Page.7 試される魔王
「どういうことだエンデ。メイリは私に仕えたいからここに来たのではないのか?」
「それとこれとは話が別ってことかな。パステルのことを嫌いになっているようには見えなかったよ」
メイリはリビングを出てさっそく屋敷全体の掃除を始めた。
事態が飲み込めていない俺たちは、リビングに残って作戦会議の真っ最中だ。
「メイリが公私を混同しないほど真面目なのはわかった。しかし、そうなると私たちが認められる確率は極端に下がってしまうぞ! 少なくともメイリが今まで送り込まれた魔王の中には配下に優しい者もいた。環境もここより格段に良かったはずだ」
ここの魔王は戦えないし家事も苦手なパステル。
配下は戦闘能力はあるけど、頭は良くない俺一人。
人間界にどっしりと自分の居場所を作って何年も生き残っている魔王と比べるまでもなく、ここの環境は底辺だ。
セクハラや暴力が横行しているところよりはマシかもしれないけど、マシというだけで強みはない。
「それでも、メイリは絶対に仲間に引き入れたい。彼女は優秀だし、何より魔界で数少ないパステルの味方だった人だ。こんなに信用できる人はそうそういない」
「うむ、私たちなりの誠意を見せるとするか!」
俺たちなりの誠意。
それはメイリの仕事を手伝って極力負担を減らそうということだ。
一人だけやたらと仕事を押し付けられては当然不満がたまる。
俺たちも同じように働けば、忙しくても人手が足りないから仕方ないと思ってもらえるだろう。
でも、この作戦が案外逆効果で……。
「うむっ、美味い! メイリの料理は最高だな!」
「ふふっ、ありがとうございます」
お昼ということでメイリは屋敷の掃除を中断して俺たちに昼食を作ってくれた。
今まで俺が使っていた材料と同じものを使って作られたとは思えないほど絶品で、彼女をより手放したくないという気持ちが強まった。
そして、食後にメイリが皿洗いを始めると、パステルはその隣に立って手伝うそぶりを見せた。
「メイリ、私も自分の使った食器くらいは洗えるのだぞ」
「いえいえ、お構いなく。そのお気持ちだけで私は幸せ者です」
「そう言わずに少しくらい手伝わせてくれぬか?」
「……わかりました」
メイリが一瞬困った顔をしたのを俺は見逃さなかった。
パステルは案の定皿を割った。
自分で後始末をしようとするパステルを今度は強めに制止し、メイリはそそくさと割れた食器を片付けた。
やってしまった……と凹んだパステルはそのままぐったりとソファーに体を沈めた。
こんな感じで、とにかく俺たちはから回った。
洗濯物をとり込むのを手伝おうとして、乾いた洗濯物を湿った地面に落としてしまったり、掃除に使う水を入れたバケツを蹴飛ばしてしまったりと、普段できるはずのことも出来なくなっていた。
メイリの前では妙に緊張する。
もちろん良いところを見せようと普段以上に頑張っているせいもあるんだけど、単純にメイリにはオーラがある。
魔王すらも恐れないその威圧感は心は小物の俺とパステルを委縮させるのだ。
でも、失敗した後もメイリは怒らないどころか、むしろ手伝っている時よりも柔らかな表情になる。
なんともつかみどころのない妙な女性だ。
彼女のことを理解しきれないまま、俺たちは試用期間の最終日を迎えようとしていた。
「エンデ……メイリは素晴らしいメイドだ。きっと、メイリにはもっと輝ける場所があると思う」
「うん、そうだね……。だから、笑顔で送りだそう」
メイリを仲間にする覚悟は、この数日間でメイリを送り出す覚悟に変わっていた。
俺たちはあまりにも無様だった。
これでは人間のメイドさんでもしかめっ面で逃げ出すだろう。
それくらいに世話が焼ける二人だ。
改めて俺とパステルは似た者同士だと思った。
「パステル様、エンデ様、今日で一週間経ちましたね」
「うむ、今までご苦労だった。魔界に帰っても元気でな。きっと、メイリに見合う良い魔王がそのうち見つかる」
「俺たちも応援してるよ! 本当に今日までお世話になりました!」
別れはわかっていても悲しいものだ。
たった一週間の付き合いでも、メイリの存在は心に深く刻まれている。
俺たちは彼女のこれからが素晴らしいものであるようにと心から祈れる。
本当に今まで世話に……。
「私はこれからもパステル様にお仕えすることにいたしました」
メイリの言葉を聞いて、俺とパステルの頭に『?』の文字が浮かぶ。
何を言っているのだこの人は。
「私は魔界には帰りません。これからもよろしくお願いします」
「どういうことだ? 説明してくれメイリ。この一週間で私たちに何か評価できる点があったか? 初めから仕えるつもりで来たなら、なぜそれを最初に言わなかった?」
俺が思っているのと同じ疑問をパステルがぶつける。
メイリは俺たちに必要な存在だが、流石にこの行動の理由を明かしてくれなければ信用ならない。
混乱する俺たちにメイリが出した答えは……驚くほど納得のいくものだった。
「私の評価はダメダメであるほど上がります。だって、私は『私がいなければ生きていけない人』に仕えたいからです!」
「うむ! これからもよろしく頼むぞメイリ!」
「はい、パステル様! これからはこのメイリがずっとお側にいます!」
メイリはダメな子ほど好きになってしまう女性だった。
そんな彼女がパステルと出会ってしまえば、他の魔王で満足できるはずがない。
どんな魔王の誘いも断ってきた理由がハッキリした。
試用期間もあくまでパステルが昔と変わっていないか、多くの仲間を抱えていないかを確認するためのもの。
そこでの失敗はむしろメイリの評価を上げていたんだ。
人手が少ないのも好都合。
人が多いと一人一人の重要性はどうしても下がる。
自分がいなくてもどうにかなりそうな環境というのは、彼女にとって良い環境ではないのだ。
半分バカにされているような気もするが、彼女に悪意はないしダメダメなのは事実だ。
自分の弱さを認めた時、人は前に進めるんだ。
そう思うとなんだかいい話に思えてきたぞ。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
『ほう! メイリはパステル様に仕えることになりましたか! 理由も納得のいくものですね! なんてったってパステル様以上に世話の焼ける魔王などこの世に存在しませんもの!』
夜、メイリがちゃんと姿を現したかを確認するためにゴルドが通信をよこした。
彼も疑問だったメイリの行動の理由が判明してご満悦だ。
当のメイリ本人は今パステルを寝かしつけている。
リビングには俺と水晶のむこうのゴルドだけだ。
「メイリは結構自己主張が強いというか、我が強い人ですね。メイドさんって静かで控えめなイメージがありましたから少し驚きました」
「まあ、メイリは別段メイドしての教育は受けていませんからね。訓練といっても戦闘訓練ばかりでしたし。実際彼女はあまりマナーというものを理解していないでしょう?」
「そういえば……」
一歩引いた感じがないのはもちろんのこと、メイリは食事の時も同じテーブルを囲んで同じタイミングで食べていた。
パステルはとても嬉しそうだったから、彼女を喜ばすためにやっているのかと思ったけど、あれは天然だったのかも……。
本当のメイドさんは、きっとご主人様の隣でご飯は食べない。
『マナーというのは結局その場の力関係で簡単に捻じ曲がってしまうものですからね。エンデ様はフィンガーボウルの話を知っていますか?』
「フィンガーボウル……ってなんでしょう?」
『やっぱりご存じない! いえいえ、構いませんよ。むしろ好都合! フィンガーボウルというのは食事中に卓上で指を洗うためのボウルです。つまり、水が入っているのですが、その使い方を知らずに飲んでしまうお客様がいたのです!』
「ああ、僕みたいな人がですね」
『はい! でも、会食の場で指摘しては恥をかかせてしまう……。なので、そのお客様を招いた女王様も同じようにボウルから水を飲んで事なきを得たという話です』
マナーを守るならば指摘すべきだけど、人間関係を守るならば言わない方が良いということか。
そもそも、マナーというのはお互いが気持ちよく過ごすためのルールなのに、この場面ではそれに従うと問題が起こる。
でも、指摘しないとまたどこかで恥をかくだろう。
ふむ、情操教育に良さそうな話だ。
パステルに話したらどんな意見が返ってくるだろうか。
そして、ゴルドはなぜ今この話をしたのだろうか?
『この話だと優しさでマナーを捻じ曲げているので良い話に聞こえますが、これが冒険者ギルドの酒場で暴れている力だけは強い荒くれ者相手だとどうでしょう? 注意したくても弱き者には出来ないでしょう? 結局マナーなどというのはその場で強い者に従うことなのですよ』
なるほど、まさに魔界って感じの考えだけど俺にも覚えはある。
忘れもしないアーノルドとの魔境探索で、俺は自分の地図の見方に自信があったのに冒険者としてアーノルドの実績が上だったから疑いもせず彼に従った。
結果、生まれたのは死だ。
もしも俺が彼と対等な冒険者なら、間違いを指摘しただろう。
「でも、メイリは魔王の幹部として売り込むのが目的だったんですよね? なら、強い者に従うことも必要なんじゃ……」
『その通りです! 実をいうと、かつてメイリを魔王にしようという計画があったのですよ。私はいろんな魔王に人材を提供するという立場上、覇権争いでも中立ですが一度は自らの手で魔王を育ててみたいと思いましてね』
「魔王って育てられるものなんですか? 冥約のページは努力で生み出せるものではないって、パステルが言ってたような。1から2へとページを増やすならまだしも、0から1は……」
『ええ、だから他の魔王から奪い取らせる気でした。私だって魔族! たまにはやんちゃしたくもなりますってね!』
「まさか、パステルのもとにメイリを送り込んだ理由は……」
『いえいえいえ! パステル様を殺そうなどという気はありませんよ! 魔王化計画は私の頭の中の段階で中止されましたから。というのも、メイリがそもそも魔王向きの性格ではないのです。彼女は種族としてはサキュバスに分類されるのですが、性欲よりも庇護欲……母性が強い子なのです』
「えっ!? メイリってサキュバスなんですか!?」
『あらあら、魅了されていたことにお気づきではありませんでしたか』
サキュバスは淫魔とも呼ばれ、男性にいやらしい夢を見せたり、実際にエッチな事をして精気を吸い取ってしまうモンスターだ。
人間を虜にするだけあってその容姿は美しく、知能も高い。
魔力量も人間よりはるかに多くて魔法も得意。
性質上やたら人間を傷つけはしないから見逃されているけど、かなり強いモンスターだ。
本来なら黒い翼や長い尻尾が生えているはずなんだけど、メイリはそれを隠していたんだな。
でも、その種族特有の色気だけは隠せなくて、俺も完全に彼女に魅了されていた。
彼女の襲う魔王が多いのも納得だ。
サキュバスメイドなんて絶対そっちの目的も許してくれる女性だと思ってしまう。
『メイリは通常のサキュバスと違い精神的な満足感、誰かに必要とされる充足感を強く欲します。そして、その必要とされる理由に性欲が強く含まれていると抵抗するのです。あの体で欲情するなと言われても困るのでしょうが、パステル様のもとでなら彼女も活躍できるでしょう』
ゴルドはしみじみと語る。
利用価値がなかったパステルを放置していた彼が、メイリにはこれだけの愛情を注ぐ。
それだけメイリが優秀だという証明だ。
上手く付き合っていけるだろうか……。
『それになんと言ってもエンデ様は小さい子にしか興味がありませんからね! メイリも安心して働けることでしょう!』
「そうですね……って、俺は別に小さい子しか愛せないわけじゃありませんから! 何を根拠にそんなこと言うんですか!」
『え? そりゃパステル様を見る目ですよ! 愛のあるまなざしとはあの事です。あなたは彼女のことを愛していますよ! 年齢とか関係なく一人の女性としてね!』
「愛しているかは置いておいて、年齢とか関係ないならやっぱり小さい子にしか興味がない根拠にならないでしょう!」
「あっ……そうですね! こりゃ一本取られました! アハハハハハハ!!!」
パステルと話しているところを見ているだけで体力を持っていかれるのに、実際一対一で話すととんでもないなぁ……。
以前より饒舌なのもあって俺はぐったりしてきた。
『さて、私はこれからも仕事があるのでそろそろ失礼させていただきますよ。今回の通信内容を総括すると、メイリはメイドではなく異常に世話好きのお姉さんだということです。強引に甘やかそうとしてくるので油断すると幼児退行させられますよ。そういう意味では彼女も人を堕落させるサキュバスなのです』
最後に恐ろしいことを言ってゴルドは通信を切った。
そう言われても、今はとっても誰かに甘えたい気分だ……。
「エンデ様、お疲れ様です」
「うわああああああっ!!」
ソファから飛び上がる俺。
メイリが急に耳元でささやいてきたんだ!
いたずらっぽい笑みをうっすらと浮かべて……これは確信犯だな。
「パ、パステルは眠った?」
「ええ、ぐっすりです」
「じゃあ、俺もそろそろ寝るとするかな。メイリも今日はもう仕事ないだろうし……」
「いえ、まだエンデ様を寝かしつけるという仕事が残っています」
メイリがギュッと俺を抱きしめ、顔に大きな胸を押し付けてくる。
病みつきになりそうなほど柔らかくて、ほんのりと甘い香りがする。
でも、不思議とムラムラとはしてこない。
どこまでも深い眠りに落ちていきそうな、心から安心できる感覚……。
「私が来たからには、もうエンデ様がすべてを背負うことはありません。私にすべてお任せください」
優しく頭を撫でられる。
こんなこと何年ぶりだろう……。
いや、そもそもこれまでにこんなに優しく抱きしめられることがあったか?
親もいない俺が……。
このままメイリにすべて任せてしまいたくなる。
でも、それはダメだ。
「メイリ、こんな状態で言うのもなんだけど、俺はパステルを守りたいと思ってる」
「はい、ともにパステル様を守っていきましょう」
「俺とメイリだけでもダメなんだ。俺はパステル自身にも成長してほしいと思っている。だから、もし君がパステルが変わっていくことを望まないなら、悪いけど俺がメイリを魔界に帰す」
「そ、それは……」
初めてメイリが焦ったような表情を見せる。
俺自身酷い言い方だと思う。
彼女の性格をわかっているのに、それを否定するようなことを言った。
しかも、俺たちはこの一週間彼女に甘えっぱなしだったのに。
「俺はずっとパステルの側にいるつもりだ。でも、これから一緒に生きる長い時間の中で、きっと少しは離れている時も出てくる。メイリだってそうだ。そんな時、パステルを守れるのはパステルだけなんだ。だから、彼女には強くなってほしい」
俺には強くなり方がわからない。
今の力は託された力であって、俺が努力で身につけたわけじゃない。
でも、メイリは違う。
彼女の訓練で身につけた魔王にも迫る力はきっとパステルのためになる。
「いろいろ教えてあげてほしいんだ。それこそ美味しい料理の作り方とかからでもいい。俺じゃそんなことも教えてあげられないからさ。メイリだけが頼りなんだ。パステルは成長したからってメイリを手放したりしないよ。むしろ、ずっと側にいてほしいって思うはずだから」
「もう……十分です。エンデ様がパステル様を想う気持ちは十分伝わりました。私もそれに応えようと思います。私だって、ただパステル様が手のかかる子だから好きなわけではありません。パステル様は昔から私が何かするたびに感謝の言葉をくださる優しいお方でした。だからこそ、なんでもしてあげたいと思ったのです」
メイリは抱きしめていた俺を解放する。
その顔はいつもの優しい微笑みに戻っていた。
「エンデ様も含めて、よしよしするのは何かを頑張った時にしますね」
「え、俺も? まあ、確かにゴルドにも訓練されていないって言われたから頑張らないとなぁ」
「はい、明日からはパステル様と一緒に魔力制御の訓練です。頑張ったらまたギューッとしてあげます。ダメな時には……ふふふ」
「ど、どうなるの?」
「いえ、なんでもありません。訓練は朝に行いますから、早めに休まれた方がよろしいかと。それではおやすみなさい。良い夢を……」
メイリは上機嫌で自室に帰っていった。
彼女が話の通じる人で良かったけど、これは明日からガラッと生活リズムが変わりそうだ。
事情を知らないパステルは驚くかもしれないけど、これも彼女のためだ。
それに俺もうかうかしてられない。
俺に求められるハードルはパステルよりもずっと高いはずだ。
あれだけメイリに偉そうなこと言って、ろくに言われたことも出来ませんじゃお仕置きされてしまう。
彼女の性格的に嬉しいお仕置きでは決してないし、気合入れて頑張らないと。
とにかくまずは早寝だ。
明日やることがあると思うと、その日の俺の寝つきは普段よりも良かった。
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