天国に一番近いバンド

成長の証

 課題曲の「Get Back」が形になってきた。

 もともと初心者用の課題曲としてうってつけの素材ではあるが、なにより熱心に練習に取り組んでいる証拠といえる。80歳近くなっても情熱を燃やし続ける限り成長をすることができるのだな、と大西良介(40)は演奏しているバンドのメンバーを暖かく見守っていた。ぬるくなったペットボトルのまずいブラックコーヒーがうまい。


 この調子で行けば、半年後には5曲くらい披露できるだろう。義父小次郎の遺産を目当てにしたポイント稼ぎで指導役を始めた良介だったが、最近になって自分の中の心境の変化に気づいていた。できればこの老人バンドのライブを成功させたいな、という思いが芽生えてきたのだ。一生懸命練習している人間が上達する課程を見守るのは、それくらい楽しいものだった。

 とはいえ、そのライブを開催するには全員が存命でなくてはならない。

 良介は15分に一度は休憩を挟み、水分補給を行わせた。


 バンドのサウンドを引っ張っているのは、ベースの真田“ドラゴン”隆(82)だ。たまに安定感を欠くものの、リズムをキープしながら攻めている結果なので注意する必要はない。間違えたところは自ずと修正するだろう。しゃがみこんでドラゴンの顔を覗き込んだところ、とても充実した表情で楽しそうに弾いていた。

 だがずっと指板を見ている。つまりずっと俯いている。これではステージに立っても、客席には頭頂部しか見せられない。これは良くない。

 大音量の中、ゆらゆらと揺れる老人の頭頂部に意識を奪われた観客がトランス状態に陥り、ここは富士の樹海の奥深くかと集団パニックを生む危険性がある。演奏を褒めつつ、体勢は注意しておかなくてはならない。


「ルートが不安定でブライアン・ウィルソンの曲っぽい危うさですね」


 これでも褒めている。


「奴は精神的にも不安定だったからな」


 ドラゴンが嬉しそうに応えた。


 ザ・ビーチボーイズのブライアン・ウィルソンはポール・マッカートニーに匹敵する天才メロディメーカーであるが、全盛期に精神を病み、スタジオに消防士の格好で乗り込んできたりプロデューサーに殺されるという妄想に囚われ数年間ベッドにこもったりしていた。だが長い時を経て復活し、今では数度の来日も果たしているリビングレジェンドである。

「ブライアン・ウィルソンっぽい」という言葉を悪意を通して翻訳すると


「アンタ精神的にアレっぽいのでおくすり飲んでくださいね」


になるが、どういうフィルターを通せばそうなるのか、言われたドラゴンも褒め言葉として受け取ったようだ。バンドの練習では時として世間一般の常識が通用しないのである。


「ところでドラゴン」

「うん?」

「前を向いて弾きましょう」

「む。自分では前を見ているつもりなんだがな」


 花丸がつくくらいの模範的な首吊り死体になってますが、という言葉を良介は作り笑いと二度の頷きで飲み込んだ。

 ドラゴンはサングラスをずり下げ、三白眼を壁面の鏡に向け演奏を続ける。頭ではなく、首か視線だけを指板に向けていれば良いのだ。数分は鏡を見ながら姿勢を意識していたドラゴンだったが、やがて元の首吊り死体に戻った。筋肉の衰えはいかんともしがたい。この辺は長い期間のトレーニングで修正していくべきだろう。


 サウンドを色付けるギターは大西“KOZY”小次郎(78)がかき鳴らしている。KOZYの奏でる極彩色が勝手にぶつかりあってハレーションを起こしており、今のところは目も当てられない惨状となっていた。その原因はカネにものをいわせた多彩なエフェクターとワウペダルにある。


 エフェクターというのはギターの音色を変える為のユニットで、ものにより音をひずませたり伸ばしたりコーラスをかけたりする効果がある。わざわざしゃがまなくても良いように、フットスイッチでオンオフができるのだ。

 また、ギターの音をワウワウいわすためのワウペダルもやはりフットペダルでワウワウ加減を調整する。この辺の説明はどうしても少々幼稚になるが、ワウワウーウーワウワウーというのである。ギターの音が。一例としてつま先側に踏み込むときらびやかなワウワウが、かかと側ならくぐもったワァウワァウとなり、これをワウワウと交互に踏み込むことにより絶妙なワウワウを得ることができる。


「お義父さん、とりあえずゲット・バックにワウは不要かと」


 KOZYは無言でワウをオフにする。代わりにオートワウのエフェクターを踏み込んだ。意見を聞き入れない姿勢である。


「黙っとれマッスオ。わしはこのワウワウが好きなんじゃ。ジミヘンも愛したこのワウワウでライブハウスもワウワウじゃ!」


 義父の前頭葉が派手な音を立ててワウワウ反響しているが、言いたいことはだいたい分かる。だがワウペダルとオートワウを併用するほどの高度なテクニックをお持ちか、と問い質したい。


 そしてリズムの要となる電子ドラムの本条“ハッピー”幸雄(79)はというと、目を閉じて実に面白みのない……というか冒険心のかけらもない8ビートに没頭している。薄化粧と長髪のかつらもあいまって荒行じみた雰囲気を漂わせているが、恐らくは精一杯なのだろう。ひたすらに集中しており、話しかけても気づかないのであった。


 まあこれはこれでいいか、と良介は休憩を提案する。


「だいぶ形になってきましたね」


 KOZYとドラゴンが顔を見合わせた。どことなく自信に満ちた、自慢げな雰囲気である。KOZYの根拠なき自信はへし折らねばならないが、ドラゴンの楽しげな様子といいハッピーの一途さといい、賞賛に値するものだ。


「そうじゃろそうじゃろ! そろそろ次の曲決めとかんとな!」

「あ、ならおれ、オリジナル作ろうかな」

「やっぱ英語じゃろ、ロックなら」


 ワイワイキャッキャッと老人が和やかに語り合っている。その様子を改めて良介は暖かく見守った。初練習で解散危機に陥ったメンバーとは思えない精神的な成長が確かにここにはある。


 全員に水分補給をさせようと良介がお茶を淹れ始めたその時、閉じていた目をカッと見開いた男がいた。ハッピーがマイクを引き寄せ、低めの声で話し出す。


「その前に提案があります」


 ガレージのライトに照らされたハッピーの青白い顔は、何やら預言者のような厳かさを放っていた。


「バンド名変えませんか」

「変えましょう」


 良介は一瞬の間も置かず即答する。土瓶からお湯が溢れた。

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