二話 「教室」

 二年二組の教室内は、登校してくる生徒の数が増えるにつけざわめいていった。

 二年生からは、選択制のクラスになる。

 したがって一年生の時に仲の良かったクラスメートと一緒になるかどうかはわからない。


 桔梗が丘ききょうがおか高校は全日制の進学校である。

 二年生になると文系か理系へ進むのかを選択しなければならないのだ。

 それは大学進学を前提としているからであった。

 一組から三組までは文系志望のクラス。

 四組と五組は理系進学を希望する生徒に振り分けられる。

 比較的女生徒の多い高校のため、文系志望のクラスが多いのだ。

 二組は男子二十名、女子二十五名の編成であった。


「ああ、よかった一緒のクラスになれて」


「おまえ、女子が多いからって文系志望にしたらしいなあ」


「あらあら、また同じ教室ね、よろしく」


「なんだよお、また毎日顔をあわすのか」


 喜んだり不貞腐ふてくされたり、それでも誰もが笑顔である。


「ねえねえ、吾平ごひらくんと一緒のクラスだなんて嬉しいな」


「そう! 私も毎日学校へ来るのが楽しみになってきちゃった」


「えーっ、あなたたちも吾平くんのファンなの? ライバルが多いからなあ」


 黒板前で数名の女子たちがひそひそとささやきあっている。

 彼女たちの視線は、並んだ座席の真ん中の、一番後ろの席で長い脚を組んでスマホをスワイプしている男子生徒に向けられていた。

 詰襟の濃紺の制服姿で、校章のついたカラーと第一ボタンをはずしている。


 吾平ごひらしゅう


 中学生時代から水泳部で活躍し、桔梗が丘高校でも水泳部に所属しており昨年の県大会でも自由形個人で優勝している逸材である。

 百八十センチの長身に鍛えられた肉体は、制服姿でもよくわかる。

 さらに、女子たちが騒ぐのも納得できるほど整った面立ちで、誰とでも気軽に打ち解ける快活な性格がファンを増やしていた。


 予鈴のチャイムが鳴った。

 あと十五分で校内に本鈴が響き、担任が職員室からやってくる。

 教室の後方入口から、指先に制服のカラーを引っ掛け、通学カバンをぶら下げた男子生徒が入ってきた。

 周は目だけをそちらに向ける。


「よう、孝蔵こうぞう、おっはよ」


「周か。おはよう」


 男子生徒は入口ドアに画鋲で吊るされた仮の座席表を確認し、周の前の席にカバンを置く。


「登校日初日からごくろうさんだな、孝蔵。

 引いてきたんだろ」


 周はスマホを机の上に置くと、弓を引く真似をした。


「ああ」


「ああ、って相変わらずアイソのない奴だ」


「なぜ俺がおまえに愛想をふる必要がある」


 孝蔵と呼ばれた男子は面白くもない表情のまま、木製の椅子に腰を降ろした。


「つれないねえ。

 そんなんじゃあ女子にモテないぞ、三船みふねくんよ」


 周は楽しげな表情で、机に両肘を付いて教室内を見渡した。

 孝蔵は、やや長めの髪を手櫛でかき上げ、目尻の上がった鋭い眼差しで周を振り返る。


「別に女子にもてようなどとは思っちゃいないさ。

 おまえみたいにいつも鼻の下を伸ばす趣味は、俺にはないからね」


「鼻の下ってなあ、孝蔵よ。

 ぼくは自分から女子に言いよっていったことは、過去一度もないぞ。

 天から与えられし、ぼくの魅力が悪いんだよ」


「言ってろ」


 周はクスリと笑った。

 そのふたりのやりとりをさりげなく見ていたのは、窓際の一番後ろの席で文庫本を開いているめぐりであった。


 ~~♡♡~~


「それじゃあこの後、体育館で一学期最初の全学年朝礼を行うからな。

 一年生たちはきみたち先輩をドキドキしながら見ているんだから、ちゃんとしてくれよ」


 二組の担任は、体育教師の高梨たかなし先生である。

 まだ三十歳まえの高梨先生は黒いフレームの眼鏡越しに教室内を見回した。

 普段はジャージ姿なのだが、今日はスーツにネクタイまで絞めている。

 四十五人が一斉に「はーい」と応えた。


「朝礼が終わったら速やかに教室へもどるように。今日はいろいろと決めなきゃならんことがあるからな。

 そうだ、吾平」


 高梨先生は周を指さした。


「おまえさん、とりあえず二組の仮室長をやってくれ」


「了解です」


 周は長い腕を上げた。


「まあ仮とはいえ、一年生のときにも室長をやっているんだから要領はわかるわな」


「お任せください、先生」


 高梨先生はうなずいた。

 室長とは、ようは学級委員長のことである。


 めぐりは仮の席であるこの窓際の一番後ろに決定しないかな、と淡い期待を抱いている。

 一年生の同じクラスから二組に振り分けられた生徒は三分の一くらいか。

 ようやく親しくなりかけた女子とは別のクラスになってしまった。


 めぐりはけっして根暗、陰湿な性格ではないのだが、すこぶる人見知りが激しい。

 そのために友だちと呼べる相手が、なかなかできないでいた。

 これは物心つくころから変わっていないのだ。


 なんとか自分を奮い立たせて、せめてお昼の時間に机を並べておしゃべりしながらの楽しいお弁当タイムを過ごしたいなと思う。

 思うのだが、いざそれを行動に移そうとすると、やはり視線は下を向いたまま上げることができない。


 情けないなと落胆する。

 新しいクラスはもちろんほとんど全員の顔を知ってはいる。

 昨年、文化祭や体育祭などの行事で一年生全体が集合する機会があったから。

 でも話をしたことのある生徒は、男女ともにいない。


 ふうっと、誰にも聞こえないように息をはいた。

 窓から外に目を向けると、緑色の芝生に大きなソメイヨシノが一本植えられた中庭が見える。

 薄桃色の花が満開だ。

 開いたガラス窓から、ふわりと暖かな風が花びらと一緒に舞い込んだ。

 めぐりの大きな目元の、長くカールしたまつ毛をゆらす。


「さあって、それでは全員体育館へ移動しよう。

 吾平、先頭に立って誘導してくれ。

 もう一度言うぞ。

 きみたちはもう二年生の先輩なんだからな、無駄口をたたくことなく後輩諸君にお手本を見せてやれ」


 二組全員が、ガタガタ椅子を動かして移動の準備を始めた。

                                  つづく

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