Everybody's Wrong
「で、さな……ドラゴンさんはあれだけすんなり戻ってこれたんだ」
「うん。お年寄りは人の話を聞かなくなるからね。衝突しちゃったらそれで終わっちゃうことが多いんだけど、お義父さんもドラゴンも歩み寄ることができた。これはとっても難しいし、素晴らしいことだと思うよ」
誠也を寝かしつけたあとの日曜日の夜、夫婦水入らずの時間がゆっくりと過ぎていく。
晴香はアルコール度数の薄い缶チューハイを、良介はウイスキーのロックグラスをそれぞれ傾けている。二人は当日の午前中に起こったことを振り返っていた。
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慌てた様子の良介に呼ばれた晴香がガレージに入って目にしたものは、晴れ上がった路上で干物になったヒキガエルのように椅子に腹を乗せている実父・大西“KOZY”小次郎(78)と、冷や汗を垂らした青白い顔のまま蝋人形のようにピクリとも動かない本条“ハッピー”幸雄(79)だった。
警察を呼ぶかご家族に悪い知らせを入れるか迷った晴香だが、KOZYの
「ハッピーはただの低血糖じゃ。わしはただの腰痛。問題ない」
という問題しかない一声で我に返った。
特殊養護野戦病院と化したガレージで、晴香は一通りの看病を終え、夫と真田の帰りを待った。ドラムの人は神よ、などと呟いているが、大丈夫だろうか。神が見えてしまっているのだろうか。真田は激怒して出ていったそうだが、戻ってくるのだろうか。戻ってくるにしても、健康体でいてくれればいいなと淡い期待を抱いて二人の帰還を待ち続けた。
20分ほどした頃だろうか、ガレージの扉を開け、ベースを抱えた良介が入ってきた。
「おお、ドラゴン! マッスオもご苦労じゃったな!」
首を扉に向けたヒキガエルが喜びの声を上げた。神を感じる機能を搭載した蝋人形の首が傾き、扉を見てまばたきを繰り返す。
だがガレージの隅にいた晴香からは、良介の姿しか見えない。もしかしたら老人二人にしか見えない存在になって帰ってきたのか。良介もベースを大切そうに、なんとなれば形見のように大事に抱えている。そう思い込んだ晴香は扉に向かって手を合わせた。つかの間のナイチンゲールと化した晴香は、物事を悪い方に捉える癖が鍛えられてしまったのだ。
「すまん。おれが悪かった」
足を引きずりながら真田“ドラゴン”隆(82)がのっそりと入ってきた。生きていたのはいいが、またケガ人が。晴香は安堵と心労からのため息をついた。
「ドラゴン、その足はどうしたんですか?」
「ちょっと走ったらこのザマ……」
ドラゴンは苦笑いしながら頬をかき、照れくさそうに話を続けた。KOZYとハッピーの顔を交互に見つめ、最後に良介と頷きあう。そしてガレージの中央へ向かって頭を下げ、
「遅刻して悪びれもせずに偉そうなこと言ってすまなかった。だから」
と赤心からの謝罪を述べた。
良介が後を継ぐ。
「真田さんをバンドに戻してもらえませんか」
「戻すも戻さないも。このバンドのベースはドラゴンしかおらん!」
そう言いながらKOZYがギターを杖代わりにして立ち上がろうとする。傍目には感動的な光景と映るかもしれないが、その杖は25万円以上する貴重品だ。そもそも杖がわりにすることを想定して作られているわけではないので、すがって立つにはバランスが悪すぎる。しばらく粘ったKOZYだったが立つことを諦め、再び椅子に腹をドスンと下ろした。
「うぐっ」
というくぐもった悲痛なうめき声が、本日の練習の終わりを告げていた。
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「最後、お義父さん、無意味に立ち上がろうとしたよね」
「あれはね、多分握手なりハグなりしようと思ったのよ。何も意味ないことやって悪化してるんだから……」
「まあ、安静にしていれば良くなると思うよ」
良介は美味そうにウイスキーをちびりと飲む。
「マッスオは」
「その呼び名はやめてくれ。誠也の前では本当にやめてくれ」
「良介は」
晴香は笑いながら言い直した。
「疲れてない? 日曜日に加えて毎晩練習見るとか」
「そこらへんはほら、ポイント稼ぎというのもあるし。あのドラゴンを放っておくのも夢見が悪い。あの人はバンドにいて、ベース弾いた方が絶対にいい」
ウイスキーを飲み終えた良介はさらっと本音を漏らし、誠也の寝顔を見る。
「結果として誠也の為になるなら、なんだってやるよ」
決意と優しさと金欲とが入り混じった複雑な表情で、良介はつぶやいた。
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