No Not Now 〜今は納豆はいらない〜

「おじいちゃん、かっこいい!」

「おおそうかそうか。誠也にはこのブルースが分かるか」


 誠也に褒められ、小次郎は満面の笑みを浮かべる。

 なお、小次郎はサングラスもバンダナもしていない普通の格好である。あの格好で家の中を歩き回ることだけは、家人がなんとか押し留めた。誠也の精神状況が将来的に不安定になるのを恐れた、晴香の主導である。


「誠也、そろそろ寝ましょうね」

「うん、おじいちゃん、おばあちゃん、おとうさん、おやすみなさい」


 晴香が誠也を連れ、2階の寝室に上がった。小次郎と良枝の眼尻はデレデレと下がるが、良介はそうもいかない。今から約30分ほど誠也が眠りにつくまで、晴香は降りてこない。

 その間、義理の両親の相手をしなければならないのだ。ただの義理の両親ならばそこまで気を使うこともないだろうが、彼らを包む状況が特殊であることは、誰よりも本人達が理解していた。


「あなた、そろそろ休んだら」

「いや、まだまだ」

「良介さんが休めないじゃない。帰ってきてまだお風呂にも入ってないんですよ」

「あ、お義母さん、僕なら大丈夫ですよ」

「だそうじゃ。練習あるのみよ。上達しないと楽しくないしな」


 良介は無言で頷いた。上達を楽しめる人間は成長する。それを分かっている人間は練習を苦に感じない。もっとも、見守る方はその限りではないが。

 そもそもまだ食事が終わっていないのである。良介は残り少ない納豆をご飯にかけ、最後の一口を食べようとした。

 だが納豆は白米から糸を引きながら静かにこぼれ落ち、茶碗の中には納豆のみが残った。

 聴かれないように静かにため息をつき、何も考えずテレビに視線をやると、クイズ番組が放送されていた。2問目を終えたナレーターが進行する。


問3といさん 空腹時に胃の粘膜を傷つけ……」


 えっ、いさん


 良介は背筋を正した。


「胃酸過多!」

「えっ、いさん」


 良枝の大声がクイズの答えだと分かるまでに空白があった。

 その空白が良介の思考を回復させたが、思わず声が出てしまったことには気づいていない。

 小次郎がチラッと良介を見た。


「そういえば良介君、人気のあるバンドが解散する時って」


 えっ、いさん


 また空白が生まれた。

 小次郎は笑みを深くし、話を続けた。


「けっこう悲惨な状況になったりするんじゃろ」


 えっ、えっ。


 良枝も話に加わる。


「なんていうか、離散!みたいなイメージだわ」


 えっ、えっ、えっ。


「さて、寝るか。良介君もお疲れじゃったな」

「本当にお疲れ様。お風呂に入ってゆっくりしてね」


 老夫婦は寝室へ向かった。その背中が笑っている。

 だが良介にはその笑いの意味を考える余裕すら無くなっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る