第七章

一話 「感動」

 午後から本選が開始された。

 すっかり軽くなったバッグを持ち、めぐりは他の生徒たちと一緒に弓道場の観覧席で試合を見ている。


 孝蔵こうぞうくん、ありがとうございます。

 タオルを貸してくれたうえに、お握りまで食べてくれて。

 本当にありがとうございます。

 いつもは自転車置き場の蔭からしか応援できなかったけど、今日は堂々とエールを送ることができます。

 頑張ってください。

 わたしはあなたを応援します。

 迷惑にならないように。

 大好きな孝蔵くん。

 できれば、ううん、それは神さまが許してくれないけど、わたしはずっとずっとあなただけを応援していきます。

 だめですか?


 ~~♡♡~~


 結果、桔梗が丘ききょうがおか高校弓道部は大会で三位となった。

 一位にはなれなかったが、弓道部としては快挙であった。

 昨年は予選敗退であったから。

 試合終了後、弓道部員たちはミーティングがあるとのことで、そのまま解散になった。

 めぐりはひとりで帰ろうと地下鉄駅まで、こんどはちゃんと傘をさして歩いていた。


奈々咲ななさきさん」


 振り向くと、傘を差した恋歌れんかしゅうがこちらに歩いてきていた。


「今日はお疲れだったね、おふたりさん」


「室長も、お疲れさまです」


「途中まで、一緒に帰らない?」


 恋歌は口元に笑みを浮かべている。


「はい、ありがとうございます」


 めぐりはふたりと肩を並べて歩き出した。

 試合の話で三人は盛り上がった。


「奈々咲さんのお握り、本当に美味しかったわ。

 今度レシピを教えてくれないかな」


「うん、マジに美味かった。

 孝蔵なんてそれまでほとんど口にしていなかったからなあ。

 三位入賞できたのも、奈々咲くんのお握りパワーのお蔭かもね」


「いえ、そんなこと、ないです。

 三船みふねさんの実力です」


 めぐりは嬉しかった。

 もし誰も食べてくれなかったら、そのまま家に持ち帰らねばならなかった。

 そうしたら、かおるが悲しむだろう。


 せっかく喜んで手伝ってくれたのに。

 孝蔵くんが食べてくれたから、みんなも続いてくれました。

 でも食欲がなかったらしいのに、大丈夫だったのかな。

 無理してくれてなければいいのだけど。


 雨は相変わらず大地に降り注いでいた。


 ~~♡♡~~


「うん、私よ。

 今日はご苦労さま。

 あははっ、そうそう。

 まさか、濡れて走ってくるなんて思わなかったけど。

 携帯電話くらい持ちなさいよってことね。

 それとさあ、三船くんが真っ先に手を伸ばして食べるなんて、意外だったわ。

 だってえ、私たちの作ったお弁当はほとんど口をつけなかったのにさ。

 まあいいわ。

 あのヌレネズミの姿を見ただけでも、気分はすっきりよ。

 えっ?

 明日からお昼に誘うのかって?

 冗談でしょ。

 なにが楽しくて、あんなジメジメと暗い子とお昼ごはん食べなきゃいけないのよ。

 お弁当が腐っちゃうわよ、マジで。

 今までと一緒の扱いに決まってるじゃない。

 どうせまた、あの四組のリケジョとつるむんだろうから。

 それよりもさあ、ちょっとこの頃ランキングがふるわないのよね。

 誰かもっと誘ってよ。

 近々またコンテストをやるみたいなのよ、『小説ラウンジ』で。

 今度は入賞して、いよいよ書籍化よ。

 うん、お願いね」


 ~~♡♡~~


 月曜は、昨日の雨がウソのように晴れた空であった。

 めぐりはいつものように自転車を漕ぎながら、次の物語の構想を練っていた。

 学校に着くと、ゆっくり自転車を押しながら弓道場をのぞく。


 やはりいた。

 今日は道着ではなくトレーニングウエア姿で射場しゃばに立っている孝蔵。

 他にも数名が弓を引いている。


 昨日はお疲れさまでした。

 孝蔵くんを目の前で応援できて、わたしは幸せいっぱいです。

 おかあさんも、とっても喜んでくれました。

 美味しいって、お握りを食べてくれたことを報告したから。

 あっ、もちろんみんなが言ってくださって、と伝えましたけど。

 また試合があったら、今度は遅れないようにいきます。


 めぐりはしばらく見学すると教室へ向かった。

 すでに麻友子たちはきていたから「おはようございます。昨日はお疲れさまでした」と挨拶する。


 だが完全に無視された。

 麻友子の席を囲むように雑談している女子たちは、誰も挨拶を返してくれなかった。

 周と恋歌だけは「おはよう」、「昨日はお疲れさまね、奈々咲さん」と返してくれた。


 ああ、やっぱり時間を間違えちゃったから、九堂くどうさんたちは怒ってるのかな。


 めぐりは申し訳ない気持ちになった。

 本鈴ぎりぎりになって、孝蔵が通学バッグを持って現れた。


「あっ、おはようございます。

 昨日はお疲れさまでした」


「うすっ」


 挨拶はしてくれるが、いつものように不愛想な孝蔵であった。


 ~~♡♡~~


 めぐりはドキドキしながら、目の前に座る瑠奈るなをこっそりとうかがっている。

 お昼休み。

 いつものように二組の教室内は、めぐりと四組の瑠奈しかいない。


「どうしたのさ、奈々咲」


 お弁当の蓋を開け、瑠奈は眼鏡のブリッジを指先でいじる。


「あのう」


「うん」


「えーっと」


「う、うん」


 もじもじと肩をすぼめるめぐり。


「おいおい、奈々咲。

 どうしたんだよ。

 ウチでよかったら、本当に悩み事は打ち明けなよ。

 ウチだって今は無いけど、困ったら絶対に奈々咲に相談しようと目論んでるんだから。

 で、どうした」


 めぐりは一度目をつむり、机の中から一冊のノートを差し出した。


「うん?

 わからない教科でもあるのか。

 珍しいな。

 期末考査も近いし、理系の問題なら」


「い、いえっ、書いたんです!」


 瑠奈はノートをじっと見据え、おもむろに顔を上げた。


「これって、もしかして、奈々咲の」


「はい、小説かどうかわからないけど、二井原にいはらさんに一番に読んでもらおうと思って」


 言い終わる前に、瑠奈はそのノートを引ったくった。


「お、おい、いよいよ完成したのか、奈々咲の小説が」


「はい」


 めぐりは真っ赤になった顔を、両手で隠した。


「ウチが、最初の読者。

 いいのか、本当にそんな役割をウチなんかに」


「二井原さんにだけです。

 読んでいただくのは」


 瑠奈は眼鏡をはずし、ノートの表紙を見つめた。

 ゴクリ、と喉が鳴った。

 ゆっくりと表紙をめくる。

 青い万年筆のインクで書かれた、達筆な文字で埋め尽くされている。


「あのう、先にご飯をいただきませんか」


 めぐりの言葉が耳に入っていないのか、瑠奈の黒目がちの綺麗な瞳が左右に動いている。


「に、二井原さん」


 瑠奈は黙ったまま片手をあげて、めぐりを止める。

 まるでコンピュータが読み込むような速度で、ページをめくる指と文字を追う目がが動いていく。

 その目尻から、スッと涙がこぼれ始めた。

 ページを追うごとに涙の量が増えていく。

 五万文字の中編を恐ろしいほどの速さで読んでいっているのだ。


 めぐりでも、これほどのスピードで本は読めない。

 最後のページで潤んだ瞳の動きが止まった。


 心配そうにめぐりは首を傾ける。

 瑠奈のセーラー服からのぞく白い腕に、鳥肌がたっているのがわかった。


 えっ、もしかしたらわたしの小説が、気持ち悪かったのかなあ。


 ちょっと不安になる。


「す、すごい」


「えっ」


「な、奈々咲、この小説は、ウチの世界観を大きく変えようとしているっ」


 瑠奈の顔が持ち上がった。

 流れた涙を拭こうともせず。


「本当にこれが、初めて書いた小説、なのか」


「はい。

 面白くないですよね。

 もっと勉強しければいけません」


 瑠奈はブンブンと音が聞こえるほど首を振った。ポニーテールの毛先が何度も頬にあたる。


「ウチは、ウチは猛烈に感動しているっ。

 こんな小説を渇望していたことに気がついたっ」


「それって、つまり」


「これを女子高生が書いただなんて、誰が信じる?

 これだけの量に、いったいどれくらいの愛が詰まってるんだ。

 言葉のひとつひとつが、ウチの心に問いかけてくる。

 傑作だ!」


 叫ぶ瑠奈。

 それはちょっと大げさなのではと、めぐりは苦笑する。

 友だちが書いた小説だから、お世辞半分かもしれない。

 でも嬉しかった。

 少なくとも、瑠奈の流した涙に偽りはないだろう。


「そんなに褒められると、わたしどうしていいのかわかりません」


「もっと読ませてほしい。

 奈々咲はウチが思った通り、いや、それ以上の創作者なんだ。

 ごめん、まだ余韻から覚めないわ、これ。

 ああ、素敵だな、こんな恋をしてみたいなあ」


 その言葉にドキリとした。


 わたしが孝蔵くんのことを想って書いたことが、いよいよばれてしまいます。


「ところでな、奈々咲」


 きた!

 やっぱり問われるんだわ。

 このモデルは私だろって。

 相手は孝蔵くんに間違いないねって。


「ウチさ、暇な時間に例の『小説ラウンジ』をのぞくんだけどさ」


「えっ」


「このクラスの九堂くどう、いや『城ノ内じょうのうちイリア』か。

 やつは人気があるみたいだけど。

 なぜあんな小説にフォロワーがあれだけついているのか、ウチは疑問だな」


「は、はい?」


 よかった。

 わたしの小説の、中味のお話ではないのですね。


「いろいろなテンプレを切り張りして体裁を繕ってるって言えばいいのかな。

 いや、ウエブ小説自体があんな感じなんだろうけど。

 それにしてもだ。

 この奈々咲が書いた小説、タイトルはなんてんだ」


「あっ、そこまではまだ考えていなかったです」


「そうか。

 でもなあ、この小説は本当に良い。

 いや、まさしく感動ものだ」


 うんうんと、感心仕切りの瑠奈。


 二井原さんはお世辞を言うタイプではないし、信じていいのかなあ。

 わたしの小説はひとに読んでいただくだけの価値があるのかなあ。

 でも、もっと書いてみたいのです。


「それでさ、奈々咲」


「はい、わたしもっと勉強して二井原さんに読んでいただけるだけの小説を、いっぱい書きます」


「楽しみだな、マジにさ。

 それでな、ちょっと訊いてもいいか」


「はい、どうぞ」


「この小説の主人公って、奈々咲だろ。

 それでもって、相手はこの隣に座る三船孝蔵だろ」


 めぐりの顔からサッと血の気が失せた。

                                  つづく

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