Are You Experienced?
明後日の土曜日、大西小次郎の家に異変が起きていた。
朝も早くから重たくて大きな荷物が次から次へと届くのだ。
宅配便を迎え入れる78歳の小次郎は、ジーンズに革ジャン、サングラスに星条旗柄のバンダナをまとっていた。控えめに言うと気が触れている状況である。
重たい荷物に不満げな顔をした宅配業者達は、その姿の小次郎が玄関先に現れるやいなや、黙って二歩引いた。
小次郎は引かれた分だけ二歩進み、無言で宅配業者に1万円札を握らせ、あごをしゃくって二階の自室まで運ばせるのであった。
妻、娘夫婦の三人はそんな状態の小次郎を遠巻きに見ている。
「お母さん、お父さんどうしたの? なんかすごいことになってるんだけど」
「ボケたのかしら。あ、今は認知症って言わないといけないんだっけ」
「午前中なら病院やってますけど……。黙って連れて行ったらお義父さん激怒するでしょうしね」
家人の不安をよそに、小次郎はアンプが温まるまでの短い時間を利用し、ギターのチューニングに勤しんでいた。音叉を叩いたがどうにもA音の高さがつかめない。スマートフォンにギターチューニング用のアプリをダウンロードし、1弦ずつ確実に音を合わせていく。
16歳の頃、初めてギターを手にした時の感情を思い出すかとペグを回すが、特に何も浮かんでは来ない。浮かんでこないかわりに、ペグの形に指がへこんだ。
「60年以上前の感情は、思い出せんわな」
言いながらアンプのスタンバイをオンに切り替え、Eコードを鳴らす。
爆音が轟いた。それはもう、ガラスが震えるほどの。
サウンドの質に気を良くした小次郎は、パープルヘイズのイントロを引こうとした。だが全く指が動かない。それどころかエレキギターの柔らかい弦でも指先が痛くなっている。
ジミ・ヘンドリックスの代表曲、パープルヘイズを弾くことは小次郎世代のギタリストにとって通らねばならない道であった。決して簡単な曲ではない。ただ、避けては通れないものなのだ。
結果、プッ、ピョロー、プッ、プッ、ピョーンとしか聴こえない変な音階の爆撃が繰り返された。
「ちょっと! お父さん!」
慌てて娘の晴香が部屋に飛び込んできた。
「何やってるのよ! 何やってるのかはわかんないけど、そんなに大きい音を! ていうか何やってるのよ!」
「え!? 何!?」
小次郎はサングラスをずり下げ、裸眼で晴香を見た。朝方の室内なので暗くてよく見えていないが、外すという発想には思い至らないらしい。指先はなおも変な音階の爆撃を繰り返している。
晴香は小次郎に走りより、耳元で叫んだ。
「うるさい! 誠也が起きるでしょう!」
孫の名前を耳にした小次郎はアンプのボリュームを落とした。
「そんなうるさかったか。すまんすまん」
「ボケたの? 狂ったの? その格好はなに? どこの病気?」
「すまんが、音楽の中にはでかい音量で聴かないと意味がないものもあるんじゃ」
そんなこと誰も聞いていない。
話が噛み合わないことに怒り心頭の晴香は、深呼吸をして心を鎮めることにした。
そして優しく笑い、小次郎と目を合わせないように話しかける。
「あのね、お父さん。一緒に出かけようか」
「お前の知人の親でロック好きな人、おらん?」
「ま、まだ病院の診察時間に間に合うから。土曜でもやってるから」
「この心の衝動を病気と呼ぶなら、少年少女は皆病気じゃ」
いまだに話が全く噛み合わないうえ、いちいち反抗的、というか反逆的なものの言い方が晴香の癇に障る。再び深呼吸で心の平穏を保とうとした。
「大きい病院行くかどうかって聞いてるんだけど」
「わしはキース・リチャーズじゃない。NOじゃ」
深呼吸の効果が切れた。
キース・リチャーズとはローリング・ストーンズのギタリストで、かつては生粋のジャンキーだった男だ。全身の血液を入れ替えるという荒療治により危機を脱するも、退院した際の第一声は「これでまたシャブができる(諸説あり)」。
きいい、と晴香は声を上げ、足を踏み鳴らす。母の良枝が部屋に入ってきた。
「ちょっとあなた。何はともあれ静かになさいな」
「音楽の中にはでかい音量で」
「今のあなたのそれは音楽ではなくただの音階もどき」
小次郎の減らず口が止まった。
「ドレミファソラシドは大きい音で鳴らさないと意味がないの? 家中どころかご近所にも『練習してます』って大声で喚き立てるのはかっこいい? ていうかそんなにプツプツいうってことは、弦を抑えられてないんじゃないの?」
小次郎はしばらくうつむいていた。やがて、顔を上げ、娘と妻に謝った。
「そうか、迷惑をかけたか。申し訳ない。わしの熱いロック魂に免じて許してほしい」
「何言ってるのかわからないけど、迷惑かけてるってわかってくれればいいのよ。ねえ晴香」
「う、うん、それで十分。さすがお母さん」
部屋の入口から晴香の夫、良介が顔を出した。いわゆる入婿である。
「お水、持ってきました」
「ああ、良介君、ありがとう」
小次郎は礼を言って水を飲む。
「ところで良介君、君の同僚の親でロック好きな人、おらん?」
「いないと思います。僕自身はバンドやってましたけど」
晴香は首をひねった。
「お父さん、それ、皆に聞いてるけど、なんなの?」
「バンドじゃ」
小次郎は即答した。星条旗柄のバンダナを締め直し、サングラスを上げて目を隠す。
「バンド組むんじゃ。こないだ家に一人でいるとき、ピンときた。もう止まらん。ドント・ストップ・ミー・ナウ」
「え……。あ……」
相槌とも驚愕とも絶望とも取りかねる、誰かのため息が小さく響いた。
「ライブハウスの最前列に誠也を招待して、わしの、おじいちゃんの輝きを観てもらうんじゃ。その為には一人では無理じゃろ。なんぼなんでもそれくらいはわかるじゃろ?」
なんでそれすらわからないの、とでも言いたげな小次郎の発言に晴香は嗚咽を漏らし、良枝は長いため息をついた。良介は目を泳がせている。3人の認識が共通した。
「消える間際のろうそくって、本当に発狂したように光るんだなあ」
だがそれを声に出す者はいなかった。
「練習場所は防音ガレージでも建てればいいか。なんにせよ、ベースとドラムは必要なので、探っておいてほしい。あと観客な。必要なら金も出す」
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