最後に残った草の汁

 11月の半ばに差し掛かろうという頃。平日の21時過ぎ。

 ドラゴンは、自宅で全5曲の見直しをしていた。あと一月と半分で、Old Holmesが目標としていたライブが開かれるのだ。演奏の合間で休む時間はとれるものの、ぶっ通しでの練習をしてプラスになることはあれど、マイナスになることはない。ミニアンプから流れるプレシジョンベースの音は、最近になってますますキレを増している。

 実はチョッパー(右親指で弦を叩きつけて音を出す演奏法)をマスターしたのはつい数週間前のことであった。成長を実感することが充実につながり、さらに練習に身が入る。


 3月からバンドに加入し、振り返れば随分といろんなことがあった。

 最初に離脱を企てたのは自分だったが、当初は小次郎に対して苦手意識もあったので、致し方ない部分もあったと自分に言い訳をする。

 その後、バンドのリーダーが倒れることも、宗教団体に殴り込むことも、望まぬガンギマリ状態に陥ることも予想していなかった。実にろくなことがない。というか悪いことばかりだ。


 しかし、自分の横で今ギターを弾いている相棒と出会えたことだけは、嬉しい誤算だった。50年早く会えてればもっと良かったのにと思うこともあるが、それは過ぎた望みだ。

 孤独に行きて老齢を迎えた男が、人生の最終章で遂に巡り合った運命の女性キッスは、穏やかな顔で16ビートのカッティングを続けている。柔らかな手首の動きは長年の練習の賜物だ。お手製のシフォンケーキを食べているようで、口をもごもごとさせている。

 その様子を見ていたドラゴンが、ふとこぼした。


「成功させたいな。なんとしても」

「そうですね。大成功させたいですね」


 わざわざ「何を」と言わずに通じる、まるで円熟の夫婦の呼吸。それでも、ドラゴンには不安なことが一つある。本番が近づくにつれ、怯えのような感覚があるのだ。


「ライブ終わったら、どうすんのかなあ」

「どうするって、バンドですか?」

「うん、続けたいんだけどなあ」


 アンプのスイッチを切り、キッスの入れてくれたお茶を一口飲む。


「やっぱ解散かなあ」

「KOZYに聴いてみたらいいじゃないですか。もし解散でも、あの人ならラスト・ワルツのような企画を考えると思いますよ」


 ラスト・ワルツとは1976年に解散した、アメリカの職人グループ「ザ・バンド」のラストコンサートの模様を収めた映画である。詳細は断腸の思いで割愛するが、ギタリスト兼スポークスマンのロビー・ロバートソンと、ドラムスのリヴォン・ヘルムの確執は動画サイトにアップされている「The night they drove old dixie down」の端々からも確認することができる。エンディングの噛み合わなさにビクッとするが、まずはメンバー各個の高い技術をご堪能頂きたい。

 そしてもし、デジタル処理される前のものをご覧になる機会があれば、終始危なっかしいテンションで笑い続けるニール・ヤングの鼻の穴への注視もお勧めする。


「ああ、まあそうなんだけど。そうなんだけど。本人に続ける気がなかったら悪いなあって。誠也も小学校入ったら、さすがにおじいちゃんの道楽には付き合わないだろう」

「電気代はこっちも払うとしてオホ、場所はどうにもならないですもんねえオホ。せめて取り壊さずにいてくれたら、いいのですわのよねオホホ」


 小次郎宅まではバスを利用すれば20分で到着する。だが、老齢のドラゴンたちが気軽に足を運べる範囲に、平屋建ての音楽スタジオは無い。3階建てのものならば隣町にあるが、重い楽器を背負って階段を登るのはさすがに骨が折れる。


「解散かなあ」


 もう一度同じ言葉を呟いたドラゴンは、寂しげにベースを肩から下ろした。

 キッスは立ち上がり、仏壇に向かって手を合わせる。


「オホ、貴方オールドバージョンへ相談ですオホ。ニュー貴方が迷っています」

「あっ。さっきのケーキかっ。やりやがったな。ああっ」

「草は全部燃やしましたが、草の汁と採集したものは、まだ少しだけ残ってますオホホ」

「ホテルじゃあるまいし、なんだニュー貴方とはとはふのしなすねはんねりや」


 ジャスミン茶のことを茉莉まりはなちゃと呼ぶ地域がある。その呼び名には他所から来た人間を驚かせる効果があるが、ドラゴンが飲んでいたのは、正真正銘カキンカキンの王道違法飲料、乾燥大麻まりふあなちゃであった。


「オホ。そろそろ一発元気を入れとかないとオホ。“いつかきっと”を迎えた後はその後に考えるのよオホホ」

「確かに良介も言ってた。うんうん、お前さんとおれの前で言ってた。『へけぬけにた、ねひろしさゐふ。ぴ。めのり』って」


 そんなことを一言も言っていない良介がこの場にいたら、泣くか通報かしているだろう。


「けどお前さん、やっぱり前のだんなが忘れられねえんじゃねえのかい。仏壇に向かって『ふめそしにね。ぷ。ひふれ』って叫んでたじゃねえか」

「オホオホ、言い切りがたし、言い切りがたし。しかしそれはそれでこれはオホ。今は貴方が私の世界の貴方マーク2」


 残り少ない魔法の粉末を活用し、麻草笑女は夜に輝く。共に暮らすと決めた、毒竜の死骸の傍らで。



♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪



ハッピーは悩んでいた。バンドのことではない。一月半後に控えたライブのことでもない。とめどなく減る信者の数にである。

スマートフォンを取り出し、電話をかける。こういう時は頼れるブレーンに相談すればなんとかなるものだ。

電話の相手はいぶかしさと不機嫌をないまぜにした声で言った。


「なんなんです。手短にお願いします」

「おおマッスオ、私の教団の信者が根こそぎいなくなってしまっているのです」

「前、聞かされました」


電話は切られた。

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