Page.25 魔界令嬢エンジェ

 エンジェ・ソーラウィンド。

 彼女こそがこの謎の軍団のリーダーであり、魔界名家のお嬢様らしいけど、それ以外のことは何も聞かされていない。

 ただ俺たちは彼女の配下を殺さずに拘束しろとパステルに命令されただけだ。


 手加減するとなると、それなりに力の差が必要になる。

 魔界のお嬢様が率いる軍団なんて聞かされると、手強いんじゃないかと不安になったけど、実際戦ってみるとなんともお粗末な動きだった。

 これならマカルフの冒険者たちの方が一回りは強い。


「あ、あなたは……パステル! パステル・ポーキュパインではありませんの! 本当に本物!? どうしてこんなところに!?」


「無論、本物だ。お前こそ本当にエンジェなのか? 雰囲気が違うぞ」


「はっ! わたくしのような美しく気品に溢れる淑女が何人もいるわけありませんわ! 正真正銘のエンジェ・ソーラウィンドその人ですわ!」


 髪の毛をファサァ……と払いのける仕草をするも、ずぶ濡れなのでべたべたの髪の塊から水滴が飛ぶだけだ。

 でもまあ、その振る舞いからは気品を感じなくもない。


「そうだな、話しているとお前はエンジェだとわかる。それで何故お前はここにいる?」


「何をおっしゃっているの? あなたとわたくしは魔王学園の同級生! 同時期に人間界に来ていてもおかしくありませんわよ!」


「そうではなく、どうしてこの迷宮の前にいる? それも何日間も滞在しているようだが?」


「迷宮を見つけたから修羅のしおりを求めて挑む! それだけの話ですわ! 魔王とは常に強さを求めるもの、わたくしとて例外ではありませんの! 何日も滞在しているのは……じーっくり物事を進めているだけですわ!」


「ふーん、そうなのだな。で、どうやってここを見つけた。偶然見つけたというのならば、お前の生活拠点はここから近いのか? それとも誰かに教えてもらったのか?」


「それは……そこまで教える義理はありませんわ!」


「私はメルの情報提供でここに来た」


 パステルの言葉にエンジェがギョッとする。

 同じように俺も驚く。

 それ言っていい情報なの!?


「メ、メルから聞いたですって? あの方は本当に……あっ、メルって誰ですの!? 勇者と関係を持ったことは一度もありませんわ!」


 エンジェはじたばたして言葉を取りつくろおうとするが、バレバレだ。

 パステルはメルのことを『勇者』とは言っていない。

 つまりエンジェもまたメルの情報提供によりここに来ている可能性が高い。


 これが何を意味するのか……。

 案外エンジェに情報を流したことを忘れて、パステルにも伝えてしまった説が正解かもしれない。

 そうでない場合は……エンジェはメルとすでに協力関係で、何かの目的でここに配置されている。

 パステルが来るのを待ち構えていたということだ。


 しかし、エンジェを置いておく意味がまるでわからない。

 彼女はおそらく隠し事が超苦手だ。

 メルの存在を隠しつつ、パステルを罠にはめるなんて絶対に無理だ。


 今だって失言をしたせいか顔を赤くして喋らなくなってしまった。

 これでは失言に気づかない勘の鈍い人でも『あっ、この子は何かまずいこと言ったんだな』と思ってしまうだろう。

 おまけに執事さんの方も額に手を当てて『やってしまった』感が溢れ出ている。

 二人はお互いの弱点をカバーするというより、似た者コンビのようだ。


 そうなるとエンジェがここにいる理由は、彼女が話したことそのままなのかもしれない。

 ただ強さを求めて挑戦を続けているんだ。


 でも、それだとメルの真意が読み取れない。

 うーん、みんな素直に全部話してくれればいいのに。


「あの……わたくしそろそろシャワーを浴びたいのですけど……。風邪をひいてしまいますわ……。あと、私の配下たちの拘束を解いてくださらない? 襲いかかる根性などないかわいくて出来の悪い子たちですのよ。パステルだって知っているでしょう?」


「確かに何人か魔界で見た顔がある。拘束は解かせてもらうし、軽い怪我も治療しておく。ただ、迷宮には入らせてもらうぞ。そして『しおり』は私がもらっていく」


「はっ! やってみればよろしいですわ! 私ですら無理なことを学園始まって以来の落ちこぼれだったあなたに出来るはずありませんもの! 失敗したってシャワーは貸してあげませんわよ!」


 ぷいっと顔をそむけると、エンジェは配下を一人一人配下を引っ張り起こし、野営地の奥に引っ込んでいった。

 そろそろ一番の疑問の答えを知りたいところだ。


「パステルと彼女はどういう関係なの?」


「魔王学園ではいじめっ子といじめられっ子の関係だったな」


「えっ? その割にはなんだか仲よさそうだったけど……。エンジェの方もパステルのことを嫌っているようには見えなかったし」


「ふふっ、確かに嫌ってはおらんだろうさ。あいつにとって私は必要な存在だからな。ただ、こちらとしては迷惑極まりない女だったのだ」


 パステルが語るエンジェの真の姿。

 彼女もまたパステルと同じ落ちこぼれなのだ。


 魔界の名家というのは優秀な者同士で結びつき、さらに優秀な子孫を残して気の遠くなる月日の中、血を絶やさずに生き残ってきた。

 厳しい環境の魔界においても、争いを繰り返してきた人間界においても、血を残し続けるというのは難しいことだ。

 ゆえにソーラウィンド家を含む名家は魔界でもおそれられている。

 その名を口にすればだいたいの魔族がうわべだけでも媚びへつらう。


 だが、その本質は尊敬よりも力に対する恐怖だ。

 魔界の絶対の価値観は強さ。

 強い子孫を生み続けるからこそ名家なんだ。

 子どもは生まれてきた瞬間から期待され、強くなって当然という扱いを受ける。


「そんな中でエンジェは魔神の生まれ変わりと言われるくらい恐るべき赤子だった。産声とともに産婆を丸焼きにしたとかいうウワサも出るくらいだ。もっとも出産に立ち会ったわけではないので真実は知らんがな」


 エンジェは圧倒的な魔力と共に冥約のページまで持っていた。

 魔界では『ソーラウィンドが魔神を生んだ』と騒ぎに騒がれ、当然ソーラウィンド家も期待を膨らませ、エンジェが物心ついてからは厳しい教育を行った。

 しかし、期待とは裏腹にエンジェの大きな欠点が浮き彫りになった。


「エンジェは恐るべき魔力を持っているが、それを制御できんのだ」


「それは魔力はあるのに使える呪文はないってこと?」


「いや、本来の威力の数倍に膨れ上がり暴走するのだ。敵味方どころか自分をも巻き込み、どこへ飛ぶのかわからずに跳ねまわったりする」


「それは……マズイね」


「ただ、ここまでは良くある話だ。才能を持って生まれた者が、その才能を使いこなすために努力する。しかし、エンジェの才能は規格外すぎた」


 極端な例をあげると、エンジェが魔力制御の能力を2倍成長させたとすると、魔力そのものが5倍になっているらしい。

 これではどんなに努力しても制御が追いつかない。

 そして、この傾向は年を追うごとに酷くなった。


 身内からもエンジェを諦める者が現れ、諦めない者はさらに厳しい指導を行った。

 そのプレッシャーからエンジェの魔法はさらに暴れ、もう何年も抑えることだけに気を使った半端な魔法を使い続けている。


 それでもソーラウィンドの名を持つ彼女は表ではお嬢様扱いだ。

 家が強いので面と向かってバカにすれば何をされるかわからない。

 しかし、裏では確実にバカにされているだろう。

 繊細な彼女はそれを気にしてまた心を乱す。


「とまあ、長々とエンジェの身の上を語ったうえで言わせてもらうが、私はそれでもエンジェが嫌いだ!」


「まあ、パステルは身内もいないし暴走どころか魔法すらないからね……」


「そこではない! エンジェはとにかくプライドだけは高くて勝負となると負けたがらない。だから、どんなことでも絶対に勝てる私を常に対戦相手にしておったのだ! お陰で私は学園時代に勝利を味わったことがない!」


「でも、同じ落ちこぼれのエンジェに勝てないんじゃ、対戦相手を変えても勝てないんじゃ……」


 パステルが目を丸くする。

 それは盲点だったとでも言いたげな顔だ。


「ふむ、一理ある。エンジェに対する恨みが一つ減ったな。とはいえ、常に私の隣をキープして腕まで掴んで逃さないようにしてたのは単純にうっとおしかったぞ!」


「パステルがエンジェにとって必要な存在っていうのはそういうことね。でも、やっぱり二人は仲が良さそうに見えたよ。パステルだって本当はそんなに恨んでないんでしょ?」


「私はみんなと出会って変わったのだ。今は過去にあった辛いことも許せてしまえそうなくらい幸せだ。だが、エンジェは変わっていない。まだストレスのはけ口として私を求めているように思えた。それがとても……かわいそうに見えた」


 俺もなんとなくエンジェに違和感は感じていた。

 彼女の顔を見続けていたけど、一度も目が合わなかったんだ。

 配下が地面に転がされているというのに、エンジェはまるで気にせずパステルに釘付けになっていた。

 配下の中にはピクリとも動かずに気絶している者もいた。

 はたから見れば殺されたように見えてもおかしくないのに、失言後にやっと気にしたくらいだ。


 いじめていたパステルが強くなって復讐しに来たとはまるで考えていない。

 パステルは無害で、絶対に自分より弱くて負けてくれる存在と思い込んでいる。


「パステルがしおりを手に入れたら、エンジェはどういう反応するのかな……」


「気にすることはない。問題を抱えているのはこちらも同じだ。現に私はエンジェよりも弱い。しおりを手に入れて一歩前に進むのだ。そのためにはみんなの力がいる。いつも頼ってばかりだが、今回もついてきてくれるか?」


「ここまで来て帰るって言う人はいないさ。ね、みんな?」


「ええ、すべてはパステル様のために」


「まっ、迷宮が怖いんなら初めからついてこないってな」


 メルとの関係も含めてエンジェのことは気がかりだけど、『修羅のしおり』を譲る気はない。

 俺にとって何よりも優先されるべきはパステルだ。

 彼女を強くすることが、何より彼女の身を守ることになる。


 そのためならば、神に挑むことすら怖くない……と言うのは言いすぎだ。 

 誰が相手でも戦いは怖いし、できれば避けたい。

 しかし、迷宮ではそうもいかないだろう。

 俺は覚悟をもって迷宮の扉を押し開けた。

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