6月30日 3
玄関でスリッパに履き替えた良介と、「靴のほうが汚れちまう」という理由で土足で上がり込んだドラゴンは廊下を進む。守衛の話によれば迎えが良介たちの元へ向かっているそうだ。
教団内部は、想像よりも質素な作りだったが、天井や梁のあちこちにスピーカーや教団のマークが設置されている。それはともかくとして、何より気になるものがあった。
どういうわけか廊下の奥には強力な発光源が備え付けられており、金色の光が容赦なく目を突き刺しに来ているのだ。どういう謂れがあるのかは分からないが、もしかしたら後光効果を狙ったものなのだろうか。長い廊下を歩いているうちに向かいから数人が来た。案の定、顔が見えない。
信者の集団が近づくにつれ、少しずつ光が弱くなってきた。ようやく廊下の最奥を見ることができたが、信じがたいことに発光していたのは、壁面に大きく描かれた教祖の顔だった。
先頭にいる老人が両手を広げる。
「ハッピーハッピー、ゴールデンハッピー! 世界人類チャンス目前!」
大絶叫が轟いた。おそらくスピーカーからも音が出ているのだろう。このふざけた言葉のどこに信者を増やす効能があるのだろうか。良介には見当がつかないが、声の主は判明した。
「マッスオにドラゴン、わざわざようこそ」
ハッピー幸雄ゴールデンが出迎えに来たのだ。いつものように黒い細身の三つ揃えスーツで薄い笑いをたたえたハッピーは、まさしくそっちの方の極北にいるヒト、極北に近づきすぎて遭難しちゃったヒトという印象を良介に与えた。
良介が挨拶を返す前に、ハッピーにスッと近づいた小柄な影がある。ドラゴンは靴を脱いで手に取り、ためらうことなくそれをハッピーの鼻っ柱に叩き込んでいた。
「あ、わりい。口と鼻の間にぶつけるつもりが鼻に当たっちまった」
三白眼を細め、なおも靴による追撃を狙うドラゴンを、信者たちが止める。ハッピーは鼻血を出して四つん這いになっている。良介はもう帰っていいですかという言葉を飲み込み、混迷を極めた現場の写真を撮る。緊張感の欠落したピロリンというシャッター音が響いた。
そして写真を良枝の携帯電話に送信。
件名:ドラゴン、トラトラトラ
本文;もう帰っていいですか
30秒もしないうちに返信が来た。
件名:Re:ドラゴン、トラトラトラ
本文;ならんが? (^o^)v
良介は下を向いて携帯電話の無意味な操作に没頭した。すなわちメールを開く、閉じる、もう少し何か来ないかとまた開く、という悲しい操作に、である。この場違いな行動の理屈は、さすがに本人でも分かっている。現実から目を背けたくて仕方がないのだ。保身のための「僕は見てませんし知りません」アピールでもある。おまわりさんが来た時に「あの三白眼がいきなり教祖を靴で叩いてました」とスムーズに言えるよう、
しかし、ドラゴンの奇襲はどうしたことだろうか。子供が近づけば不器用ながら優しく抱え上げ、自分が悪いと思った時は素直に謝る、良く言えば直情的な老人であったのだが、教団に到着してからの怒りは常軌を逸していた。
けどまあ今はそれはいいや、と良介は将棋ゲームを開く。
誰か警察を呼べ、と信者が指示を出す。だがそれを止める者がいた。被害者のハッピーその人である。鼻血を垂らしつつも薄ら笑いをやめない。
「ひどいことをしますね、ドラゴン。私に何か恨みでもありましたか?」
「いや、ゴキブリかと思ったら手前ののぺっとしたこ汚ねえツラだっただけよ。謝る必要があるか」
「私が警察を呼ばない理由が分かりますか? 温情ではありませんよ。私の後ろに何人いると」
「治外法権きどりか。基地外包茎の分際で。いち宗教家ごときが」
これにはさすがのハッピーも青筋ピクンピクン。今や顔面の筋肉のみで笑っている。
見かねた信者の一人が、将棋に没頭している良介に話しかけた。
「あの、あなた止めないんですか」
「え」
「あなたが連れてきたんでしょう、あの人」
「すいません忙しいんで」
良介は携帯電話から目を離さずに応える。シェルターを作ることに成功してしまったのだ。今は、時折窓から覗いて「早く共倒れになれ」と願っている状態である。
しかし、その心の拠り所たる携帯電話を急に取り上げられたものだから怒り心頭に発ス。取り上げたのは怒った表情のドラゴンだった。
「お前、こっちが大変な時に何やってるんだ」
「だって、アンタ言ってることとやってることが全然違うじゃないですか」
携帯電話を奪い返し、飛車を左に降る得意の
「『穏健に話し合う』って言ってましたよね。車の中でも」
「あ、まあ」
「蓋を開けたらいきなり守衛さんにつっかかるは土足で上がるわ。しかもいきなり殴りかかったらどうなるか。最悪逮捕ですよ逮捕。そんなことも分からないんですか」
「う、それはすまん」
「アンタは捕まってもいいでしょうけど、僕が捕まったら誠也が泣くんですよ。会社もクビになる。おんなじ条件の再就職先探してくれるんですか」
なおも拗ねた子供のように将棋の駒を動かしつつ、良介は声を出す。
「しかも相手は脳梗塞ホヤホヤの患者の個室に、集団で入り込もうとする新興宗教の教祖様ですか。どうせ殺菌の一つもしてないんでしょうに、恩を売りたいがためにそこまでなさるとは、ご立派ご立派。むしろ殺菌スプレーかけたら自分が死ぬんですか」
良介は二人の顔を一切見ずに、舌鋒鋭く攻撃を続けた。
「昭和の夕暮れ三丁目ならケンカしても次の日仲直りするんでしょうが。なあ。今のはケンカじゃねえな。暴行ですわ。ぼーこー」
今や非難の声はわめき声に近づきつつあった。狼狽するドラゴンは良介に頭を垂れる。そして遂にはハッピーも不安そうに良介の顔を覗き込んだ。流れる鼻血が携帯電話の画面に落ち、良介の手が激しく震えた。段階的逆上が最終段階に達した瞬間である。
「きさきさきさきさ」
良介の眼尻が吊り上がった。
「貴様らサラリーマンの日曜日を何だと思ってやがる! おれは仲裁者じゃねえ! ジジイのお守りでもねえ! 子供と遊ぶ時間もねえ! だいたいなんだあの顔文字は! 笑ってんじゃねえ! 何もかもおれに押し付けやがって!」
怒れる正論
「貴様らそこになおれ。早くしろ。それぞれの言い分を聴いてやる」
ドラゴンとハッピーは首吊り死体のように俯いていた。
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