四話 「始動」

 その年の桔梗が丘ききょうがおか高校体育大会は、学校創設以来の盛り上がりであった。

 六月の梅雨シーズンでありながら、当日は雲ひとつない晴天に恵まれた。

 犬猿の仲と陰口を叩かれてきた生徒会と体育委員会とが、手を結んだご褒美のように。


 もちろん小中学校とは異なり、大会は平日に開催され父兄が大勢観戦にくるわけではない。

 各学年別の百メートル走に始まり、二百メートル障害物競争、千メートルリレーなどがあり、最後はもっとも盛り上がる綱引きが用意されていた。

 この日だけは受験勉強を忘れ、高校生活最後のイベントとして三年生たちも大歓声をあげて参加する。


 めぐりは二年女子百メートル走に出場のみであった。

 肩を落として「またビリになってしまってみんなに迷惑をかけてしまうなあ」とため息を吐くが、どうしたことか先頭集団のひとりがゴール目前で転倒してしまい、後続が巻き込まれてしまったのだ。

 集団から大きく引き離されていためぐりはこれを幸いとし、なんと二位でゴールインしてしまった。

 生まれて初めての入賞である。


「いやあ、おめでとう! 奈々咲ななさきくん」


 グランドの二組の席へもどると、いち早くしゅうがハイタッチを求めてきてくれた。

 孝蔵こうぞうは体育委員のため、恋歌れんかも生徒会代議員だからクラスの席にはいない。

 それぞれ本部席で役をこなしていた。


 他のクラスメートたちも、さすがにこの時だけは口々に「おめでとう」と言ってくれた。

 麻友子まゆことその取り巻きをのぞいて。

 めぐりの出番はこれだけ。

 あとは精一杯クラスの参加者を応援することだ。


 三年生たちは誰もが力の限り競技に全力投入していた。

 高校を卒業すれば、二度とクラス一丸となって体育大会を満喫することはないのだから。


 ほとんどの生徒は大学へ進学していく。

 いろいろな事情で就職する生徒もいる。

 同窓会で顔を会わす以外、もう一緒になって声援を送りあうことはないのだから。


 お昼休みをはさんで、午後の競技が開催される。

 体育大会だけは、グランドのクラス別の席で昼食時間を過ごす。


 めぐりも瑠奈るなとおしゃべりしながらのお弁当タイムは過ごせないけど、こればかりは仕方ない。

 その時間になって孝蔵と恋歌は、ようやく二組の席へもどることができた。


 ふたりはクラスのみんなと声を掛けあい、自席で弁当を広げる。

 大空で見守ってくれている太陽は、まだ頑張って梅雨空をはねのけてくれていた。


 めぐりは膝の上に乗せたお弁当箱から、かおるが昨夜作ってくれたおいなりさんを頬張り、空を見上げる。


 クラスメートは相変わらずめぐりを空気扱いしているけど、まったく気にならなかった。


 なぜなら、めぐりの頭の中では着実に、まだこの世に生まれていない物語を、少しずつ構築していたからだ。


 ~~♡♡~~


 体育大会も無事に閉会し、部活動も今日はすべてお休みのために生徒たちは三々五々帰途についていた。

 自転車置き場で、めぐりは弓道場を振り返った。

 もちろんそこに孝蔵の姿はない。

 自転車を押して校門を出る。

 歩いて帰る生徒、自転車に乗る生徒、若いざわめきが夕陽に吸い込まれていく。


 めぐりはサドルにまたがったときに、ふとグランドを振り返った。

 体育委員と生徒会および代議員たちの働きで、すでに片付け終わっている。

 いつもの広いグランドにもどっている。

 西に傾いた太陽が「今日はお疲れさまでした」と、慈愛に満ちた光で最後に若者たちの熱気と疲労を吸い上げてくれているようだ。


 わたしも来年が最後の体育大会。

 今年はラッキーな目をサイコロが出してくれました。

 ありがとうございます。

 また明日から普通の高校生としての生活にもどるけど、今日はクラスの足手まといにならずにすんだことに、心から感謝します。


 少しだけ湿った空気が流れる。

 また明日からは梅雨が復活する前兆であろう。

 帰ったら明日の準備をして、それから続きに取り掛かろうかな。

 めぐりはペダルに乗せた爪先に力を込めた。

 

 ~~♡♡~~


 新しい勉強用のノートを取り出す。

 めぐりはいつになく真剣な面持ちで、筆箱から万年筆を取り出した。

 小説を書く場合、本来ならプロットを立ててキャラクターを決める。

 それから起承転結にそって伏線なども配置して、ああでもないこうでもないと頭をひねりながら設計図を引くのだろう。

 それを紙ベースで作るか、もしくはパソコンを駆使するわけである。


 めぐりは物語の設計図を、頭の中のみで組み立てていた。

 まずは書いてみること。

 そう思うからだ。

 棋士が頭の中で、考えられないスピードで駒を動かして最良の一手を指すように、めぐりの頭はすでに物語の設計図を引き、細部にわたるまでのストーリーを組み立てていたのだ。


 せきを切った河のように、物語はすでに動き出していた。

 あとはそれを最適な文字と文章で紡ぐだけである。

 なにが書きたいのか。

 それはもう決まっていた。

 めぐりは孝蔵の姿を瞼の裏に思い浮かべた。


 吾平ごひら室長のファンは多いのです。

 確かに素敵だとわたしも思います。

 でも、わたしは孝蔵くんが好きです。

 一見不愛想に見えるけど、本当はとても優しいのです。

 わたしと同じで、照れ屋さんなのかもしれません。

 あっ、わたしと一緒なんて言ったら失礼です。

 ごめんなさい。


 弓を構える姿は誰が何と言っても、一番格好いいのです。

 切れ長の目で、獲物を狙う鷹のように的を捉えます。

 大気さえも遠慮して動きを止めてしまいます。

 あの緊張感、ちょっぴり恐いけど、わたしも息を止めて矢が放たれる瞬間を待ちます。


 弦が右手から離れた瞬間、そのピンと張った弦が弓にもどるとき、孝蔵くんの少し長めの髪がフワリと風で揺れるのです。

 それでも目だけは、瞬きさえせずに的に集中しています。


 矢が的に音を立ててたったとき、孝蔵くんの鋭い眼差しから、ふと緊張感が溶けていくのをわたしは知っています。

 でも、すぐに新しい気合が充填されます。

 鍛えられた精神力のなせるわざ


 わたしはどの孝蔵くんも好き。

 絶対に告白なんてできないけど、わたしは孝蔵くんが大好きなのです。


 その想いを言葉に乗せて文章を紡いでいく。

 けして人と交わるのが嫌いなのではない。

 ただほんの少しだけ、物おじしてしまうだけ。

 他愛のない会話が苦手なのではない。

 ただ言葉にするまでに、頭の中で考え過ぎてしまう。

 だから積極性がないと判断される。


 でもそれは違う。

 自分をよく見せたいのではない。

 相手のことをよく考えて、より良い言葉を一生懸命導き出そうとしているのだから。


 めぐりは亡き父が愛用していた万年筆で、物語を書いていく。


 ストーリーはありきたりの、女子高生の片思いのお話かもしれないけど、面白みなんてこれっぽちもないかもしれないけれど、わたしは精魂込めて書きます。


 現実の世界では、口すらまともにきくことのできない孝蔵くんを想い、物語の中のわたしだけには素敵な恋をしてほしいと願い、白いページに文章を書いていきます。

 届かぬ想いだからこそ、物語の中のわたしには勇気を奮い立たせます。


 めぐりは目元に浮かんだ涙にも気づかず、ひたすら書き続けていた。

                                  つづく

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る