6月30日 4

 古の宗教画にでもありそうな、ひどい絵面である。

 二人の老人が床張りの上で正座させられ、携帯電話片手の中年男性に説教されているのだ。もはや説教ではなくせっかんにしか映らない。どこからどう切り取っても問題のある場面にしか見えないが、幸いにして新興宗教ゴールデンハッピー教の内部ということもあり、外部の目には触れない。それを幸いと言っていいのかどうかは分からないが、事情を知らない人が見れば緊急通報するか、動画の撮影に勤しむことは間違いない。


「あのなぁ、教祖様よお」


 40代の中年男性、大西良介(40)が正座した老人の片割れ、ハッピー幸雄ゴールデン(79)に話しかける。いや、これは話しかけているのではない。圧をかけているのだ。その証拠に良介は、時折かかとで床を踏み鳴らしている。


「はい、な、なんでしょう」

「うちのクソジジイはアンタをバンドから抜けさすことに反対してたやがったけどよ。おれは正直いなくなって欲しいんだわ。どうせまたトラブル起こすだろうからよ」


 真田“ドラゴン”隆(82)が顔を上げて抗議した。その三白眼は恐怖に怯えている。


「良介、その言い方は」


 良介の血走った目と三白眼が一瞬ぶつかり、三白眼が伏せられた。


「宗教だろうが春闘だろうがまあ、興味ねえからいいや。ガレージ内で勧誘もしなかったしな。けど病院のアレはなんなんだ。なんなんだアレ。ああ、その前に信者ども下げさせろ」


 良介は信者たちを見据え、ハウスと声をかけた。これには信者が怒りの声を上げたが、ハッピーは素直に下げさせた。信者達は「ハッ」とか「ゴールデ」とか口々に発しながら廊下の奥へと去っていく。


「けど病院のアレも万歩譲って理解しないでもない。アンタらにとっちゃ飯のタネ。弱った獲物を見つけた漁師みたいに舌なめずりしますわ。ああ、そりゃあしますわ」


 ハッピーの顔からいつもの薄ら笑いは消え、冷や汗が浮かんでいる。低血糖の症状である。良介はしゃがみこんでハッピーの顔を覗き込みつつ訊いた。


「ブドウ糖はどこだ」

「私の尻ポケットの中に」


 正座しているハッピーを前に倒してうつ伏せさせ、何も言わずに尻をまさぐりブドウ糖を手にした良介は、うつ伏せのままのハッピーの口にそれをねじ込んだ。


「舐めろ。入婿の分際で、と舐め舐めに舐めきってるおれと同じように舐めて舐めてベロンベロンに舐めまくれ。おれはそれが最もむかつくんだ」

「私はマッスオを舐めてなど」

「その呼び方がそもそも舐めてんだろが」


 一直線になったハッピーの反応が正常に戻ったことを確かめると、血走った目がゆっくりと動き、もう一人の老人に向けられた。


「ドラゴン、いや真田さん。アンタ今日、何回おれを騙した?」

「ええと、その」

「何回」

「に、いや三回くら」

「回数の問題か?」


 訊いておいて回答を打ち切る非情な問答。そもそも訊く意味がない。


「アンタが宗教嫌いなことはわかった。けどそれは一人でやってくれ。巻き込まれる身にもなれよ。なあ」


 怒り疲れてきたのか、良介の怒鳴り声はだんだんと小さくなってきている。孤独なドラゴンに対して一人でやってくれという言い方をしたのが心につかえたのかもしれない。


「バンドは継続してもらっても別にいいです。うちのジジイがやりたいでしょうし。ただ、おれはもう二度と関わらないので」

「えっ、良介、それは困る」

「お断りです。誠也と遊ぶ時間も欲しいんです」


 会話が成立するまでに落ち着いてきた良介の声を聴いて、一直線にうつ伏していたハッピーが仰向けに寝返りをうち、天井のキラリと光る一角に手を振った。不気味な気配を感じた良介が問う。


「低血糖による幻覚ですか?」

「ただの防犯設備です」


 ハッピーは青白い顔のままニヤリと笑った。良介は天井を見上げた。よくよく見ると丸いガラスのようなものがいくつかある。ガラスの横では、録画中を示す赤い小さなランプが点灯していた。


「全部録ってやがったのか!」

「当然の備えです。奥の壁画の目にもカメラは設置されてますよ」


 光る巨大なハッピーの顔が脳裏をよぎる。やたら眩しかったが、あれは有事の際のライトアップを兼ねていたのか。良介は急速に落ち着きを取り戻した。自分が何を言ったのか思い出せずに焦り始める。


「老人虐待の決定的瞬間ですねえ。名前付きでアップしたらどうなりますかな。お仕事続けることできるんでしょうか」

「あー……。無理だろうな……。最近の炎上?ってのは怖いみたいだからなあ」


 ゆっくりとドラゴンが立ち上がる。


「あのな、ハッピー。今言うことじゃねえかもしれねえんだけど」


 膝を払い、仰向けのままのハッピーに話しかけた。


「昔実家が宗教がらみで嫌な目にあったんだわ。もちろんお前の宗教じゃねえんだけど。それで色々思い出してるうちに頭にきちまってな。できれば今度その話もゆっくり聴いてほしい」


 しばらく迷った末、ハッピーに手を差し出した。


「いきなり殴ってすまなかったな」

「ドラゴン、単純すぎませんか。普通なら訴えられますよ」


 ハッピーはその手を握り返す。


「バンド仲間に戻ろうや。少なくともガレージの中では」

「……分かりました」


 カチンと来たのは良介だ。


「いや、いい感じの雰囲気出されても。どういう経緯で和解したんだか全然わからないですよ。ストックホルム症候群の類ですか。いきなり靴で殴りかかったのは誰ですか。それも録画されてるんですよ。なのになんだその茶番は。シャブでもキメて楽しくなってるんですか」


 二人の老人は小声で話し合っている。


「あいつ、KOZYのことをクソジジイとか死ねとか言ってたよな」

「『反対してやがった』『遺書を捏造してやる』とか言ってましたね。証拠も用意できます」

「聞かれたらどうなるのかな」


 ハッピーは良介に向き合い、尋ねた。


「で、どうします? バンドに関わるのをやめるんですか? それとも今ここで、解散を決定しますか?」


 廊下の奥で、柔和な老人の顔をした教団の象徴が、目を光らせながら微笑んでいた。

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