念仏代わりにレコードを

桑原賢五郎丸

STARTING OVER

So You Want To Be A Rock & Roll Star

 日によってはまだ冷たい風が吹く4月。


「おじーちゃん、いってきまーす」

「じゃあお父さん、留守番お願いね」


 幼い、元気のいい声と共に、孫の誠也を連れて娘の晴香が幼稚園に向かった。

 大西小次郎こじろうはお茶を一口飲み、目を閉じた。

 孫というものは本当にかわいいものだと実感する。目に入れても痛くない、とはよく言ったもので、今の小次郎の生きがいの全てであった。

 孫が生きがいの全てという老人の、細い顔の中で目を引くのは切れ長の瞳である。鋭い眼差しは、アポ無しで突撃してきたセールスマンたちを怯えさせるほどの迫力があった。柔和な口元には白いあごひげが生えており、それをしごくのが癖となりつつある。


 リビングに静寂が満ちた。妻はデイサービスに出かけ、入婿はとっくに出勤している。テレビはすでに消してあった。

 なぜならば、小次郎はテレビが苦手であったからだ。

 芸能人の恋愛ざたになど、誰が興味を持つというのか。事件の加害者の親に話を訊いて何が解決するというのか。一人で暮らしていたら、こんな邪魔なでかい箱は捨ててしまうだろうと思っている。


 朝刊も読み終わった。投資信託の推移も順調である。




 何もすることがなくなったということに小次郎は気づいていた。




 最近、こういう時間が増えてきていることを小次郎は自覚している。

 人生が終わりに近づくにつれ、徐々に増えていくのだろう、この空白の時間は。今78歳。もうそれほど残り長くない人生であるが、その空白とうまく付き合える気はしなかった。なにより心地の良いものではなかったからである。

 ふと昔のことを思い出す。

 振り返るほどの人生ではないが、空白を埋めるには、過去の体験を思い出す以外にない。


 娘が生まれたのは35年前。

 最初の宝くじが当り、1億円を手にしたのは30年前。

 それを元手に先物取引で一発当て、更に株とマンション経営に成功し、資産は増え続けた。

 そういった節目となる出来事は覚えているが、他の事となると全てが濃い霧の中だ。


 ラジオをつけた。記憶を思い返すことに集中できなくなったのだ。

 今はラジオも声で操作できるようになった。スマートスピーカーというものの仕組みはよくわからないが、インターネット回線なのでノイズが少ないそうだ。

 小次郎はとあるFMを選局した。午前中のこの時間は、好みの合うディスクジョッキーの番組が放送されているはずだ。


 小次郎の好み、それはオールディーズである。

 バディ・ホリー、チャック・ベリー、エディ・コクラン、ビートルズといったロックンロール黎明期のスターや、60〜70年代のモータウンレーベル、70年代のハードロックといったところに目がない。

 その嗜好は、最近のものは何でも貶め、昔のものなら何でも美化しがちな老人特有のパーソナル極まりないこだわりが凝縮したものであるという真実に小次郎自身は気づいていなかった。


 今日はどんな曲を流してくれるのかと構えていたところ、スピーカーからはアイドルの歌声が聴こえてくる。


「えー、お送りしましたのは本局のイメージソングとして作られた……」


 DJも会社の命令には逆らえなくなったか。小次郎は嘆息しラジオを切る。


「トム・ペティの『THE LAST DJ』は夢物語か」


 アメリカとイラクの戦争前夜、平和を望む歌の放送を禁止されたアメリカのDJがいたが、反発してかけたい曲をかけ続けた、という2002年の曲。トム・ペティは1978年のデビューから2017年に66歳の若さで亡くなるまでロックの第一線を走り続け、死後もその人気は衰えていない。


 青いリングが光り、スマートスピーカーから声が聴こえた。


「トム・ペティの『THE LAST DJ』を再生します」


 独り言を拾ってくれたのだろう。

 小次郎はトム・ペティの詰まったような声に耳をすませた。

 4分と少しで曲が終わる。




 このたった4分間が、小次郎の空白を静かに、だが強く突き動かした。




 小次郎はなんとなく、スマートフォンに入れたザ・バーズの「So You Want To Be A Rock & Roll Star」を流す。


「もし君がロックスターになりたかったら、とりあえずエレクトリックギターを手にしろ」


 小次郎は苦笑いしながら歌詞を読み返した。

 こんな陳腐なメッセージに踊らされる奴が、70年代には吐いて捨てるほどいたわけか。もちろん苦笑いした本人もその一人である。


「今時は黒歴史、とか言うんだったか」


 そう言いつつ小次郎は、スマートフォンで楽器店のホームページを開く。エレクトリックギターを見繕い、何のためらいもなく買った。


「誠也に、おじいちゃんのいいとこ見せてやらんと死ねんしな」


 フェンダーUSAのストラトキャスター、色はキャンディアップルレッド。

 お値段、253,800円+消費税。


「ギブソンのレスポールの方が好きだけど、あれは重たいからなあ。なんであれ、あんなに重たいんだろうなあ」


 続いてアンプ。トップに出てきたメサブギーのヘッドアンプ。

 270,000円+消費税。

 キャビネット。

 59,400円+消費税。

 次から次へと一切の躊躇も見せずにカートに入れる。


「しかし、フェンダーなんぞ昔はもっと高かった気がするが。こんなもんか。あ、エフェクターも忘れちゃならん」


 マルチエフェクターは使いこなすまでに時間がかかるので、Fulltoneのオーバードライブを選んだ。

 17,000円+消費税。


「スタンドもいるしハードケースは必須じゃろ」


 たった4分のロックソングに突き動かされた結果、指先だけで約60万円を消費した老人は、満足げにため息をつく。


 そうこうしているうち、妻がデイサービスから帰ってきた。


「ただいま」

「おかえり」


 普段はその程度の会話しかしない二人であるが、この日は違った。

 目を輝かせた小次郎が妻に熱っぽく話しかけたのである。


「なあ、良枝。わしのバンダナと革ジャン、知らん?」

「え?」

「あと、デイサービスのお仲間でロック好きな人、おらん?」

「は?」


 空白を埋めるつもりで過去を思い出していた小次郎は、なんということはないきっかけで明日なき暴走に身を投じたのだった。

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