幕間:エレクトリック老人ホームズ

長ーいキッスの途中で

 日本最大の電気街、秋葉原。パソコンを専用に扱う店舗の数は、両手では数え切れない。

 その中でも最も大きいビルの中で、ちょっとしたできごとがあった。

 様々なパソコンが並んでいるフロアーにいるのは、年齢順に真田“ドラゴン”隆(82)、本条“ハッピー”幸雄(79)、大西“KOZY”小次郎(78)、そして三井“キッス”薫子(75)の4人だ。

 一見するとまんまと振り込め詐欺集団に騙され、新品ハイスペックパソコンの海外発送を依頼しに来た哀れな被害者集団と映るが、実際はそうではない。どれほどの人が信用してくれるかは分からないが、彼らは自分たちの演奏で使うパソコンを見繕いに来たのである。



 ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪



 8月終盤、日曜朝の練習終了後、小次郎がハッピーに相談をもちかけた。


「ハッピーはドラムセットの横にパソコン置いてるじゃろ?」

「はい、デジタルドラムの音色を変えたり、ピッチを刻んで練習したり、色々できますよ」

「ということは、パソコンに詳しいのか?」


 ハッピーは首を振る。


「いえ、基本的に信者たちに任せています。今はそこそこ詳しい者にセッティングしてもらっていますが」


 そして口で

 トゥクトゥーン

 トゥクトゥーン

 ポコポコポコポコ

 と1985年1月末っぽい電子ドラムの音真似をした。


「最初に任せた者はスネアからハイハット、シンバルおよびバスドラにいたるまで『ロマンチックがまらない』の音一色に設定していたので、せっかんしたのち身ぐるみ剥いで、念入りに指紋を消してから破門しました」

「ああ、あのカラフルな髪色の。5人編成だったのが4人編成になった、あの。3枚目のシングルで大ヒットした奴な」

「はい、全国展開しているスーパーのCCGグループと名前が3分の2被ってしまう、あのバンドの音にしていました。破門、やむなし」


 1985年1月25日に発売された3枚目のシングル「ロマンチックがまらない」の大ヒットでつとに知られるバンド、C-C-D(Concorde Dandiesコンコルドダンディーズ)のアイコンの一つが、六角形パッドの電子ドラムであった。


「わし、あれ好きだったけどなあ。解散間近のロック色が強い時とか」

「私もです。しかし私の愛するグラムロックにトゥクトゥーン、ポコポコポコポコは論外です。せっかん、やむなし」

「どこまで脱線すれば気が済むんだ、お前らは」


 ドラゴンが割って入った。傍らでは自ら“キッス”というイカれた通り名を付けた薫子が微笑んでいる。


「パソコンの話じゃねえのか。日が暮れちまうぞ」

「おお、そうじゃった。マッスオがいないと話がまとまらんのう」


 良介は妻と息子を連れて遊びに出かけた。「たまには誠也と遊ばせてください」という、それはそれは真剣な懇願に折れたのである。


「で、パソコンがどうかしたのか」

「うむ。実はな、新しいパソコンが欲しい。多分ノート型の方がいいと思う」

「バンドで使うのか?」


 小次郎は頷いてから自分の左腕に視線を落とす。脳梗塞の後遺症により、いまだに動かない左腕に。


「ちょっと個人的なツテがあって、1000万くらいでボーカルの問題は解決できそうなんじゃが、パソコンが必要なんじゃと。だがわしはもうパソコンは」

「KOZY、ちょっと待て」


 ドラゴンは三白眼を激しく瞬いた。


「1000万って、円か」

「そうじゃけど」


 動じた様子もなく小次郎が応える。


「どうせならハイスペックの方が格好いいじゃろ。で、ドラゴンに質問じゃが、パソコン使えるか?」

「まあ、少しなら」

「私もそこそこいけます」


 キッスが手を上げた。今、ドラゴンとキッスは一緒に住み、つつましくもおだやかな生活を送っている。家の周辺から甘い匂いがするとか何言ってるのか分からないとか、奇声しか聞こえてこないいう被害は、今のところ噂にも聴こえてこない。


「パソコン買うから、ドラゴンとキッスでなんとか使いこなしてくれんか。用が済んだら差し上げるので」



 ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪



 4人がパソコンを眺めていると、20代後半と思しき、若い店員が近づいてきた。窃盗集団には見えないが、とその目はいぶかしんでいる。


「お客様、どういったものをお探しで?」

「ハイスペックなノートタイプが欲しいんじゃが」


 失礼ですが、と店員は前置きし


「海外で仕事することになった、普段は連絡もしてこないお孫さんからの急な電話でせがまれたのですか? お孫さんの声はくぐもってませんでしたか? 誰かに相談なさいましたか?」


 と矢継ぎ早に尋ねた。警察からの指導のたまものだろう。


「いや、自分たちで使う。何の心配もいらんよ」

「そうですか。失礼しました。ハイスペックとおっしゃいますと、ゲームか何かに使われるのですか?」

「ドラゴン&キッス!」


 店員は固まった。急にどうしたのだこの老人は。断末魔にしてはいささか奇妙過ぎるがどうせなら家でやれ、と見開いた目が語っている。ドラゴン&キッスというシャウトが老人のあだ名だとは夢にも思っていない平成生まれの若者の常識は、昭和初期生まれの老人のセンスに蹂躙された。


「お前、外ではその名で呼ぶなよ……」

「恥ずかしい……」


 召喚されたドラゴン&キッスは顔を伏せている。気にする様子もなく小次郎は店員に告げた。


「彼らにノート型の、いいパソコンを見繕ってくれんか。予算は200万以内で」

「……ああ、20万円以内ですね。かしこまりました」

「いや、200じゃ、にひゃく」

「にひゃく」


 それって円ですか、と店員はあっけにとられ、小次郎は先程のように「そうじゃけど」とだけ短く答えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る