Sitting in the Park
「これ、いいベースですよね」
ベンチに先に腰掛けた良介は、ベースを膝に置いた。
「そりゃそうだ。何十年前に買ったか覚えてないけど、当時の月給くらいしたんだぞ」
自分が怒っていることを忘れたのか、真田は落ち着いた話し方をしている。
「もう店自体無くなってしまったけど、駅向こうの楽器屋で見かけたんだ。どうしても欲しくてな」
足元の石を拾い、上から投げる。遠くに投げようとしたのかは分からないが、それは2メートルほど先で力なく落ちた。
「独り者だからなんとか買えたけど、バンド組む奴もいないし、いつの間にかホコリを被ってた」
「ああ、ありますよね。特に一人だと、ベースはホコリかぶって古雑誌の重しになる運命が」
今のようにインターネットが発達していない時代、バンドのメンバー探しは友人による横のつながりか、音楽雑誌の掲示板ページに自分の連絡先を載せるしかなかったのである。引っ込み思案の性質がある真田にできるものではなかった。
「だから今回、誘ってもらって正直嬉しかったよ。まさかこの歳でバンドに入れるなんてな。生きがいになるんじゃないかなって」
「けど、ならなんで遅れたんですか? バンド時間なんて信じてるわけじゃないでしょう」
良介はきつくならない言い方を模索しながら質問をした。
「母の命日が近くてな。報告してたんだ、仏壇に」
「……」
「『バンド組む仲間ができました』ってな。思ったより報告が長くなってしまってなあ」
「……そうですか」
「ああ」
空を見上げた真田は、一つあくびをした。もしかしたら練習が楽しみで眠れなかったのかもしれない。
別に聴いてくれなくても構わないが、と前置きをしつつ
「おれは高校も行ってないし、結婚もできなかった。いい会社にも就職できなかった。母には迷惑しかかけてなかったな」
自嘲気味の笑いを浮かべながら真田は独白を続けた。
「練習は楽しみだったよ。足を引っ張らない自信はある。だが、メンバーとうまくやれるかどうかは別だ。特にあいつは金持ちだし、孫もいて幸せそうだろ」
「……」
「勝手にこっちがやっかんでしまうんだよ。そんなもんなんだよ」
「……それは……」
「そのうえ演奏で失敗して、更に気後れするのなんていやだからな。こないだはリズムだけ刻んでた」
前回の練習の音源を聴き返した時に良介は気づいている。あの絶望的な演奏の中で、真田のベースだけは正確なリズムを刻んでいたことに。
「真田さん」
「ん?」
「ガレージに戻りましょう。貴方はバンドを続けるべき人です」
「だけどなあ。怒らせちゃったしなあ」
「一言だけ詫びていただければ十分です。必ず戻れるようにしますので」
お願いします、と良介は深く頭を垂れた。
「わかったよ。無関係の君まで巻き込んで申し訳なかった」
真田は照れたように手を大きく降る。言葉通りの後悔を抱えていたのだろう。
ほっと息を吐いた良介はベースを持って立ち上がる。行きましょう、と促すその背中に、真田がそういえば、と声をかけた。
「おとといって何日だっけ」
「えー15日ですね」
「そうそうおとといの15日。昼時、スーパーに買物行く前に銀行寄ったら、おれみたいな老人ばっかでな」
真田の声は笑いを帯びている。良介は振り返ることができなかった。
「君が提案した『15LIFE』ってバンド名は、それを指したものだろ。毎月15日にライフが回復するとか、そんな意味だろ」
自分の呼吸が荒くなるのを自覚しつつも、良介はどうすることもできない。
「あいつら二人共、自分で銀行に並ぶなんてことしないだろうから、気づかないわな」
真田は立ち上がって良介の肩を軽く叩き、追い抜く。
「まあ、黙っといてやるよ」
真田の足取りは軽やかだ。だが、良介の歩みは重い。まるで年齢が逆転したかのような錯覚さえ良介は覚えた。
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