第五章

一話 「形見」

 夕飯時。

 かおるは手作り餃子を箸でつまみながら、めぐりの様子をうかがう。


「なにか良いことでもあった? 

めぐ」


「えっ」


 めぐりはテーブルの向かい側に座る薫の言葉に、小首をかしげた。


「だって、さっき餃子を包むときも、ほら、今だってニヤニヤしてるわよ」


 めぐりは口中のご飯を飲み込む。


「そ、そんなことはないよ、おかあさん。

 わたしはいつも通りよ。

 ニヤニヤなんて、していないし」


「めぐ、女の子はそうやってニヤニヤ、いえ、ニコニコしているほうが可愛いよ。

 それにおかあさんが言うのもおかしいけど、めぐはとってもチャーミングな女の子なんだから」


「やめてよ、おかあさん」


 自分は自身をチャーミングだなんて思ったこともない。

 言われてこそばゆくなる。


「あなたは、おとうさんとおかあさんの良いところを、上手く受け継いでくれているのよ。

 ちゃんと鏡を見てごらんなさいな」


 薫は笑った。


 夕食後、めぐりはお風呂からあがると勉強机に向かっていた。


 高梨たかなし先生の終礼後、恋歌れんかが教壇に立ち、「三船みふねくん、お願します」と声を掛けたのだ。

 孝蔵こうぞうは仏頂面のまま、黒板に向かい恋歌の横に立った。

 いったい何が始まるのかと教室内がざわつく。


 恋歌は、今後生徒会と体育委員会が合同で、体育祭と文化祭をバックアップすることに決定したことを告げた。


 めぐりは「それで!」と溜飲を下げた。

 孝蔵と恋歌はその打ち合わせのために、朝から顔を突き合わせていたことを知ったのであった。

 ふたりがお付き合いをしているのでは、と勘繰った自分が恥ずかしくなると同時に、「良かった」と胸をなでおろしたのだ。


 胸の奥にもこもこと湧いていた灰色の雲が、一筋の太陽の光によって分断されて霧散していく。

 といって孝蔵との関係は、もちろんニュートラルのままであるのだけれど、めぐりは安堵感に包まれたのは事実である。


 現国の教科書をめくる指が止まった。

 椅子から立つと、リビングに顔を出す。

 薫がテーブルの上で家計簿をつけている。


「おかあさん、今いいかな」


「うん、いいわよ」


 薫は家計簿を閉じると、めぐりを反対側の椅子へ手招きした。


「えっとね」


「うん」


「おとうさんって、昔、万年筆を使っていなかった?」


「万年筆?」


「うん。

 黒くて丈夫そうな」


「ああ、あれね。

 ちょっと待ってて」


 薫はリビングから自室へ行き、しばらくするとB4サイズのプラスチックケースを持ってきた。


「この中にしまってあったはずなんだけどな。

 あっ、あったよ」


 ケースから取り出したのは少し古いけど、握りやすそうな万年筆である。


「懐かしいね、これ。

 ところで、万年筆が学校で必要になったのかしら。

 もし要るのなら、新しく買ってあげるわよ。

 女性用の万年筆のほうがいいでしょ」


 めぐりは薫からその万年筆を受け取ると、懐かしそうに目を細める。


「ううん、違うの。

 学校で使うわけじゃないから」


「そうなんだ。

 思い出すなあ、その万年筆」


「おとうさん、大事にしてたよね」


「そうよ。

 おとうさんはその万年筆でね、うふふっ」 


 思い出し笑いをする薫。


「おとうさんはね、その万年筆で小説を書いていたのよ」


「えっ!」


 指先から万年筆を落としそうになり、あわてるめぐり。


「お、おとうさんって、小説家志望だったの」


「そうよ。

 といってもおかあさんと結婚して、あなたを身ごもった直後までのお話よ。

 若い頃は真剣に小説家、それもSF作家を目指していたの。

 もちろん実際にはなれなかったわ。

 そんなに簡単に小説家なんてなれないでしょ。

 それでね、めぐが産まれてからは、もっぱら日記用にそれを使っていたの。

 日記ったって、ほとんど内容はあなた、めぐのことばかり書いていたわ。

 おかあさんがあなたを身ごもったことを知ったとき、あなたがこの世に産声をあげたとき、あなたを初めて抱いたとき、初めて立ち上がったとき」


 うっすらと目元に涙を浮かべ、薫は続けた。


「本当におとうさんは、あなたを愛していたのよ。

 これからってときに、アッチへ独りでいっちゃったけど」


 めぐりは父が小説を書いていたことは、もちろん知らない。

 ただ寝物語がとても面白かったことだけは、しっかりと記憶している。


 家族のために、夢をあきらめたおとうさん。

 おとうさんが書けなかった小説を、わたしが引き継ぐってことをしてもいいのだろうか。


「もしかして、めぐ。

 あなたも小説を書いてみたくなったのかな」


「あっ、いえ、ただ思い出して」


「その万年筆ね。

 めぐが使ってくれたらおとうさんも喜ぶわよ。

 見てくれは古くて男性用なんだけど」


 めぐりは両手で万年筆をギュッと握った。


「わたしがもらっても、いいの?」


「もちろんよ。

 まあ小説を書くかどうかは別にして。

 お手紙書いたり、日記帳をつけたりして、使ってあげて」


「ありがとう、おかあさん」


 大事に大切に使わせていただきます、おとうさん。

 おかあさんには恥ずかしくて誤魔化したけど、めぐりはこの万年筆でこの世にたったひとつだけの小説を、物語を書いてみようと思います。

 二井原さんは、わたしなら小説を書けるって言ってくれました。

 おとうさんが小説を書いていたことに驚いたけど、わたしにも、その血がほんの少しでもいいから流れていてください。


 宿題を含めて勉強を終え、めぐりは父の万年筆を筆箱にそっとしまった。

 寝具を押入れから出して敷く。

 電灯を消して布団にもぐりこんだ。

 わたしは、何が書きたいのか。

 どういう表現をしたいのか。

 考える。


孝蔵こうぞうくん?」


 ふいに言葉を口にした。

 小学校以来、ずっと恋心を抱いている、たったひとりの人。


 この想いを小説で書きたい。


 めぐりは切なく甘い感情が全身を流れていることに驚いた。


「書いて、みたいな」


 めぐりは布団の中で顔を赤らめながらも、はっきりと目的をつかんだ気がした。


 ~~♡♡~~


「そうそう、ばっかみたいでしょ。

 えっ?

 中間考査? 

 うーん、十一番じゃあねえ。

 それよりも続きは読んでくれたみたいね。

 どう、あそこでリリカがグレンと喧嘩するシーン。

 うん、なかなかリアルでいいでしょ。

 そんなに褒めないでよ。

 あれくらいは普通よ。

 それよりもさあ、ちょっとこのごろ気になる作家が、でしゃばって来てると思わない?

 そう、『LOVESONG』だなんてダサいペンネームのあれよ。

 熱心に他の作家にもレビューしちゃってさ。

 私?

 いらない、いらない。

 あんな書き手と相互するつもりなんてないし。

 そうよ、本来なら真っ先に『城ノ内じょうのうちイリア』の作品にレビューすべきなのにさ。

 それでね、こんな作戦を考えてみたんだけど。

 あっ、もちろん『城ノ内イリア』はそんなことは頼まないわよ。

 ただ、ちょっと懲らしめてやらないとさ、あんなシロート作家はさ。

 それでね」


 ~~♡♡~~


 恋歌れんかは自室のソファにくつろぎながら、スマホの画面をスワイプしていた。

『小説ラウンジ』のサイトを開く。

 トップ画面には、ジャンルごとの順位が更新されている。

『LOVESONG』名義で公開している小説の、ランキングを確認するためであった。

 一作目の短編「虹色曲馬団と風吹く丘」と、二作目の中編「紫色のソネット」のタイトルが、トップページのランキング上位に載っている。

 自然と笑みが浮かぶ。

「紫色のソネット」に続く第三弾である長編は、まもなく書き上がる。

 あとは徹底的に推敲し、各話ごとに日々更新されるように設定をするだけだ。


 今日もレビューが、いくつも届けられている。

 ひとつひとつ目を通していった。

 何度もらっても、嬉しいものだ。


 ふと眉をしかめる。

「紫色のソネット」のプレビュー数が異常に伸びているのだ。これは閲覧された数が増えたということである。

 それも、全話ではない。

 ところどころの話が、尋常ではない数値を示している。

 しかも、「イイネ」マーク数さえも増加しているではないか。


 通常、レビューは物語を読み、他の読み手にも薦めたいときに、コメントと一緒に「イイネ」マークを投じる。

 一段階から五段階まで設けられているマーク。

 場合によってはこの「イイネ」マークだけを送る読み手も多い。

 今回はコメントなしに「イイネ」マークだけが付けられているのだが、その数は軽く三ケタを超えている。


「これは、どういうことなの?」


 思わず口に出た。


 もしかすると、自分の公開している小説も応援してほしいがために「イイネ」マークだけを送ってくれたのか。


 いわゆるお返し狙いといわれている。


 いったい誰がこんなに閲覧して「イイネ」マークを送ったの?


 投稿者の名前はまったく知らない。

 すべてが『@』から始まり、アルファベットや数字を適当につけてあるだけのネームだ。

 その名前のひとつを指先でクリックする。

 液晶画面が投稿者のページへジャンプした。

 思った通り、自己紹介や投稿している小説は一切ない。

『LOVESONG』個人のフォローすらしていない。

 完全な嫌がらせのためだけに作られた、アカウントであった。


 小説をウエブサイトで公開していると、このような悪意のある行為を受け取ることがあるらしい、とは恋歌も耳にしたことがある。

「イイネ」マークが増えればもちろんランキングは上昇する。

 ところがある日突然その「イイネ」マークをはずす。

 すると、一気にランキングが急降下してしまうのだ。


 まさか私が被害に合うとは、思ってもみなかったけど。


 恋歌は不快な気持ちを抱くも、冷静に判断できる余裕はあった。

『@ナントカ』がアカウントを作ったのは、今日のようだ。

 他にレビューをしてないところから、『LOVESONG』に対してのみのためにアカウントを作り、「イイネ」マークをしたようだ。

 マークを書き手の権利で消去しようとして、やめた。

 様子を見るつもりだ。

 もしこれを消去しても、また同様のいやらしい行為をしてくるかもしれないから。


「いいわ、好きにすれば」


 気分治しにイヤホンを取り、スマホに差し込む。

 録音してあるポップスを、いつもより音量を大きくして聴こうと画面を切り替えた。

                                  つづく

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