デッドボールなら一塁へ

「あれから見えましたか、神」


「朝ごはんに出ましたか、カニ」程度の軽い調子でハッピーに尋ねた良介は、ガレージの壁の時計を見上げた。5時30分。日曜日の朝5時30分。企業戦士にとって重要な、安息の為の時間である。まさかそれを「神、最近見た?」「ううん、見てない」程度にしかなりえない話で潰されるとは。

 あくびを噛み殺しながら義父を見ると、椅子の上でうたた寝をしていた。

 ドラムセットの椅子でうなだれているハッピーは、その姿勢のままゆっくりと揺れている。どうやらこちらも目を閉じているようだ。


 静かに立ち上がった良介は小次郎のストラトキャスターを肩にかけ、メサブギーのギターアンプに近づき、電源を入れて温める。ボリュームや音色を調整し、スタンバイスイッチを切り替え、ローポジションのEコードを大音量で鳴らした。もちろん日曜の早朝だということは念頭においた、外には漏れない程度の大音量である。


 その場で飛び上がるように目を覚ました老人二人は、巣穴から飛び出たリスのように揃って辺りを見回した。


「おはようございます。お目覚めですか」

「わ、わしは起きてたぞ」

「私も眠っていたのではありません」


 自分の笑顔が、怒りで引きつっているのがわかる。良介はストラトキャスターをジャカジャカとかき鳴らした。ごめんなさいと頭を下げる老人二人を睨めつけ、少しだけ気持ちが晴れたのでギターを下ろす。


「お義父さん、僕が望んだ時間ではないですよね」

「はい、すみません」

「眠っておられましたよね」

「はい、すみません」


 ドラムセットの方へ顔だけを向け、続く圧迫問答。


「で、そっち。そっちはあれから見えましたか、神」

「見えないです」

「そりゃあそんだけ気持ち良さそうに鼻ちょうちん膨らましながら寝てれば、幻覚も見ないでしょうよ」


 無神論者の良介から言わせてもらえれば、神の正体というのは過度のストレスや寝不足が引き起こす幻覚か、空腹時の低血糖がもたらす視覚障害の一種である。その為、修行僧たちが限界を超えた鍛錬の中で神や仏を認識すること自体は疑っていない。0と1の間の存在を感じることは、おそらく今後の自分の人生にもあるとさえ思っている。


「では、話を詰めましょう。お義父さん、お願いします」

「うむ」


 小次郎は水を一口飲み、静かに話しだした。


「ハッピーは、なぜこのバンドに入ってくれたんじゃろうか」


 枯れた声がガレージに満ちる。


「前から不思議に思っていた。話題の新興宗教の教祖。信者に囲まれ、自分の時間もあまり持てないじゃろ。なんでそんな大物が、素人バンドに入ろうと思ったんじゃろう。やろうと思えば自分でバンドくらい作れるじゃろ」


 ここまで言って小次郎は話を切った。誤解を生んでしまったかもしれないと気づいたのだ。


「ああ、わしはハッピーに辞めてもらいたいわけじゃないぞ。ただ単純に疑問なんじゃ」

「一つは教団の話題作りのためです」


 動じた様子もなくハッピーが語りだす。


「私がバンドを作れば、信者の間では話題になります。広報誌に連日トップで扱わせることも可能です。しかし、それでは内部だけの盛り上がりで終わってしまいます」

「それはそうじゃろうな」

「ですが外部の人間と組めば、新たな信者を獲得できる。その可能性が高まると思ったからです」


 あの教団のどこに人を惹きつける要素があるのか、良介には不思議でならない。恐らく小次郎もそう思っているだろうが、今はハッピーが話す番だ。


「KOZYのお友達も観ているであろうインターネットでの生中継ライブの最後にお祈りをすれば、更に効果はてきめん。バンドのメンバーは結果として私のために演奏したようなものです。ここまでは神のお告げ通りですね」

「やっぱコレ、強めに殴らないとダメなんじゃないでしょうか」


 いつかドラゴンが疑っていた通りの行動をするつもりだったのだ。はやる良介を小次郎は鋭い視線で制した。


「初めて神を見たのは25歳の」

「その話はいいです。いつから神が見えなくなったんですか」

「2週間くらい前です」


 その頃に何か原因があるのだろうか。時期としてはドラゴンとキッスが一緒に住むとの報告を受けた頃だ。


「ハッピーはもしかしてキッスのこと好きでした?」

「嫌いではないですよ。私は全ての女性を愛してます。KOZYの奥さんもマッスオの奥さんも愛してます」


 小次郎は、ギターを手にしてドラムセットへゆらりと向かう良介をなだめ、改めてハッピーに質問をした。


「そもそも、なぜドラムを叩く? 楽しいからか? 教団のためか?」

「神を降ろすためです」


 即答し、目をつぶる。


「長時間、同じリズムでパッドを叩いていると、神が語りかけてきます」

「その神はなんて言ってるんじゃ」

「いいねって」

「どんな外見じゃ?」

「キース・ムーンです」


 1960年代後半から70年代後半に人気が爆発したイギリスのロックバンド、ザ・フーのドラマー、キース・ムーンは1978年に32歳で亡くなっている。ドラムを100セット壊すことが目標だったという本人の談話から、どんな人物だったかはご想像いただきたい。


「キース・ムーンはハッピーより若いんですけど、そこらへんの設定は大丈夫ですか。もし彼が生きていたら誰か別の人だったんですか」


 会話に割って入った良介は、デリケートな疑問に対して160kmのストレートを思い切りぶちこんだ。


「ですが最近はその神が現れなくなったのです」


 人間は、ここまできれいに無視というものができるのか。顔面にぶち当たった言葉のデッドボールを微動だにせず受け、何事もなかったように次の球を待つハッピーを見て、小次郎は感嘆し、良介は恐れおののいた。

 最大限の敵意表明である無視という凶器を完璧に使いこなす達人は、目を点にしている二人を前にして演説をおっ始める。


「これはなぜか。神は死んだのか。いや、そうではありません」

「お義父さん、これやっぱり自分の叩くリズムと低血糖が重なってトランスしちゃってるんですよ。目ェ閉じて叩いていたのはそういうことだったんですね」

「やっぱそうか。難儀だなあ。あいつ朝飯食ってきたんだろうな。念の為に角砂糖でも舐めさせておくか」


 日曜日の早朝。演説する側とそれを2メートル先で受ける側。お互いがまったく話を聴いていない、混沌とした状況が続く。


「神は生きてます。私の胸の中に。見えないのはなにか理由が」

「そろそろ8時。ドラゴンたちが来る時間ですね。この話やめさせましょう。その四点杖借りていいですか」

「難儀だなあ」


 歩行用の四点杖を良介が振りかぶった時、ガレージの扉が開いた。

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