きっと飛べるはず

 三井薫子(75)と、真田“ドラゴン”隆(82)が目の前でガンガンにキマっている。薫子はともかくとして、ドラゴンは一日に二度も無重力旅行へ出発するとは思っていなかったはずだ。よく知らないが、こういうの、年齢による脳への負担とかは大丈夫なのだろうか。不安がよぎるが、だからといって良介には何もできることがない。

 薫子謹製のクッキーやチョコレートは、ポリフェノールやテオブロミンが多く含まれ健康によく、さらに自然由来の葉っぱを加えることにより強烈な多幸感が得られるのだ。控えめに言うと違法のものであり、大袈裟に言うとバリバリに違法のものであった。


 よくないな、これはよくないなと呟きながら、良介はカバンを漁る。出かける前に告げられたハッピーの助言が脳裏に浮かんでいた。



 ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪



「マッスオ、ちょっとよろしいですか」


 本条“ハッピー”幸雄(79)がなにやら神妙な顔で良介を呼び止めた。


「はい、なんでしょう」

「もし三井さんがガンガンにキマった状態だったら、どうしますか」

「……通報?」


 手の平が良介の目の前に突きつけられる。


「それは愚か者の悪手です」

「正道だと思いますけど」

「わが教団にこんな教えがあります」


 ハッピーは良介の言葉を無視する。自分が言いたいことだけを言うつもりだ。いつものように両手を広げて目を剥いた。


「『暴力には軽蔑が伴い、盗撮には知恵が伴う』」


 両手を下ろし目を閉じる。良介は次の言葉を待った。


「以上です」

「アンタのとこの神様は大丈夫なんですか、色々と」

「ゴールデンハッピー教経典の13節に目を通しておいてください」

「聞いて? 話を」


 かつて良介への盗撮を成功させた男は、一方的なおごそかさを遺憾なく発揮している。


「証拠を録っておけばいいのです。そうすればいろいろ使えます」


 黙り込んだ良介は、魚の餌以下の存在が転がってると言わんばかりの目で老人を見た。


「この方法で信者を増やしたこともあります」


 なおも盗撮の効能について得意げに語る聖職者を完全に無視し、良介はドラゴンを伴って三井薫子の家に向かったのだった。



 ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪



 腹をくくった良介は、よくないな、これはよくないよなと思いながらもスマートフォンを取り出し、二人の老人の痴態の録画を開始した。盗撮ではない。正々堂々と録画しているのだ。ピロリーンというバカみたいな音に気づいたバカ老人どもがバカ丸出しの顔を向ける。


「オホ、録って録ってして、おまわりさんに見せるのかしらオホ?」

「こら、良介。悪いことしちゃダメだぞ。おれは今、歴史に残る銘刀を打っているんだ。仕事の邪魔をするな。火が足りないぞこら」

「マッスオさんもチョコ食べればいいのに。もりもり食べて元気になればきっとトべるはずよ」


 薫子はお茶を飲んではチョコを齧るカンナビノイド量産体制に入り、ドラゴンは何もない場所目指して何も持っていない右手を力強く振り下ろす、エア鍛錬を続けている。良い刀ができるといいですね、と良介は薄ら笑いで距離をとった。


「三井さん、取引をしましょう。話を聴いてもらいますね」


 つとめて低い声を出し、プレッシャーを与えようとする。だがこういう状態の相手に話が通じるのかどうか。


「これ、通報したらどうなるかは、今の状態でもさすがにお分かりですか」

「もちろんオホ。いやですわ。想像したくもないですわオホホ」


 ここまでは良い。


「僕もできればしたくないです」

「あのギターは貴方のものだったの」


 はい飛びました。

 話が噛み合わなくなった。だが今ばかりは仕方がない。薫子はおそらく亡き夫と話をしているのだろう。

 キマっている相手を理屈でもって説得する。何事も経験だと良介は唇を噛みしめるが、この経験は人生において必要なのだろうか。

 それでも諦めず、話の内容から薫子が訴えたいことを推察する。キーワードは「寂しい」だろう。


「寂しかったのは理解しているつもりです、けどそれはダメなんですよ」

「なんで? なんでダメなの? 夫が生まれ変わって素敵な草になって私に良し。貴方に良し。うん、良し」

「良くないですよ。その年でブタ箱に入りたくないでしょう」


 薫子は泣きながら笑い出した。忙しい。感情の予測ができない。もしかしたら今の一言で“悪い方”に入ってしまったのかもしれない。


「19年間一人だったのよ。子供にも恵まれなかったし夫は死ぬし、もうギター弾くくらいしかなかったオホホホ」


 泣きながら笑う薫子の形相があまりにも恐ろしい。思わず腰が引けるが、悪い方に長く入っていると精神に良くないとも聞く。ましてやそれが老体となれば。良介は強引に話を変えた。


「寂しさを埋める方法があります。うちのドラムのハッピーが言ってました。もう、すぐにでも取りかかれる簡単なことです」


 責任はハッピーに負わせた。そしてテンションを上げさせるため、手拍子をしながら話を続ける。そのリズムに合わせて、老人二人が海底のわかめのようにゆらゆらと揺れ始めた。


「バンドを続ければいいんです。友達増えます。いいじゃないですか」

「いいわオホホ」

「ライブという大きな目標に進んでいきましょう」

「オホ素敵オホ。チョコもっと持ってきて。ギブミギブミ」

「で、その草、全部焼き捨ててください。今後の人生の障害になりますので。その代りに」


 手拍子を早める。老人たちの揺れも早くなった。面白くなってきた良介は手拍子でパパパパパン、パパパパパンと16ビートを刻む。老人たちの揺れが小刻みになり、スピードが上がった。まるで全身で貧乏ゆすりをしているゾンビの番のようだ。

 腹筋を震わせ涙をこらえつつ、力を振り絞って解説を進める。今は話を聴いてもらえるタイミングと見た。勝機である。この機を逃してはならない。


「この動画は破棄します。警察には通報しません。今まで通りの生活を保証しましょう」

「本当かしら。オホ貴方嘘つかないから本当よね」


 まだ亡夫と話しているのかもしれない。


「友達が増えて目標もできる、更には生活の保証! それらがなんと! 草を焼き払うだけで手に入る!」

「草を焼くのはどうかしら。あの人の生まれ変わりよ?」


 急に冷静さを取り戻した薫子は良介を見据える。酔っ払いと違って、キマってる奴はこういうところが怖い。だが良介は気合で乗り切る前提で話をしている。


「人は生まれ変わってもガンジャになりません! 輪廻はそんな生物ガシャみたいなものではないのです! 星5なら脊椎動物、4なら無脊椎動物、3なら植物2はガンジャといった振り分け率は公表されていません!」


 何か言おうとした薫子を黙らせる勢いで続けた。


「いいですか、これだけじゃない! 特典はまだあるんです!」

「何かしらオホホ何かしらオホホ何何オホホ」


 良介は勝負の一手を打った。


「今なら、そちらで刀打ってるドラゴンと結婚する権利が! どうですか! 臭い飯食って孤独死するか、新しい夫と目標に向かって進むバラ色の毎日を選ぶか! さあどっち!」


 薫子は黙り込み、真面目な顔をして立ち上がった。壁に体をぶつけながら台所へ歩いていき、水を飲む。


 台所へ着いていった良介は、薫子の真後ろでダメ押しの言葉を放った。


「草焼くだけで全部がうまくいきます。なお、これは全部ハッピーの計画です」


 全ての責任を新興宗教教祖に押し付けることだけは忘れない。

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