6月30日
小次郎の転院が決まった。自宅からほど近い病院の個室へ移ることになったのだ。設備で言えば運び込まれた総合病院の方が数段上、ということは素人目で見ても分かるが、病室の空きや搬入患者の数が及ぼした結果だった。
だが何より、小次郎の病状が明らかに快方に向かっているという証明でもある。現に、入院直後はおぼつかなかった会話も、2週間経った今ではつつがなく意思の疎通ができるようになっているのであった。
小次郎とドラゴン、そして良介の三者による話し合いで、バンド「Old Holmes」は継続することに決まった。
ベッドサイドの折りたたみ椅子をドラゴンに勧め、良介は真面目くさった顔を作りながら言った。
「お義父さん、やりたいことをやっておいたほうがいいですよ。できることじゃなくて」
「まあそうなんだが」
「ちょっと待てKOZY。こいつ今『今のうちに』とか『おっ死ぬ前に』とかそういう意味合いで言ってるぞ」
いやそんなわけないじゃないですか、と否定する自分の声が甲高い。ドラゴンはニヤニヤと笑っていた。小次郎は車椅子を右側のハンドリムだけで操作し、部屋を動き回っている。リハビリの一環だろう。こういう時に個室だと他の患者に迷惑がかからないので、家族としては気が楽だ。
しかし、問題は山積みである。思い返せば小次郎が倒れる前、日本語でロックなど許さんぞと喚いていたな、と良介は懐かしく思い、すぐにそれを忘れた。今となってはどうでもいいのである。
直面している問題のまず一つは、小次郎の動かない左腕。ギターがどうこうとか言っている場合ではない。日常生活をどうするかのレベルだ。リハビリで良くなる可能性はあるのだろうが、ギターを弾けるまでに回復するとは、良介には到底思えない。何を目標にして頑張るのか、という支柱を建てる地盤が見つからない。
そしてもう一つはドラマー、ハッピーの暴走だった。
「あいつはさ」
小次郎は車椅子を器用に動かし、冷蔵庫からペットボトルの水を取り出しながら続ける。
「少なくともガレージ内ではそんな素振り見せなかったんだけどなあ」
「おれが知る限りは一回だけあった」
ドラゴンが応じた。
「二回目のバンド名決める時だったな。奏魔刀が候補になった時。『仏教的でやだ』って言ってた。やっぱりなって」
「ふん。そもそも、わしらのバンド入ってどうするつもりだったんだ。信者どもに囲まれてそんなヒマねえだろ」
「まあ、ここからは想像だけどな」
良介は何も言わずに小次郎が持っていたペットボトルの蓋を開ける。その様子を優しい三白眼で見ながらドラゴンが続けた。
「信者増やしたいんじゃねえか。ライブの最後に例のパフォーマンスやって。信者に録画させておいて動画サイトにアップするとかよ」
沈黙が病室を満たす。良介はペットボトルの水を一口飲んで言葉を発した。
「それは……すごい威力ですね。色々台無しですねえ。ぞっとしますねえ……」
「あくまでおれの想像だけどな。そんなの観られたら、おれたちも信者かと疑われるわ」
ドラゴンは言葉を区切り、良介に言う。
「その水、KOZYのじゃねえの?」
「あ」
「わし、そこで疑問があんだけど」
水を良介に奪われた小次郎が口を挟む。
「確かに最初ガレージに来た時『やべえの来たな』と思ったもんよ。教祖様だぜ」
「あ、ハッピーの素性を知らなかったのは僕だけなんですね」
無視。
「けどあいつ、割と真面目に練習してたろ」
「ああ」
「だから分からん。色々分からん。なので」
小次郎は車椅子からゆっくりと立ち上がり、ストンと座った。
「お義父さん、なんですか今のは。JBマントショーのマネですか」
「水分不足じゃ」
座ったまま良介を睨みつける。
「久しぶりに歩こうかと思ったら、まったくもって無理じゃった。まさか苦労して取った水を奪われるなんて思いもせんからな」
♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪
マントショーとは「ソウル界の帝王」ことジェームズ・ブラウン(以下JB)の得意としたパフォーマンスだ。流れを文字にすると以下のようなものになる。
膝つきJBにマネージャがマントをかける。
「大丈夫かJB?」
「無理」
観客大コール。このやり取りが数度ある。そして最後に
「どうだいけるかJB」
「ゲロッパ」
観客大盛り上がり。
♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪
「今からハッピーに話を聞きに行く。良介君、車を出してくれるだろうな」
小次郎は車椅子を漕ぎ漕ぎ、病室からの脱出を試みた。
それを見た良介がめんどくさそうにナースコールを押す。すかさず登場した看護師が小次郎を強引にベッドに戻し、説教した。
「どこへ行こうとしたんですか?」
「いや、ちょっと外の風を」
「外出許可は出てませんが?」
「入婿、貴様覚えとけ」
良介はドラゴンを伴い病室を出た。老ドラゴンなら事を荒立てずに、教祖様と話し合ってくれるだろう。
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