念仏代わりにレコードを

念仏代わりにジミヘンを

 大晦日のライブは老人たちの体力どころか生命力を激しく削ったようだ。

 1月2日。

 ベッドの上で気の抜けた顔のまま食事をする小次郎を見て、「ずいぶん老けたな」と良介は感じた。

 もしかしたら病院に連れて行った方がいいのではないかと思ったが、長年連れ添った良枝の「そろそろ回復する」という見立通りに小次郎はむくりと起き上がった。そして夜中、手当り次第におせち料理やもちをかきこみ始めたのである。


「お母さん、お父さんどうしたの? なんかすごいことになってるんだけど」

「ボケたのかしら。あ、今は認知症って言わないといけないんだっけ」

「午前中なら病院やってますけど……。黙って連れて行ったらお義父さん激怒するでしょうしね」


 野性的な食事を終えた後、小次郎はいつもの様子を取り戻した。


「悪口を言うなら、聴こえないように言え」


 我に返った小次郎は、まず誠也を呼びつけ、封筒にずっしりと入ったお年玉を渡そうとしたが晴香に止められた。やむなく、普通のポチ袋に常識的な額を入れる。


「ありがとうおじーちゃん。ライブまたみたい。かっこよかった」


 誠也は、一字一句違わず良介の指示通りの礼を言った。満面の笑みを浮かべた小次郎は、孫の頭をグリグリと強めに撫でた。




 3日の朝、朝食を終えた小次郎は難しい顔でスマートフォンを凝視している。良介は洗い物を片付けながら小次郎に尋ねた。


「何見てるんですか?」

「ホームページの掲示板じゃな」


 大晦日の夜にアクセス数が跳ね上がったOld Holmesホームページの掲示板には、様々な意見が寄せられていた。


「差別主義者によるあまりにも悪趣味な45分」

「環境保護について真面目に考えさせられた」

「次あるの? メンバー死なない?」

「電気の無駄遣い」

「大麻解禁の推奨してない? 警察に伝えていい?」

「いじめについて考えました」

「音パクだ あんなの」

「老人虐待ではないか。通報すべきところに訴えるべきでは」


 どちらかというと否定的な意見が多い。一通り目を通した小次郎は満足したのか、良介に話を振った。


「いろんな風に考えてくれとるの、観に来てくれた人は」

「そうですね。無視されるよりはずっといいかと。音パクという感想だけは理解に苦しみますが」

「叩きたいだけじゃろ。それこそ無視じゃ」


 小次郎は大きなあくびをして天井を見上げる。


「我々が目指した灯りは道を照らしてくれたのだが、誰かが見ればその灯りは目障りなものかもしれん。家族からしてみてもな。まあ、音楽だ映画だ小説だなんてそんなもんじゃ」

「深いようで浅いまとめ、ありがとうございます」


 雑に話を切り上げた良介は、義父の前に淹れたてのほうじ茶を置いた。


「珍しいな、ほうじ茶とは」


 礼を言って熱い茶を飲む。しばらく口の中でころがし、風味を楽しんでいる。


「これ、ほうじる、焙煎したお茶ってことなんですね。ずっと法事茶だと思ってました」


 小次郎はお茶を吹き出し、激しく咳き込んだ。


「殺す気か」

「いえそんな。なんかお寺の匂いっぽいし」

「寺、なあ。ハッピーはどうしたんじゃろ」

「知りません。何かあったらいやでも向こうから来ますよ、電話が」


 テーブルを拭く良介を見ながら、小次郎は小声でこぼした。


「……めんどくせえなあ……」

「めんどくせえということは、今後も付き合いを?」

「バンドのドラマーじゃもの。けどわしの葬式には来てほしくないなあ。乗っ取られそうじゃ」

「勝手に教団のお経、上げるでしょうね」

「もしその時が来たら、大音量でジミヘン流しておいてくれ」


 皆が湿った顔を伏せる中、歪んだギターの爆音が唸りを上げる葬式会場を良介は想像した。線香立てにはタバコや大麻が突き刺さり、お焼香を鼻から吸うやんちゃな老人も出没するかもしれない。サングラスをかけた遺影は満面の笑みを浮かべているのだろう。葬式が終わった後、大西家は近所から村八分にされることは疑いようがない。晴香はママ友から白い目で見られ、誠也はいじめられる恐れもある。

 暗い顔をしてうつむいた良介が気になったのか、小次郎が詫びを入れた。


「すまん、正月早々、わしの葬式の話なんて、暗い気持ちにさせてしまったか」

「いえ、そういうわけでは。本当に。心配のベクトル違いです、本当に」

「だろうな。お前がそう言う時は、本当にわしの心配してないもんな」

「いえ、そんなわけは。本当に。死ぬ、悲しい、お義父さん」


 しどろもどろで日本語が怪しくなった良介は、強引に話を切り替える。


「そういえば、1日の夜にドラゴンとキッスが来ました」

「その話、聞いた方がいいか。わしの葬式の話続けたほうがいいか」


 前者でお願いしますと懇願した。


「バンドは継続するのかどうか、と」

「うーん、やめたければ止めんがのう。あの二人は離したくないなあ」

「いえ、継続したいそうです。その旨、ドラゴンに伝えておきますね。二人共喜びますよ」

「なら、次の目標も伝えといてくれ」

「次、ですか?」


 小次郎はあごひげをしごきながら頷いた。


「全国、とはいわんまでも東京ライブハウスツアーをな、計画してもいいんじゃないかと。ワゴン車に機材積んで。高円寺とか、吉祥寺とか」

「いいですね。頑張ってください」

「運転手はお前じゃ、良介」

「やです」


 仕事もありますし、絶対やです。お断りです。


「お盆休みとかゴールデンウィークとかあるじゃろ」

「やです。無理です。不可能です。論外ついでに理解ができません。却下です」

「だけどお前、“いつかきっと”って思ってれば、80代でも90代でも夢は叶うって、ドラゴンたちに言ったんじゃろ?」

「人に迷惑をかけないのが前提でしょう。だいたい、県境とかに川ありますよね、川」

「うん」

「多分皆さんしか見えないやつ。渡るたびに誰かが消えるやつですよ。あなたがたは渡ってもいいでしょうけど、僕がその川を渡るのはまだ早いんです」

「同じバンドのメンバーじゃというのに」

「違うって言いましたよね。あの時、はっきり言いましたよね」


 良介は大声を出し、全力で拒否を続ける。何事かと良枝や晴香、誠也が顔を見せる。実にいいタイミングだ。小次郎は、家族の前で良介に「はい」と言わせるつもりなのである。

 人生の空白を埋めるつもりでロックンロールバンドを始めた小次郎は、良介という使い勝手のいい媒介を道連れに、再び明日なき暴走へと身を投じる気満々なのだった。

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念仏代わりにレコードを 桑原賢五郎丸 @coffee_oic

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