Page.27 しおりは誰の手に

 ゲーゴシンと名乗った女性は、巨大カエルの舌を滑り台のようにして地上へと降りてきた。

 カエルの口の中にいたからなのか、本来こういう種族なのかわからないけど、とにかくべちょべちょした人だ……。


「そんなに身構えなくてもよいぞ。修羅神などという大層な名は周りの奴らが勝手につけただけだ。ワシらは神でもなんでもない。ただ、戦いを好む者だ。今回のおぬしらの戦いっぷりはなかなかのものだったぞ」


「と、いうことは……」


「うむうむ、心配せんでも修羅のしおりは渡してやる。ただし、与えられるのはおぬしら四人の中の一人! その者はもう決まっておる! ズバリ、おぬしだ!」


 ゲーゴシンがビッと指をさす。

 その先にいたのは……。


「私ですか」


「そうだぞ乳デカメイド! 喜ぶがよい!」


 メイリか……正直妥当な判断だ。

 彼女がこの迷宮攻略で一番活躍していたのは誰もが認めるだろう。

 しかし、それではここに来た意味がない。


「私は辞退させていただきます」


「なぜだ!? わざわざ危険な迷宮を攻略したというのにしおりがいらんとは!」


「いらないわけではありません。ただ、私ではなく……」


「はっはーん? 他の奴らに渡せと言うのだな? ふん、まあメイドが主人を差し置いて受け取るわけにもいかんか。で、この男に渡せばよいのか?」


「いえ」


「じゃ、こっちのピンクか?」


「いえ」


「……じゃ、誰に渡せばよいのだ!?」


「ここにもう一人おるだろ!」


 しびれを切らしたパステルが名乗りを上げる。

 ゲーゴシンは本当に存在に気づいていなかったように「うおっ!」と驚く。


「おぬし本当に最初からおったか?」


「いたぞ! でなければここに来れるわけがなかろうが!」


「うむ、まあそうなのだが……。どうも印象が薄いのう……。おぬし大して戦っておらんだろう?」


「ぐぅ……そうだが……」


「ワシはさっきも言うた通り戦いが好きなのだ。戦っていない者は印象が薄いし、あまりしおりを渡したい気分にもならんな。おぬしも仲間に戦わせて何もしてないのに褒美だけ受け取るのは心が痛かろう?」


「それは……そうだが……」


「修羅神は一人にしおりを渡したら、その者が死ぬまで他の誰かにしおりを与えることはない。だから、こちらとしても心の底から認める者に渡したいのだ。その点、あのメイドはとても良い。才能にあふれ、戦うために鍛えられておる。それでいてあの美貌だ。傾国の美女とでもいうのか……争いを生みかねない姿だ。まあ、見た目だとおぬしも負けておらんがな」


「むう……」


 まずい、予想通りの展開になった。

 ここはメイリの方からパステルに助け舟を出すようにジェスチャーをする。


「ゲーゴシン様、お褒めの言葉は大変ありがたいのですが、私はしおりを受け取れません。私だけでなく他の者も同じです。このパステル様にしおりを授けてもらうために私たちはここに来たのです」


「ふーむ……本当にいいのか? 特にそこのやんちゃそうなピンクのは物欲しそうな顔をしておるぞ」


「さっきから聞いてればピンクピンクって、俺は桜色だっつーの! 名前はサクラコ!」


「で、ピンクの。おぬしはどうなのだ? 本当にしおりが欲しくないのか? そう簡単には手に入らんぞ~?」


「欲しいかと聞かれれば欲しいさ! レアものっつーか、限定品ってのは特に必要なくても買いたくなる! ただ、本当に必要としている奴がいるなら俺は喜んで譲るさ。それが今ってわけよ。俺には自分だけの武器がある。まだ何の武器も持ってないパステルにしおりを渡してあげてくれ」


「ほう……。何の武器もないということはおぬし白紙の魔本を持っておるのか?」


「その通りだ。情けない言い訳になってしまうが、私に巨大な石像を砕く力はない。後ろで大人しくしているのが、今の私の精一杯だった」


「なーるほど! スッキリした! おぬしもおぬしなりに頑張っていたということで、しおりを授けてやろう!」


「ありがとう、感謝する」


 修羅の神なんていうから話の通じない相手かと思ったけど、そっちの予想は外れてよかったよかった。

 それにしても、俺にはしおりがいらないのか聞いてこなかったな……。

 もちろん、いらないけど。


「そういう顔をしておったから聞かなかったのだ。時間の無駄だからな」


 こ、心を読まれた!?


「安心せい。神などと呼ばれていても心は読めんよ。ただ単純にお前は顔に出やすいタイプだから気をつけるのだぞ。状況によってはパステルの存在をお前の表情から悟られる。自分以外に守るべきものがあると、顔つきが変わるからな」


「は、はい! 覚えておきます!」


 戦闘に入る前にパステルを隠したのに、ちらちら隠れたところに視線を送ってたらバレる……みたいなことかな。

 これからはどんな時も表情を崩さぬクールな男でいかないとな!


「くくく……これは面白い男だのう」


 キリッとしたつもりなのに、なんで笑われたんだろう……。


「さーて、私のコレクションの中からパステルに最適なしおりを選ぶとするかのう」


 ゲーゴシンが具現化したのは巨大な魔本だった。

 魔本というのは人によってサイズやデザイン、厚さも違うのだが、ここまで大きなものは見たことがない。

 高さは1メートルくらいあるし、厚さもパステルの腰くらいある。

 パステルの腰はかなり細いけど、それでも本としては分厚すぎる。


「んーっしょと……」


 開かれた本の中にはたくさんのしおりが収められていた。

 なるほど、分厚さの原因はこれか。

 しおり自体は通常の魔本に合うサイズだけど、何枚も挟まっているせいで魔本が膨らんでいるんだ。


「何もできないということは、なんでもできるということ。あまり何かに特化した効果を持つしおりを渡しては、おぬしの可能性を制限することになる。つまり、ある程度なんでもできる効果を持つしおりを選ぶならば……これだ!」


 シュッとしおりを投げるゲーゴシン。

 珍しくパステルが機敏に反応し、それを指で挟み取った。


「これが私のしおり。そして、初めての力……」


 サクラコのいう『わびさび』という言葉は、このしおりにも適応されそうだ。

 優しく降る雨とたたずむコートを着た人、カエルと蓮の葉が描かれている。

 この迷宮で手に入れましたと一目でわかるデザインだ。


「早速使ってみても良いか!?」


「それはダメだ」


 珍しくテンションが高いパステルのお願いは速攻で却下された。


「なぜだ!?」


「しおりの交換をせがんでくる者がおるからだ。ワシがその者に合うのはそれだと選んだのだから大人しく受け取れば良いのだ。効果は帰ってから確認せい。それに使い道がすぐに理解できないからと言ってなんでも聞いてくる者もおったなぁ。自分で考えねば成長はないというのに」


「ぬぅ……すぐにでも確認したいが、このしおりをくれたおぬしが嫌がるのならば仕方がない。帰ってから確認するとしようぞ」


「それでよい! ワシは間違いなく最適なものを選んだつもりだ。自分なりに考えてその力を使うのだぞ。素直に願いさえすれば必ずおぬしの力になってくれる。どうしてもダメな時は……ヒントくらいはやるぞ」


「何から何まで……本当に感謝している」


「これくらいしかやることのない暇人だからな、修羅神ワシらは。さて、来た道を引き返すのも面倒な構造になっておるから、魔法でちょちょいと入り口まで送ってやろう! 迷宮ダンジョンっぽいだろ? あ、おぬしらにはわからんか」


 光が俺たち四人を包み込む。

 いきなりのことだったので、俺たちは口々にお礼を言いながらの別れとなった。

 修羅神……直接会ってさらに謎が深まる存在だ……。




 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆




 俺たちを包む光が消えると、そこはダンジョンの入り口である扉の前だった。

 振り返って塔を見上げて見ても、この中を冒険していたとは思えない。

 まさに異次元空間だったな……。


「さて、すぐに屋敷に帰ってしおりの効果を試そうと言いたいところだが、あいつに報告してやらねばならんよなぁ……」


「言ってあげないと、これからも無意味にここに居座ることになりそうだしね……」


「気は乗らんが行くとするか」


 エンジェの配下はのんきなものだ。

 俺たちに一度は完全敗北したというのに、エンジェの居場所を尋ねると気前よく答えてくれた。

 もうすでにあの事を忘れているのか、水に流しているのか。

 大物なのか、小物なのか、判断に困る。


「エンジェ、ここにいるのか?」


 野営地の中心、一番安全なところにある大きなテントの前で声をかける。

 すぐに高飛車なあの声が返ってきた。


「いますわよ! 入ってらっしゃい!」


 なるほどボスも気前がいい。

 お言葉に甘えて入ったテントの中には、バスローズを着て椅子にもたれかかるエンジェと彼女をうちわで扇ぐ世話役の女性たちがいた。

 こんな状況だからか、男で執事のキューリィって人はいないみたいだ。

 ということは俺もいちゃダメ?


「あ、あら……殿方もいらっしゃったのでしたっけ……。わたくしったらなんてはしたない姿を……」


「あー! お構いなく! 俺たちが出ていきます!」


 やっぱりね。

 俺はサクラコの腕を掴んでテントの外に出ようとする。

 レディを辱めるものではない。

 しかし、レディを辱めるために進化したサクラコは抵抗する。


「あら~、わたくしは女ですわよ~?」


「心は男でしょ」


「ちょいちょい! 言わなきゃバレないこと言うなよ!」


「彼女が恥ずかしがってるから出るよ」


「それが良いんだろうが! あの良いもの食っていい感じに育った体を恥ずかしそうに隠してるところがさ! 気の強い女が恥じらってる姿が俺は大好きなんだよ!!」


「わかるけどさぁ!」


「エンデ、サクラコ、少し黙っていろ。話はすぐ終わる」


 パステルは懐からスッと静かにしおりを取り出してエンジェに見せた。


「私のものだ」


 エンジェも何度か迷宮に入ったことがあるなら、そのデザインでしおりが修羅神から授けられた物だとわかるだろう。

 もう彼女が迷宮に入っても、しおりを得ることは出来ない。

 それどころか、もう迷宮は閉じられているかもしれない。


「私がみなの力を借りて手に入れた。私が死ぬまでこの迷宮でしおりを得ることは出来ない。誰もな」


 パステルの表情は真顔のようで少しどや顔だ。

 相当しおりを手に入れたことが嬉しいと見える。

 逆にエンジェの表情は……。


「あら、そうですの。あなたも多少は成長しているということですわね。仕方ありませんし、我々も撤収するとしますわ」


 あれ、かなり冷静だ。

 もうすでに配下の者たちに野営地の片づけを指示している。

 俺がいろいろ心配しすぎなだけか……?


「パステル、渡したい物がありますから私が着替えるまで少し待っていなさい」


 そう言ってエンジェは体を隠す仕切りの向こうに引っ込んだ。

 場が静かになると、片付けをしている配下の声がよく聞こえる。


「やっと帰れるねー。暇だった~」

「ここだと食べ物が質素になるからなぁ。元気が出なかったぜ」

「城に帰ったらまた訓練の日々か……。それさえなければ!」

「お嬢様すぐにまた遠征に出ないかなぁ。作戦中なら訓練はないし」


 なんというか……なんだろう。

 俺たちが言っていいのかわからないけど、お嬢様が目的を達成できなかったのだからもうちょっと悲しんでもいいのに。

 悲しんだところでどうにもならないし、俺たちは彼らがどれほどの時間ここにいて、どんな生活をしていたのか知らない。

 何か月もいれば愚痴の一つもこぼれるだろうけど、今はやめた方がいい気がするな。

 きっと、仕切りの向こうのエンジェにも聞こえているし……。


「お待たせしましたわ」


 エンジェがドレスを着て再び俺たちの前に現れた。

 やはり、びしょ濡れじゃなければ気品があふれ出してくる。


「渡したい物とはこれのことです。私たちソーラウィンド家に加えてアースランド家、マリンハイド家の三家によって行うサバトの招待状ですわ。本来ならば三家の関係者以外を入れることはありませんが、私のゲストしてお呼びしますわ」


「よいのか? 私には身分とかマナーとか……」


「関係ありませんわ。なんといってもソーラウィンドの本家の娘である私が呼ぶのですから! まあ、ドレスの一つくらいは着てきた方が良いと思いますけど……」


 エンジェはそっとパステルの手を取り、両手で優しく握る。


「これは私なりの……罪滅ぼしというのもおこがましいですわね。認識を改め、あなたを一人の魔王として尊敬するという証ですわ。宴では余興も行われ、賞品も出ますのよ。私たち名家の者にはちょっとした物でも、世間的には貴重な品が手に入りますわ。ぜひ、来てくださいな」


「うむ! そのつもりだ」


「まあ、嬉しい! では、私は帰りの準備があるので失礼しますわ。ごきげんよう!」


 こうしてエンジェは去っていった。

 俺たちも長居しては片付けの邪魔と思い、すぐに帰路についた。


「エンジェって、結構いい子だったね」


「前はまったくそうではなかったがな! 人は変わるものだ。私もこの際過去のことは水に流すとしよう。それに私の手には修羅のしおりもあるしな。それだけで魔界時代の仕返しとしては十分すぎる」


 帰り道、ずっとパステルはしおりを眺めていた。




 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆




「ふふふ……そんなに喜んでもらえるなら、おぬしに渡したのも悪くない選択だと思えるぞ」


 迷宮の奥地で一人、ゲーゴシンは虚空を眺めていた。

 その瞳は慈愛に満ちていた。


「おぬしは戦いを好む者でもなければ、戦いを望む者でもない。また、戦いに適した者でもない。ワシとしてはつまらんと思っておったが、おぬしは戦いを呼び寄せる者ではあるようだ。ふふふ……せいぜい私のしおりを上手く使って戦うといい。生きとし生ける誰もが、何かと戦わなければならぬ者だ」

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