Page.12 欲望の冒険者

 地方都市マカルフ。

 豊かな自然と栄養豊富な土壌のおかげで農業が盛んな町である。

 場所は大陸のはずれだが、土地は平坦で住みやすく周辺地域に出没するモンスターも比較的危険ランクが低いとされている。


 町の近くには魔境『毒霧の迷路』が存在するが、この魔境は特別環境が特殊なため、魔境内で独自の生態系を築いている。

 そのため、魔境に住むモンスターが外に出てくることは滅多にない。

 魔境近くの町でありながら、住みやすい町と言われるのはそのせいだ。


 農業で暮らそうとする者、比較的安全な地域で経験を積もうとする新人冒険者、静かに余生を過ごそうという老人……。

 あらゆる人々がマカルフには流れつき、地方でありながら都市と呼べるほど栄えていた。


 そんな町の夜。

 ある区画に存在する酒場を貸し切って、冒険者の一団が酒を酌み交わしていた。

 みなそれなりに経験を積んだ中堅冒険者の若者たちだ。

 その一団を取りまとめるのは、人ごみの中でも目立つ赤髪の青年アーノルドだった。

 魔境探索をメインとするA級冒険者で、その実力は現在のマカルフでギルドマスターに次ぐNo.2と言われている。

 しかし、中には本気を出せばギルドマスターよりも強いと言いふらす者もいた。

 アーノルドもそれを強くは否定しない。


 特に今日のような酒場を貸し切って身内だけで楽しむ場では、過剰な持ち上げだろうとアーノルドは気分よく聞いていた。

 彼自身にもそれだけの自信はあるのだ。


「以前に魔境で集めておいた素材は大体売り払えやしたねアーノルドの兄貴! これで心置きなく酒が飲めるってもんよ!」


 アーノルドの仲間たちも気分よく酒をがぶ飲みする。

 そんな中、アーノルドだけは少し物思いにふけっていた。


「心置きなく……か。俺たちの金脈だったあの魔境に変化が起こってるってのにのんきなもんだ」


 あれ以来『毒霧の迷路』はとても迷路とは言えない構造になってしまっていた。

 無害な霧と猛毒の霧が不規則に入り乱れ、地道に作り上げた迷路の地図もすべてパーになった。

 今となっては素材集めのために立ち入るにはリスクが高すぎる土地だ。


「でもアーノルドさん、俺たちには自然の気まぐれをどうにかする力はないっすよ! どうしようもないことを悩んだってしょうがない! 明日からは新しい金脈を探すとして、今は楽しく飲みましょう!」


「ふん……あんな最高の金脈はそうそう見つからないさ。町から近く、見つかる物は大体有用。俺は何とかまたあの魔境を探索するつもりだ」


 仲間たちは顔を見合わせる。

 何をそんなに一つの魔境にこだわるのだろう……と言いたげな顔だ。

 無論アーノルドにもそれは伝わり、彼を少しイラだたせる。


「おいおい、ほとんどの奴が俺の意図がわからないままクエストに参加してたのかよ。俺もまだまだ人を見る目が甘いってことか。いや、他人に期待しすぎなのかねぇ」


「そこまで言うなら教えていただけませんか?」


 アーノルドに疑問を投げかけたのは、この一団の中で比較的付き合いの浅い冒険者だった。

 一瞬ピリッとした空気が流れるが、意外にもアーノルドは彼の疑問に素直に答えた。


「あの魔境で採れる素材ってのは大体毒物なのよ。毒ってのは薄めれば薬にもなるし、毒のままでも研究材料として非常に有用だ」


「それはわかります。今回も素材は高く売れました。ですが他にも高価な……」


「待て待て。俺に気持ちよくしゃべらせてくれ。薬ってのはさぁ……命を支えるもんなのよ。傷を癒やして病を治す。人間が生き物である限り絶対に求め続けるもんだ。需要がなくならないってこったな」


 アーノルドはグラスになみなみ入った酒を飲み干して、すぐに次をそそぐ。


「浅い傷が治せる薬が出来たら、そのうち無くなった腕が生えてくる薬が欲しくなる。軽い病気が治せる薬が出来たら、今度は不治の病すら治せる薬が欲しくなる。そうやって無敵の不老不死になるまで人は薬を求め続けるだろうさ」


 グラスから酒がこぼれる。

 「おっとと」と言ってアーノルドはそそぐのを止める。


「まあ、酔った俺のキザったらしいセリフは忘れてくれ。何が言いたいかというと、永遠に稼げる可能性のある素材の入手場所を簡単に手放したくないんだ。それに薬は自分自身の冒険の助けにもなるし、あれで結構モチベの維持にも繋がってたんだ。Aランクともなると金に余裕が出来るから魔境になんて行きたくなくなってくるしな」


「感服しましたアーノルドさん! 流石医者の卵だっただけありますね! 確かに人間は誰だって……」


 そこで質問者の男は、先ほどの比ではないほど空気が張り詰めているのを感じた。

 原因はアーノルドだ。彼のグラスを持つ指先が震え、グラスから中身がこぼれだす。


「今お前……俺のことを医者のなんて言った……?」


「ひっ……! いえ、その……医者のたま……」


 その言葉をまた繰り返そうとする男の声を遮って、アーノルドとの付き合いの長い冒険者が別の話題を強引にねじ込む。


「そ、そうだアーノルドさん! あの魔境にまた行く理由はわかりましたが、それはいつ頃にしやしょうか? 今は霧が不安定ですし、何か月か置いてから向かいやすか?」


「んっ……そうだなぁ……。明日にでも行ってみるか」


「あ、明日!?」


「善は急げって言うだろ? いつかチャンスが転がり込んでくると思ってるトロ臭い奴は、一生そのままで死んでいくぜ? あいつみたいにな!」


 仲間たちは張りつめた空気を壊すようにざわざわと驚きの声を上げる。

 本当はどんな答えでもざわついて空気を変えるつもりだったが、この答えにはほとんどの者が素直に驚いた。


「お言葉ですがアーノルドさん……今の迷宮は危険だと……」


「わかってるって! なにも考えなしに善を急いでるわけじゃねぇさ。どうしても試したいことがあるんだ」


「と、言いますと?」


「あの魔境の近くを通った他の連中の話では、魔境の霧自体が薄まっているらしい。以前は無理だった風魔法のバリアによる探索は可能になってるかもしれん」


 体の周りに風を吹かせて身を守るというのはポピュラーな魔法である。

 迷路の霧に対してもこれが有効かどうかを試したことがあるが、以前は迷路を維持する謎の力の方が強く、毒霧の壁に突っ込むとバリアが崩壊して大惨事になった。

 だが、今は迷宮そのものの力が弱まっているとアーノルドは考えていた。


「もし風で霧から身を守りながらの探索が可能なら、以前よりも魔境の難易度は下がる。早めに検証するしかないだろう。こんなうまい話はさぁ……。さいわい新しい捨て駒は基本的な風魔法の心得がある。そいつにやらせてダメなら捨てればいい」


「魔境調査に犠牲は付き物……ですね」


「その通り。魔境に入って犠牲が一人で済めば偉い方だ。だが、俺はその先を行く。初めから捨てる奴を決めておけば、最も効率的な行動が出来るのさ。死んだ奴も無駄死にじゃない分、スッキリ死んでくれるってな!」


 アーノルドは心底楽しそうに話す。

 彼との付き合いが長い者でも、この顔を見ると自分も捨て駒の一つなのではないかという錯覚に落ちる。

 ただひたすらに個人の利益を求め続ける純粋な欲望の塊。

 ある意味、彼に悪意はないのかもしれない。


「ということで明日から魔境『毒霧の迷路』の探査に向かうのは決定! ただ、少数精鋭で行く。不安定な場所なのは確かだし、大人数で行っても危険なだけだ」


 アーノルドはその場で風魔法の使い手を中心にメンバーを指名していく。

 念のため薬を多く持っていくので力自慢も二人選ばれた。

 いま指名された彼らは捨て駒ではない。

 捨て駒を身内の宴には呼ばない。


「いま呼んだ奴ら以外は明日休みだ。好きなだけ飲んでよし! 呼んだ奴らも後日休みとボーナスをやるから張り切って頼むぜ! 俺は風魔法は専門外だからな。本当に頼りにしてるぜ」


 一時は張りつめてどうなる事かと思われた宴の席も、この頃にはみなアーノルドの言葉を大人しく聞くようになっていた。

 アーノルドはその光景を見て心底嬉しそうにほくそ笑んだ。

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