まるで抱きしめられているような感覚……。私の新たな魔法? いえ、こんなに体に馴染むのに自分の魔力ではないとハッキリわかる……)
自分の物ではない魔力が体に流れ込んでいるというのに不快感がない。
それどころか、自分の力のように扱える。
エンジェは手のひらを天にかざし、大きな火球を作り出す。
以前とは比べ物にならないほどの安定感をもった太陽を……。
(まさか、これはパステルの……!)
もうエンジェに迷いはなかった。
エネルギーはそのままに、太陽が手のひらサイズに圧縮される。
それを拳に握りしめ、倒すべき敵へ向けて解放した。
「
放たれた爆発的なエネルギーは白熱する光線となり、一瞬でゾイルだけを飲み込み蒸発させた。
その火力は魔王に断末魔の叫びをあげさせることすら許さなかった。
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