ENCORE
アンコールの「GET BACK」は大失敗に終わった。
バンドを結成した当初よりも、はるかにひどい仕上がりで演奏された最初の課題曲は、音楽に詳しくない老齢の観客たちをも大爆笑に叩き込む出来栄えだったのである。
疲労困憊を飛び越え、青白い顔をして視線をさまよわせたハッピーには低血糖の症状が見受けられた。ドラムどころではない。ステージ横から良介が飛び出し、強引に口を開けてブドウ糖を放り込んだ。平均年齢80歳近いバンドは世界にいくつもあるが、演奏の最中にブドウ糖をキメるバンドの話は聞いたことがない。
それでも教団のためか自分のためか、一心不乱かつ予測不能なリズムでスネアを叩き続ける。開きっぱなしのハイハットが耳障りなことこの上ない。
最も観客の声と視線を浴びたのはドラゴンだった。真下を向いて引き続ける、ベース付き自立型首吊り死体が、暗闇の中、スポットライトに照らされたのだ。ゆらゆらりと風に漂う哀れなそれのように、ドラゴンは観客に頭頂部を見せ付け続ける。観客席からも顔がほぼ見えないということは、下というよりは自分の腹、つまりベースの指板を凝視しながら弾いているのだ。
観客の間にもさざなみのように笑いが広がる。不思議に思ったドラゴンが顔を上げると、大きな悲鳴が上がった。休憩前の人面瘡の一件は、まだ観客の心に傷をつけたままなのだ。
キッスは人前で演奏するという緊張感に耐えきれなくなったのか、舞台袖でしゃがみ込んでいる。疲労のためか4拍に1回、適当にコードだけを弾き、今にも楽屋に引っ込んでしまいそうだった。もしストックが残っていたとしても、この大勢の前で元気になるチョコレートを口にすることはできない。
そして小次郎は小さな声で歌っていた。GET BACKはギターならば脳梗塞に罹る前は弾けていたが、キーボードでは全く練習していなかったのである。その為歌うことにしたのだが、やはり疲労と声帯の衰えのため、か細い、野良犬の遠吠えのような声しか出せないのだった。
「ヒャーッ」
小次郎の弱々しいシャウトに、客席はこの日一番の爆笑で応える。
Old Holmesは、一度は切れた緊張の糸を結び直すことには成功した。だが、2回目は緊張とともに体力が切れていたのだ。もう、修正のしようがない。
ドタバタとした演奏風の騒ぎは、乱れに乱れたまま終了した。最後に鳴らされるシンバルもスティックではなく拳が当たり、くぐもった不快な低い音を立てる。
メンバーはもぞもぞと下を向きながら再びステージ前方に集い、手を握り合って観客に向かって頭を下げた。感謝を表しているのではなく、謝罪をしているとも受け取れる。
舞台袖で観ていた良介は、腹の底から笑い続けた。こちらもまた緊張の糸が切れたのだ。遠慮のない笑いが止まらない。目の前が見えなくなるほど涙をこぼしながら激しい息をついていると、誰かに呼ばれていることに気づいた。
「良介、ここへ」
小次郎が、マイクで自分を呼んでいる。どこか体調でも悪いのかと思い、慌てて腰をかがめながら後ろから駆け寄った。
「違う。わしの隣に立て」
言われるがままに前を見る。スポットライトが目を焼いた。
「5人目のメンバー、せがれの良介です。曲作り、演奏指導、映像の脚本を手掛けました。どうか暖かい拍手をお願いします」
会場からは歓声と拍手が上がった。
「こいつが以前、わしのいない所で言っていたそうです。
『30代には30代の、40代には40代の、そして50代には50代の“いつかきっと”があります。なら70代にも80代にも90代にも“いつかきっと”があって何がおかしい』と」
そんなこと言ったっけ。そもそもそれはプロのミュージシャンの台詞であって、おれの台詞ではないんだけど、と居心地を悪くしていると
「その“いつかきっと”を今日、迎えることができました。観てくれたみなさんと、こいつの尽力のおかげです」
退路を封鎖された。
「最後、お前が締めてくれ。わしはもう声が出ん」
強引にマイクを渡された良介は、少し考えて言った。
「大晦日の慌ただしい時に、皆様ありがとうございました。ただこれだけは言わせてもらいたいです。僕はメンバーじゃありません。そもそも入りたいと思いますか。自分より遥かに年上しかいないバンドに。演奏のチェックだけでなく、健康に目を光らせなければいけないんですよ?」
観客が笑った。
「いや、笑い事じゃなくて、違うんですけど。いや本当に」
「お前……マジか……」
「この空気の中でよくもまあ」
「マッスオさん、無意味に頑張らないで」
「神よ、今おそばに」
バンドメンバーの批判とその他を受けるも、譲る気配を見せない良介は続ける。
「ですが、初めて義理の父にせがれと呼ばれました。また、初めて呼び捨てで呼ばれました。そこは気分良かったです」
暖かい拍手が起きる。観客としては精一杯の好意的な反応であった。
「まあ、メンバーじゃないんですけど」
12月31日、大晦日に開催されたOld Holmesの初ライブ「
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます