サイン

 すぐ近くで鳥が鳴いている。姿は見えないが、枝のどこかに止まっているのだろう。太陽をさえぎる木陰を見上げ、良介は日曜日の午後を過ごしていた。

 午前中にバンドの練習とミーティングが終わったので、近所の公園で子守をしているところだった。はしゃぐ子供の声と穏やかな昼下がりの陽気が、眠気を誘う。


 ハッピーの提案に乗る形で、ボーカルは交代制を採用した。1曲ごとにボーカルが代われば体力的な負担は少なくて済む。一人あたり2曲も歌えば、与えられた時間はやりすごすことができるだろう。


 そして次からの曲はオリジナルで作ろう、というドラゴンの意見に皆が頷き、都合6曲のオリジナルソングを練習することになった。こちらも一人が2曲程度作ればいいのだが、ここでわけのわからないことを言い出した男がいたのだ。

 良介は眉間にシワを寄せ、練習終わり間際の会話を思い返していた。



 ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪



 KOZYが腕組みをして、オリジナルソングに対する疑問を口にした。


「オリジナルは構わんが、それは日本語か?」


 まあ、それはそうだろうという言葉を誰も言わなかったので、良介が仕方なく口にした。


「それはそうでしょう」

「ならん」


 鼻息も荒く否定した。練習で疲れたのか、リズムに乗っているのか、KOZYは体を左右に揺らしている。いや、揺れているのか。


「ロックというのは英語でなければならんのだ」


 1970年代に、日本語ロック論争というものが発生した。いわゆる「ロックを日本語で歌うのは是か非か」問題である。

 売上面で日本語ロック組の後塵を拝していた英語ロック組が仕掛けた議論とも言われるが、真相は定かではない。

 今でこそ語られることは少ないが、この論争は過去、軽音楽に取り組む者たちが避けては通れない道だったのである。

 なお、昔から良介はどっちでも良いと思っている。素人バンドが英語で歌うことで「本物です」というアイデンティティを確立しているのであれば、それはそれで構わない。ただそれを売りにされても照れるんですが、という話だ。


「お義父さん」

「なんじゃ。反対か」

「いえ、英語喋れるんですね。驚きました」


 小次郎は首をかしげた。


「喋れんけど?」

「喋れんけど? 書くことに関しては……?」

「書けんけど?」


 だが英語で作って歌うと言い切っている。英語以外のロックは断固として認めない。良介は感心した。未だにこういうことを言う人が生きていたなら、剥製にして手厚く保護してやらなくてはならないのではないかとさえ感じ入っていた。そしてこういう人間はすでに頭頂葉が剥製になっているせいか、何を言っても意見を変えようとしない。


「じゃあKOZYは英語でドラゴンとハッピーは好きな言葉で作ってください賛成の人は手を上げてはい多数決でそ」

「ならん」


 速攻を遮られた。最近、義父のことを「年齢の割に柔軟な人である」という捉え方をしていたが、ことこの問題に関しては小次郎の頭はカッチカチであった。


「音楽というのは音を楽しむと書く。だから意味を考えてしまう邦楽なんて邪道じゃ。それが分からんとは」

「日本語という音を楽しめばよろしいのでは」

「それは苦しい。英語は音節が短いからロックに合わせられるんじゃ」

「短い日本語ならどうですか」

「ならん。なぜ分からん」


 これ以上の会話は時間の浪費だった。小次郎は最後の方は口のなかでなにやらモゴモゴ言っていたが、良介は夜にでもゆっくりお話しましょう、とガレージを引き上げたのである。



 ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪



 誠也が駆け寄り、ベンチで俯いている良介に話しかけた。


「なに? あたまいたいの?」

「いや、大丈夫だよ」


 良介は誠也の頭に手を置く。

 公園の脇に車が止まり、笑顔の良枝が顔を覗かせた。買い物帰りだろう。助手席には小次郎の姿もある。

 誠也を見つけた小次郎は、車から降りようとして転びかけた。足がもつれたのだろうか。

 それでも車に手をついて体勢を立て直し、公園に入って誠也を呼んだ。誠也は駆け寄り、祖父にしがみつく。小次郎は横倒しになった。


「おうおう、ようよう」


 小次郎は歓喜の極みにいるのか、横倒しになりながら何かをモゴモゴ言っている。良介は小次郎を倒した誠也の成長に目を細めた。

 義父に手を貸して起き上がらせ、車へエスコートしたが、座席に座るまでもたもたしていた。やはり演奏の疲れが溜まっているのだろう。

 運転席の良枝が笑いながら言う。


「さっきからこの人もたもたしてるのよ。何言ってるのかわからないし」

「お疲れなんですよ、きっと」


 車はゆっくりしたスピードで家へと向かう。今夜の夕食は何だろうか。その前に小次郎と日本語ロック論争の決着をつけなくては。良介は頭の中で会話の組み立てを行う。もともと多数決で勝敗は決まっているのだから、お義父さんもわかってくれるだろう。きっとうまくいくはずだ。


 だが、その論争が開かれることはなかった。

 その日の夕方、大西家の前にサイレンを鳴らす救急車が停止した。

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