ライブ「麻草笑女マリファ★ナノ力」前編
キッスの奏でる幻惑的なアルペジオで幕を開ける「煙の中で逢った、ような……」。
ゆったりとした16ビートに合わせ、大型モニターの中で眠っていた
主役が老女だということで笑っている者もいるが、サビのギターカッティングに合わせてまりがなめらかに踊り始めた時、観客は静かな歓声で驚きを表した。根音をそのままに、高い音を半音下げ、また戻す。乾いた音色で鳴くES-335が、スポットライトを浴びて朱い光を反射した。
くるくると踊るまりは、笑顔のまま高らかに歌い上げる。
♫煙が舞っている いい匂い
煙が舞っている いい感じ
まだ見たことのない世界へ 飛べるはず
まだ会ったことのない誰かと トベるはず
私は雁木まり ガンギマリ
夜行バスと同じイントネーション
生演奏と合わさったボイスロイドの歌声が、自己顕示欲に満ち溢れた禁断の自己紹介ソングを歌い上げる。歌で自己紹介されても観客としては照れるか困るかのどちらかなのだが、この歌はキッスの声を使用していることで、柔らかな雰囲気をつくることに成功した。
やがてまりは扉を開け外へと向かう。
曲が終わり、まりの肩に舞い降りてくるのが小次郎を模したキャラクター、歌って踊れる
客席のどこかからくすくすと笑いが起きた。コンピューターを駆使した物語の登場人物が二人とも老人という常軌を逸した展開に耐えきれなかったのだろう。
寿命尽クは、踊ってばかりで特にこれと言った意思表示をしないまりに行動を促す進行役である。
「わしにまんまと騙されて、
そう言われて差し出された草を、まりは何の疑いもなくもしゃもしゃと噛みだし、観た者の記憶をえぐるような、えげつない満面の笑みを浮かべる。以降、少し目が寄り、吹き出しで常に「オホ」という笑い声がついてまわるのだ。
指定通りのモーションに、舞台袖から見ていた良介は手を叩きそうになった。良介の目の前にあるパソコンから音声と映像は出力されている。もしフリーズした時はここで強制終了するしかない。
客席に目を凝らす。ストレートを待っているのに変化球しか来ないといった、困惑の反応だ。当然とも言える。情報も出揃っていない、現時点での映像に付いてこられる方がおかしい。
2曲目の「もう警察も怖くない」は、小次郎の声で歌われるミドルテンポの曲である。片手でも弾けるように考えて作られた、簡素で牧歌的なメロディー。小次郎の右手が鍵盤を走った。
♫朝食前に邪神をめった刺し
目障りだから根絶やしだ
見られなければバレないよ
だから警察だって怖くない
いいか悪いかじゃない
やるかやらないかだ
わしが行くから 君も行け
君が死んだら わし逃げる
寿命尽クの目的は、邪神を倒すことである。だが自分の力で邪神を倒すのが面倒くさいので、都合よく寝ていたまりを使うと決めたのだ。寿命尽クの世界の主食でもあるこの草には、罪悪感を薄くさせる効果もある。
なお、まだ登場しないが、邪神は特に悪いことをしていない。ただ、良い草の生える場所の景観があまり好ましくないものになるので「目障りだからとりあえず
寿命尽クのテロップ付きモノローグに、客席の大半は笑っている。これがコメディであるという認識をしたのだろう。しかし当然のことながら、眉をしかめているまっとうな感覚の人間も多い。
二分している観客の反応をさらに引き裂くように、速いビートの3曲目「こんなの絶対おいしいよ」が始まる。速いと言ってもBPM(一分間の拍数)でいえば90ほど。今までの曲が70ほどだったので、相対的に早く感じるのだ。このスピードは、ハッピーがドラムを4分ほど叩き続ける中での限界を示している。
雁木まりは何も疑わず、ニッコリと笑って邪神をこの世から消し去ると宣言する。誅殺へ向かう途中、怪しさ満点かつうさんくさげでみすぼらしい腐りかけた枯木に、まりは吸い寄せられる。
まだ枝の折れた断面にはドラゴンの顔が浮かび上がっており、まるで人面瘡のようだ。モニターに大写しになった人面瘡が口を開けて歌い出したので会場からは悲鳴が上がった。もはや悪夢である。
ここも良介の指定通りであるが、想像していたよりも10倍は気持ち悪かった。客席のどこかで観ている誠也が、夜トイレに行けなくなる恐れもある。会場がどよめき始めた。
その空気を無視して、ドラゴンの素朴な歌声が会場を包んだ。
♫この木はなんの木 気に障る
名前はネックツリー
そこのラフィング・オールド・レディ こちらへおいで
息抜きがてらに こちらへおいで
おれの枝を刻んで 草に混ぜてごらんよ
きっとすごいおいしいよ
おれのおれのおれのおれおれおれおれ
おれおれおれおれおれおれおれおれ おれお
おおおおおお
データにエラーがあったのか、サビのあたりで人面瘡は同じフレーズと動きを繰り返した。子供の鳴き声が聞こえる。人権を軽視した集団催眠術の実験にも感じられるその時間は、慌てた良介のControl-Alt-Delete連打からのタスクマネージャー起動により遮られた。
良介はマイクをつかみ、焦燥を悟られないよう、静かな声で観客に伝えた。
「前半が終了しました。バンドメンバーの生命活動に支障をきたす恐れがあるため、10分の休憩をはさみます」
客席から、老人たちの笑い声が返ってきた。
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