開幕
12月31日、16時。大西家が住む街の私鉄駅。そこから歩いて5分のライブハウス前に、一台のリムジンが止まった。メンバーの気分を上げようと、小次郎がチャーターしたものだ。落ち着かなさげに腰掛けていたドラゴンが、至極まっとうな意見を呟きながら立ち上がる。
「無駄遣いすんなよ」
「けど、気分良かったじゃろ? ロックスターみたいで」
確かにお星様には近いですよね、年齢的に。
いつものことながら心の中で返答した良介は、先に降りて老人たちの下車を手伝った。冬の乾いた風が身に染みる。
最初に降りてきたキッスの手を取る。いやに冷たい。
「さすがに緊張しますね。いっぱい練習はしたんですけど、人前で演奏するのは初めてなので……」
「大丈夫です。キッスの技術とクッキーなら、観衆を魅了できます」
警察に聞かれたら厄介な軽口を叩き、和ませる。本番まではまだ時間があるのだ。無駄な緊張は体力と気力を奪う。
続いて降りてきたドラゴンに手を差し出したところ、笑顔で跳ね除けられた。気合は十分、年寄り扱いするなということか。
もたもたするハッピーを無視し、はしゃぐ誠也、身重の晴香、良枝に手を貸した。そして最後に小次郎が下車しやすいドアを開き、手を差し伸べる。
「お義父さん、いよいよですね」
「いよいよじゃな。ライブと、貴様の人生」
「あはは、ご冗談を。やだなあ。お義父さん」
先程は身に沁みた冬の乾いた風が、たった一言で心にまで吹きつけてきた。
♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪
16時30分、練習開始。
ステージでの練習は滞りなく終わるはずだった。一生懸命練習してきたことを出せばいいだけだからである。
だが、ゴールデンハッピー教から運び込まれた巨大モニターと、初めて見る映像、そして歌詞付きの歌にメンバーの心は大きく浮ついた。
「歌っている内容はギリギリじゃが、この映像は……なかなか引き込まれるのう……」
「ニラ持って踊るキャラの『
「ギター弾きながら観てたんですけど、動きが演奏にぴったりあってましたね」
「ああ、邪神が」
それぞれの呆けたような顔を見て、良介は拳を握りしめた。きっとうまくいく。本番中は消灯され、観客はモニターとメンバーにのみ集中する。ライブハウスという狭い会場の中で、生演奏が加わった美しい映像は映画以上の興奮を呼ぶだろう。
ただ、この映像と音楽を一夜の夢で終わらせるのはつくづく勿体無いとも感じていた。今日ライブハウスに来れなかった人たちにも観てもらいたかったなと、ひたすら惜しんでいるのである。
小次郎が、「ちょっと早いけど」と円陣を提案した。小次郎、ドラゴン、ハッピー、キッスの手が重ねられる。高校生の頃に対バンで開催した初めてのライブを思い出し、良介は少し顔を赤らめる。
「おい、良介」
気づけばドラゴンが、ハッピーが、バンドメンバー全員が良介を見ていた。照れ笑いを浮かべながら良介も手を重ねる。
小次郎が言った。
「やることはやった。不安はない。あるとすればわしのキーボードと、映像がうけるかどうかのみ」
小次郎はドラゴンを見てうなづく。
「半年以上、今日の為に頑張ったんだ。明日死んでもいいくらいの気合で行くぞ!」
ドラゴンがハッピーに顎をしゃくる。
「えー、本日は寒風吹きすさぶ中、私の為にお集まりいただ」
「長い。あと、お前の為じゃないぞ」
小次郎が訂正し、続けた。
「今日の様子はこちらでも録画しておくし、観客も録画&公開OK。指定したタイトル付けて、アップしたものの再生数がトップだった人に粗品を贈呈する。権利関係は弁護士から制作会社とライブハウスに連絡済みじゃ。お前らがアップしたところで、教団の主催じゃねえってすぐバレる。乗っ取り失敗って炎上するじゃろな」
目を点にするハッピーを見て、ドラゴンが引き継ぐ。
「半年以上の記憶を台無しにするつもりなら、また靴で顔面ひっぱたくぞ」
続いて一番緊張している様子のキッスが口を開く。
「え、足を引っ張らないように、がんばります」
「大丈夫です。こちらからは客席は暗くてほぼ見えないので」
良介は気休めの言葉を吐いた。逆に言えば観客側からは、バンドメンバーかモニターを観るしかないのである。
「じゃあ最後にマッスオ。なにか一言」
小次郎に締めの言葉を託された良介は、再び高校生の頃を思い出した。同じ状況で言った台詞を、20年以上経った今、もう一度口にする。
「最高の演奏を最高のメンバーで! やるぞっ!」
「おーっ!」
♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪
17時30分、開場。
少しずつ観客がスペースを埋めていく。ライブハウスではあるが、メンバーの口利きでやはり高齢者が多いため、椅子を並べてある。観客を詰め込むよりも安全性を重視したのだ。もともと採算は考えていない。
30代と思しき顔も見えるが、これは帯同した保護者なのか、それとも何かの間違いでホームページを見て来たのか。小次郎が雇った数人のカメラ班とゴールデンハッピー教の信者は立ち見となった。
観客には、前もってセットリストと、当日の注意事項が書かれたチラシが配られていた。そこにはこうある。
演奏:Old Holmes
大西“KOZY”小次郎(78)
真田“ドラゴン”隆(82)
真田“キッス”薫子(75)
本条“ハッピー”幸雄(79)
「まだ誰も見たことのない、麻草笑女の物語。」
1. 煙の中で逢った、ような……
2. もう警察も怖くない
3. こんなの絶対おいしいよ
4. 最後に残った草の汁
5. わたしの、最高の食材
※演奏時間は40分ほどです。トイレは一箇所のみなのでお早めに
※撮影と公開は自由です。再生数が最も多い動画をアップした方に豪華粗品を差し上げます。ただしタイトルに「O.H.主催」と付けてください。
※KOZYは脳梗塞の影響で左腕が動きません。
♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪
チラシを手に、良介は楽屋で笑っていた。
「いつ作ってたんですか、こんなの。注意書きの最後、いります?」
返事がない。ただのしかばねの群れのようだ。沈黙の理由は一つ、緊張である。初のライブとなるキッスはともかくとして、大勢の信者に見つめられていたハッピーまでもが表情を固くしている。ドラゴンは貧乏ゆすりをし、小次郎は動かない左手を急にマッサージしだしている。
開演まであと5分もないのに、これはいかん。メンバーの緊張を解くため、良介はとっさに古い歌を歌った。
ある昼下がり、市場へ続く道をゴトゴト進む荷馬車の様子をスケッチしたもの。積み荷は牛一頭。最後は謎の単語の連呼で終わる、スーパーメジャーな例の曲だ。
良介がサビの部分を拳を効かせて連呼していると、メンバー達は顔を上げて、一人ずつその旋律に加わっていった。
半年間の練習。それは、歌声をきっかけとした精神交流、いわゆる“
やがてその悲しげな歌声は大きな合唱になり、メンバーの胸中は競りにかけられる黒毛和牛の心情と合致した。涙を流さんばかりに悲壮な旋律を歌い続けているとき、時計が開演時間の18時を指した。
「あっ」
良介は我に返った。
「じ、時間です。行って、行ってください」
良介はそれこそ牛を追い立てるように老人たちを急かす。牛、いや老人たちはノソノソと立ち上がり、まるでこれから売り飛ばされるような悲壮な足取りでステージへ向かっていった。小次郎の四点杖がゴトゴトと鈍い音を立てている。
緊張を解くつもりが、絶望に叩き落としてしまった。良介は極大の罪悪感にかられ、頭を掻きむしる。ここから先はメンバーに任せて、ステージ横で見守るしかできないのである。
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