6月16日 1

 朝8時30分、良介たちは病院に向かうため、全員で朝食を摂った。

 普段、朝食の時間はバラバラだが、家族揃って食べる朝食が嬉しいのか、または小次郎のところへ出かけることに興奮しているのか、誠也はご機嫌だ。


「みんなでおじーちゃんのとこ行くんだよね」

「……そうよ、おじいちゃんのとこへ行くのよ」


 孫の純粋な笑顔が琴線に触れ、良枝は見られないように涙を拭いた。

 食事を終えた良介は、車を玄関先へと着ける。窓から身を乗り出し、曇り空を見上げた。梅雨の時期だから仕方ないとは言え、どんよりとした空は、昨日からの大西家の運勢を表しているようで気が滅入ってしまう。


 病院までの道すがら、小学校の集団登校や自転車通学の高校生を多く見かけた。いつもならもう電車に乗っている時間だ。普段自分がいない時間の町の動きを見ることにより、みんな頑張って生きているんだなあと実感し、こんな時にも関わらず良介の気持ちは少しだけ軽くなった。箱庭を天井からそっと覗くような気分でもある。


 ギターのソフトケースを背負って歩いている高校生が見える。あの年頃の子は、たいていギターを持っているだけで優越感に浸れるのだ。モテると思い込んでいる道具を背負っているのだから、同級生に対してその精神的アドバンテージは想像以上のものがある。

 つまりあそこで高校生の格好をしているのは、世に言う「バンドやってるって言ったら必ず『モテるでしょ』と訊かれる問題」に魂を引きずられた結果の成れの果て。わかりやすく言うと、おから。ただ単にギター型のファルスがむき出しになった、モノを使った発情の広告化である。この分かりやすい状況には草葉の陰のフロイトも高校生を指差し、腹を抱えて涙しながら転げ回っているに違いない。

 少なくとも自分はそうだった。というか自分にはそれしかなかったな、と良介は遠い目をした。たいして弾けもしないのに持ち運んで、かっこつけ以外のなにがあったんだと今なら思う。それを若き日の過ちと、一言で切って捨てることができるほどの分別を良介は身に付けていた。


 それにしても、雨が降りそうで降らない。灰色のカーテンはしばらく開け放たれることはないのだろう。

 車は病院へと向かう。頭上の雲が薄っすらと晴れ、病院の方角へと淡い光が差していた。


 面会受付票を良介が記入している間に、良枝と晴香は3階の病室へと急ぐ。着替えやタオルを抱え、誠也の手を引きながら良介も小次郎の元へと向かった。


「おとーさん」

「ん?」

「おじーちゃん、どうしたの?」

「あー。う〜ん、ちょっと具合が悪くなっちゃったんだ」


 3階に着き、ナースステーションに顔を出す。入院できるのは最長で半年。これから長い付き合いになるので、挨拶を欠かしてはならないのだ。


「お世話になります。大西小次郎の家族の者です」

「あ、お疲れ様です。大変でしたね」


 気を使って一言「大変でしたね」と言ってくれる、感じの良い女性看護師が応対してくれた。容態について細かく聴こうとも思ったが、昨日の今日でそれほど多くの情報は揃っていないだろう。

 不幸中の幸いで命に別状はない、と医者も言っていたし、焦っても仕方がない。今は小次郎がどれだけ頑張れるかにかかっている。

 よろしくおねがいします程度の言葉を交わしていた時、ブザーが鳴った。どこかの患者が呼んでいるようだ。仕事の邪魔になるので退散し、小次郎の病室へと向かう。

 廊下の途中で、看護師が良介たちを追い抜いて走り去った。入って行った先は小次郎の病室だ。先程鳴らされたブザーは小次郎の病室からだったのだろうか。


 小次郎の病室の入り口で、良枝が目を見開いて立ち尽くしていた。その視線は病室の奥へ向いている。そちらからは看護師達の慌てたような声。最悪の想像が良介を襲った。ひどい立ちくらみに、思わず壁に手をついた。

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