0と1との境目で
Gloomy Sunday
9月のとある日曜日の夜、小次郎は良介をガレージに呼び出した。
バンドの次の課題曲は、日本語によるオリジナルソングであるという方針を決定したのだ。メンバーそれぞれが1〜2曲の作詞作曲をすれば最大で8曲。合計の演奏時間の目安もこれで立てることができる。
今まで日本語のロックに強固に反対していた小次郎がどういうわけか手の平を返し、
「日本人は日本語で歌わなければ意味がないじゃろ」
と主張しだした。説得するのも蒸し返すのも面倒だったので、良介は素直に方針を受け入れることにしたのだが、
「なんならわしが全部歌っても良い。苦労するのはドラゴンとキッスじゃがな」
と続いたものだから、何を言っているのかさっぱり分からない。ついに義父が認知症に侵されだしたのか自分の理解力が足りないのかと真剣に考えていると、小次郎の顔が目の前に近づいてきた。
「今、わしが脳梗塞の影響でおかしなことを口走ってると思っとるじゃろ」
「いえ、そんなことは微塵も思っておりません。本当です」
だってバンド始めてからイカれていく一方じゃないですか、脳梗塞のせいじゃないですよと心の中で返答する。
やれやれといった様子で小次郎は右肩をすくめた。
「マッスオが誠也と晴香を連れてのんきに遊びに行っている頃、わしらのバンドは秋葉原へ向かったのじゃ!」
「ふーん、そうなんですね」
まったく興味なさげに良介は返答した。実際家電的なものに興味がないうえ、日曜日の夜にそんな話をされてもとすら思っている。
「まあ、早ければ2週間後、遅くとも1月後にはお披露目できると思うが、驚くぞ、きっと」
「へえ。何か買ったんですね。いくらくらいしたんですか」
「合計で1000万くらい」
目をひんむいて驚きをあらわにした。こちらは家族サービスで東京ディスリランドへ行き、大人7,400円2枚、子供4,800円の支出で頭を痛めているのに、なんだその無駄遣いは。いずれおれのものになるのだから無駄遣いをされたら困る。
「怒ったか。怒ったな。『なんだその無駄遣いは』という顔をしておる」
「な、なんで僕がお義父さんの遺産についてどうこう思わなくてはならないことがあるわけがないわけもないんじゃないですかね」
早々と「遺産」と言ってしまっているので、ごまかしの効果はない。
「まあ、それはいい。何しろ次からはバンドの曲はオリジナルで練習する。指導よろしくな」
「はい、わかりました」
良介は元気よく返事をした。
「それと、ハッピーが元気ないと思」
「お断りします」
良介は更に元気よく大声で義父の言葉をぶった切った。
「まだ全部言っとらんが……」
「お断りします。断じてお断りです。こないだバンドメンバーのトラブルには介入しませんと言いましたよね。二度と介入しませんって言いましたよね、病室で。ドラゴンと三井さん、キッスでしたっけ、その仲介なんか、それはそれはひどい目に遭ったんですよ。
で、今度はまたハッピーですか。改めて言いますが、積極的にバンドの揉め事に立ち入る気はまったくありません」
「そうかあ。こないだ良介君が深夜に帰ってきたと思ったら、甘い香り漂わせてたから、てっきりお楽しみじゃったとばかり」
「あれは事故です。思わぬトラブルです」
そこに至るまでの話を全てするつもりはない。ドラゴンもキッスもそして自分も、他人に知られたくないことはあるのだ。
「特にハッピーとは、僕は前にトラブルを起こしてます。あの教団の中でもう一度あんなことがあったら、生きて帰れる気がしません。いやです。お断りです。厄介者しかいないバンドの中でも、ダントツで厄介ですよあの男は。お義父さんがハッピーと話してください」
「曲作りに全力を費やそうとしたんだが……。そうか、わかった」
小次郎は潔く引き下がった。
「そうか。残念だ。ならばこれは良枝と晴香に相談しよう。『バンドのメンバーが元気ないんじゃけど、入婿はもう手伝ってくれない。どうしたらいいのかなあ』と」
「……えぇ……」
「誠也にも言っておこう。『おじいちゃんはお前の父さんに嫌われてる』って刷り込んでおこう。悪かった、嫌な役ばかり背負わせようとして」
「電話貸してください。ハッピーと話します」
「すまんな、頼んだ」
良介は小次郎のスマートフォンをひったくるように手に取り、ハッピーへ電話をかけた。
「なんですかKOZY」
「急にすみません。僕です、良介です」
「おお、マッスオ。何事ですか。もしやKOZYに良からぬことでも」
それはまあ、そういう勘違いされるよな、向こうのスマートフォンにはKOZYって表示されてるんだから。
「いえ、大丈夫です。ただKOZYが心配しているので。ハッピーが元気なさげだと」
「ああ、分かってしまいましたか。話せば長くなりますが」
「手短にお願いします」
「あれは2週間前のことでした。信者たちを相手に説法を行っている時です。信者の一人が私の靴を磨きながら言いました。『教祖様、死んだら魂はどこへ行くのでしょうか』」
「手短に」
「私は答えました。『それを知るためにこの教えを広めようとしているのです』。感動した信者は靴の磨き布で」
良介は電話を切った。小次郎に向かって言う。
「元気です、奴は。もういいですね」
電話がかかってきた。
「靴の磨き布で涙を拭きなが」
「結局何が言いたいんですか」
「神が見えなくなりました」
良介は再び電話を切った。再度小次郎に言う。
「なんか、神が見えなくなったとか言ってますが」
「そいつは難儀だなあ」
感情のこもっていない小次郎の短い感想が終わる前に、また電話がかかってきた。
「神は死んだのでしょうか」
「また来週」
良介は電話を切り、ついでに電源も切った。
「そうか、そいつは難儀だなあ」
まったく感情を込めずに小次郎が言う。
「僕ではどうすることもできません。神を見たことがないので」
「そうだよなあ。かといって放っておくのも気持ち悪いなあ」
良介からスマートフォンを受け取った小次郎は、椅子の上で目を閉じた。考えているか、考えているふりをしているかのどちらかだろうと、良介は小次郎の言葉を待つ。
「ずいぶん難儀だなあ」
前者だった。良介はため息をつき、義父に提案する。
「来週、お義父さんも一緒に、というのが最低条件ですが、ハッピーと練習前に話し合いましょう」
「うん」
「なるべく早い時間に終わらせましょう。ドラゴンとキッスが来る前に」
ドラゴンの宗教嫌いと、前回の顛末を思い出す。良介は暗い日曜日の夜を迎えていた。
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