Page.20 本当のはじまり

「ただいま」


 屋敷の中に入る時、もう自然とこの言葉が出てくる。

 本来人間が立ち入れないとされる魔境の中にたたずむ屋敷は、すっかり俺の帰る場所になっていた。


「パステル大丈夫? 何もなかった?」


 返事がない。

 外から見た感じではバリアも破られていないし、性能を上げるために入念に魔力を送り込んだガーゴイルやゴーレムたちが稼働した形跡はない。

 お留守番をしているパステルも無事なはずだが……と思っていたら、物陰から現れたパステルが無言で俺に抱き着いてきた。


「もしかして、何か起こった?」


「いや、なんにもないが。いたって平和なものだったぞ」


「なら良かった! でもそれなら返事してくれればよかったのに。心配したよ」


「私だって心配しておったのだぞ……」


 パステルは抱き着いて離れようとしない。

 待っている間、相当不安だったみたいだ。

 それは一人が怖いとか、俺たちが負けると思っていたというわけではなくて、一人だとどうしても何もかも悪く考えてしまうから……。


「無事帰って来てくれて良かった……」


「あたりまえさ。パステルに寂しい思いはさせない」


「うむ……」


 これまでの人生を捨てることに未練はない。

 彼女の隣が俺の居場所だ。


「さあ、涙を拭いて部屋の明かりをつけよう」


「泣いては……おらんぞ……。それに明かりはあえてつけておらんのだ。部屋が暗い方が無人に見えるからな」


 袖で目元をぬぐうパステル。

 確かに俺は彼女の泣いているところを直接見ていない。

 きっと泣いていないんだろう。


「んじゃ、俺は疲れたんで昼寝でもさせてもらうぜ。簡単には起こすなよ。晩飯とか勇者が攻め込んできたとかでもない限りな」


 サクラコはふぁ~っとあくびをしつつ二階に向かった。

 彼にもずいぶんと世話になった。

 マカルフの町でアーノルドの洗脳に完全にかかりかけた時、手を引いて群衆の輪から連れ出してくれなければどうなっていたことか。

 先ほどまでの戦いでも冒険者を分断してくれなければ、俺はたくさんの冒険者を巻き込んでアーノルドと戦い、罪なき人も禁呪に巻き込んでいたかもしれない。

 面と向かって礼を言いたくて仕方がないのだが、改まって話そうとするとサクラコは照れて逃げてしまう。

 日常の中でそれとなく感謝を伝え続けていかなければ。


「では、私もたまっている雑務を処理します。何かあれば遠慮なくお申し付けください」


 メイリは普段と変わらぬ調子で二階へと上がっていった。

 彼女には身の回りのことでも世話になっているけど、戦闘でも頼りきりだった。

 五十人近くいた冒険者の中で俺が相手にしたのはアーノルドを含めて五人だけ。

 残りはすべて彼女が担当した。

 それもただ倒すだけではなく、全員生かして無力化してくれたのだ。


 こちらはむやみに人を殺したくないと言っても、相手はこちらを完全に敵と認識し殺しもいとわない覚悟で向かってくる。

 実力が拮抗していれば手を抜いた方が死ぬ。

 戦いで誰かの生死を自由に操るのには、圧倒的な力がいるんだ。

 今回はメイリの才能と努力に甘えた。


 俺の力は毒だから、うまく制御すれば敵を生かさず殺さずとりあえず動けなくすることは得意なはずだ。

 アーノルドとの因縁は断ち切ったけど、これで末永く平和に暮らしましたとさとはならないだろう。

 満足せずに強くなり続けないといけない。

 多くのものに縛られず自由に生きるためには。


「エンデ、それでお前はどうするのだ? 昼寝でもするか?」


「あっ、うーん、修行をしたいところなんだけど、流石に今日はなんか気力がないというか……。少し寝よっかな」


「うむうむ、ならばここで寝ると良い」


 パステルがソファーの端っこに座り、自分の膝をぽんぽんと叩く。

 その意味は俺でもすぐにわかった。


「そ、それはちょっと悪いというか……恥ずかしいよ。男としてのプライドがね」


「プライドなどないだろうに」


「うぐっ! ないわけじゃないさ。ただ、人よりかなり低くなってるだけでね!」


「そこがエンデの良いところだ。ほれ、早く寝ころべ」


「絵面的にもキツイよ……」


「今更そんなこと気にする段階か。ほれほれ」


 パステルが俺の手を握って引っ張りこもうとする。

 それを俺は反射的に振り払ってしまった。


「あ……ごめん。つい……」


「人殺しの汚れた手で触れるのが怖いか?」


「いや、そんなことはないよ。あんまり気にならないんだ。むしろ、気にならないのがおかしくて、普通の人には怖いんじゃないかと思って」


「私に嫌われると思ったか?」


「ドン引きされるかと」


「まあ、まずは寝ころべ。そして、今日あったことを詳しく話してほしい」


 パステルは力強く俺の手を握ってソファーに寝ころばせる。

 中身の年齢はそう大差ないけど、見た目的にはかなり自分より幼い子に膝枕をしてもらってる状況だ。

 これをおぞましいと見るか、羨ましいと見るかは人によるだろう。


 ただ俺は妙な安心感を覚えて、心が落ち着いていくのを感じていた。

 いつもならば身長差で俺が見下ろす形になるパステルの顔が上にある。

 いつくしむような眼差しはきっと母性なんだろう。

 本当の母親を知らない俺にはわからないけど、きっとそうだ。

 今日起こったことのすべてを俺はパステルに話した。


「アーノルドを殺した時、苦しむどころかむしろ爽快な気分になったと……。まあ、それはそうだろうな。悩むことではない」


「本当に? 気持ち悪いと思わない?」


「無差別殺人で気分爽快と言われると困るが、今回は相手が相手だ。考えてもみろ。あいつはお前をだまして殺そうとしたあげく、死体を利用するためにまだ意識と痛覚が残っている状態で家畜のように血抜きしたのだぞ。ハイドラに助けてもらわなければそのまま解体だ。むしろよくアーノルドを一思いに殺したものだな。痛みもなく一瞬で」


「こっちも必死だったから……結構怒ってたし」


「エンデが怒るとは何を言われたのだ?」


「パステルやみんなに酷いことを言ってた。詳しくは話せない。その言葉が君に届くのが嫌だから俺は奴を殺したんだ。絶対に言わない」


「割と魔界時代に酷いことは言われ慣れているから内容は想像できるが、聞かんようにしよう」


「でも、これもなんか殺しの理由を人のせいにしてるみたいで情けないかな……俺って」


「何を言うか! お前は私と冥約を交わした関係なのだぞ! 命を懸けて魔王の配下になる覚悟をしたのだ! むしろ私のせいにしろ! どんな時も私のことを考えていればよいのだ!」


 顔を赤くしてパステルはまくしたてる。


「私は弱くて戦えん。だから、私に責任を押し付けてエンデやみんなが少しでも楽になるのならば、これ以上に嬉しいことはない。辛いのなら気に入らないことはすべて私のせいにしてくれ」


 パステルは怒っていない。

 これは彼女なりの切実な願いなんだ。

 でも、こんな良い子に全部押し付けて楽しようなんて思うほど、俺はプライドがないわけじゃない。


「ありがとう、パステル。でも、それは本当に情けない奴のすることだ。自分の行動には自分で責任を持つし、後悔はしてない。俺は俺がすべきだと思ったからやった。でも、その気持ちは嬉しいから一割はパステルの責任ということにしておこう」


「中途半端な……半分でよいだろう」


「じゃあ間を取って三割に……」


「エンデ……私は責任をキッチリ分けようとしているわけではないのだ。ただ、エンデが悩みを抱えているならば私に背負わせてほしい。それは私たちが生き残ることにもつながる」


「生き残ることに……?」


「私は魔界にいたからわかる。世の中には私たちを気まぐれで殺せるような強大な力を持った者がいくらでもいる。ただでさえ勝てない者たちに悩みを抱えて挑めば確実に死ぬ。だから、戦うことに迷いがあるならば私に打ち明けてほしい。エンデもメイリもサクラコも私にはもったいないほど優秀な配下だ。だから、純粋に生き残るために戦えば……勝てずとも死なん。絶対にな」


 さっきパステルと俺の中身の年齢はそう大差ないと思ったけど、確実に彼女の方が大人だ。

 強くならないと頭では思っていたけど、魔界を見ている彼女とは覚悟が違った。

 そのことを伝えようと思ったけど、口から出てきたのはまったく別の言葉だった。


「パステルも一緒に強くなろうよ。そうすれば、細かいこと考えずに全員で戦えばよくなる」


 何を言っているんだ俺は。

 彼女を守ることが俺の役目だろ。

 戦いの場に連れ出してどうする。

 ほら、パステルもきょとんとした顔をしているじゃないか。


「……ふふっ、そうだな! それが一番だ! 留守番というのも寂しいものだからな! 隣で戦えばエンデも『お屋敷のパステルは無事だろうか?』とか余計なこと考えずに戦える! それに私も置物じゃなくなって罪悪感もない!」


「自分で言っておいてなんだけど、隣で戦われるとそれはそれで気になるというか……」


「わかっておる! だが、それを目標にする。共に肩を並べて戦えるくらいの魔王になるのだ! 本来ならば魔王が配下より強いのは当然だからな!」


 パステルは心底嬉しそうだ。

 彼女もまた自分のあり方に相当悩んでいたんだろう。

 俺のとんでもない発言が、彼女の悩みを解消するキッカケになったのならば素直に嬉しい。


 でも、実際問題パステルが今の俺と同じ強さになるにはどれくらいの時間がかかるんだろう。

 戦闘になって隣にパステルがいたら絶対気になるだろうなぁ……。


 ならば、答えは一つしかない。

 彼女を守りながら戦えるくらい強くなる。

 俺の居場所がパステルの隣ならば、パステルの居場所は俺の隣なのだから。




 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆




「おほっ、いちゃいちゃしてるねぇ~」


 二階へ上る階段の手すりの隙間からエンデとパステルを観察するサクラコとメイリ。

 彼らはエンデの心境の変化を心配していたのだ。

 冒険者時代のエンデを比較的理解してくれていたギルドマスターとの再会が、彼を人間社会に引き戻すのではないかと……。

 だからあえてエンデをパステルと二人っきりにした。

 二人っきりになれば、自分たちには明かさなかった本心を明かしてくれるだろうと。


 結果、サクラコたちの心配は杞憂だった。

 エンデはむしろパステルと共に生きる覚悟を固めた。

 二人の関係が崩れることはない。


「雨降って地固まるってやつだな。まっ、俺は初めからエンデを疑ってはいなかったがな」


「私も疑ってはいませんでしたが、信じるということはただ盲信的になる事とは違うと思います。時には疑うことが信頼につながるのです」


「メイリはお堅いねぇ~。でも、そういう奴もチームには必要なんだなこれが」


「サクラコも私たちには必要です」


「えっ?」


 思いがけないセリフに耳を疑うサクラコ。

 メイリは気にせず言葉を続ける。


「出会った頃は信用していませんでしたが、今回の件で少しは信頼できるかなと思っただけです。まだ完全に信用したわけではありませんから、今後も不可解な行動は慎むように」


「あいあい、それだけで俺には十分すぎるよ。やっぱり誰かに必要とされるってのはいいもんだ。姿を偽って人ごみに紛れても、寂しさは埋められない」


「ここにいれば嫌でも必要とされますよ。だから、絶対に裏切らないように」


「メイリみたいな美人を悲しませたら俺のアイデンティティが揺らぐ。そんなことはしないさ。行く当てもないしな」


「なら、いいのです」


 サクラコはここで初めて魔王のメイドとしてのメイリではなく、一人の女性としてのメイリの感情を伝えてもらった気がした。

 彼女もまた自分を必要としてくれているのだ。

 それはもちろん魔王パステルを守るための戦力としての必要とされているのもあるが、メイリも個人的に必要だと思っている。

 それがなんだか嬉しかった。


「メイリ……俺も膝枕してほしいな……」


「さて、仕事です。戦闘があった分今日は仕事がたまっています」


 パステルとはまた違った魅力がある肉感的なふとももでの膝枕は叶わなかった。

 だが、これでいい。

 いつかメイリに膝枕でよしよしされるくらい頑張れば良いのだ。

 サクラコにとってここにいる理由がまた一つ増えた。

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