五話 「変化」

 教室に入った孝蔵こうぞうしゅうの後ろを通りかかると、「うっす」と肩を叩いた。

 いつもならここで「おや、わが盟友のお出ましだな。おはよう」と返ってくるはずが、周は背中を丸めたままコクリと頭を下げただけであった。

 孝蔵の片眉が上がる。


「おい、周。

 具合でも悪いのか」


 孝蔵がのぞきこむと、うつろな目を向けてきた。


「いや、大丈夫。

 いたって健康だよ」


「そうは見えないから、訊いてるんだ」

 

 周は小さくため息をつく。


 孝蔵に言うわけにはいかない。

 このぼくが、志条坂しじょうざかくんに恋をしてしまっただなんて。

 ぼくは孝蔵と志条坂くんを結びつける、キューピット役なんだから。

 弓道大会前日に、志条坂くんは孝蔵のためにお弁当まで用意してきた。

 大会の日も、ふたり分のお弁当を持参してきた。

 しかもぼくは孝蔵に、志条坂くんは好意を寄せてるって、想像をかなり大きく膨らませて言ってしまった。

 あの時点では、たしかにふたりをくっつけようと目論んでいたんだ。

 まさかこれをミイラ獲りがミイラになるって言うのか。

 はあっ、つらいなあ。


 周は大丈夫と手のひらを振った。

 孝蔵は釈然としないまま、自席へ進んだ。

 恋歌れんかは、廊下側の席で女子たちが麻友子まゆこに、口々に賞賛を送る言葉を聴いていた。


「やっぱり今回のコンテストは、『城ノ内じょうのうちイリア』先生がぶっちぎりで大賞確定よね」


「今までで、最高の傑作じゃないかしら」 


 そういえば、とひとりが天井に顔を向けた。


「あのほらいたじゃない、『LOVESONG』って作家」


「ああ、いたいた。

 私たちがフォロー爆」


「ちょっと、シッ!」


「ごめん。

 ランキングから見事に下がったよね」


「それがさ、昨日麻友子の小説に感動しながら何気なく探したの、今ごろ最下位でうごめいているんじゃないかなって」


 恋歌は聞いていないふりをしながら、ニヤッと口元を曲げた。


「そしたらね。

 消えちゃってたわ」


「えっ、どういうこと」


「このアカウントは存在しませんって、表示されたんだ」


「へえっ、じゃあ尻尾を巻いて逃げちゃったんだ。

 よかった、なんだか溜飲が下がったわ。

 ねえ、麻友子」


 その声に、麻友子は小さくうなずくだけであった。

 恋歌はすました表情で、一時限目の用意をしている。


 うふふっ、やっぱりあなたたちだったのね。

 あんなお下品な攻撃を仕掛けてくれたのは。

 私は逃げたのじゃない。

 見切りをつけただけ。

 ウエブ小説は、小説本来の持ち味を活かすことは難しいって気づいたの。

 だから私は決めたのよ。

 ウエブ投稿サイトには、もう金輪際手を出さないってね。

 でも、書くことは絶対にやめない。

 小説だけじゃないわ、書く表現って

 あなたたちのお蔭で気づけたわ。

 感謝しています。

 ありがとう。


 ~~♡♡~~


「こ、これはっ」


 お昼休み。

 晴れ渡った日には、めぐりは瑠奈るなと一緒に二組の教室でお弁当を食べるのが常であったが、この日は瑠奈が音楽教室で食べようと言ってきた。

 めぐりは瑠奈から差し出されたA4の束を手にし、プリントしてある文章に目を通し始めた。

 すぐに気づいた。


 これはわたしが書いた小説そのもの。

 主人公の女子は書道部ではなく美術部。

 恋するクラスメートは弓道部ではなくテニス部に所属しているけど。

 ストーリーも描写も、使っている表現までわたしの小説よ。


二井原にいはらさん」


 めぐりは大きな目に、悲しげな色を浮かべた。


「だろう、奈々咲ななさき

 これはどうしたって、奈々咲の書いたオリジナルを踏襲しているんだ。

 ウチはラストまで読んだからストーリーは知っている。

 まだこっちのほうは、中盤までしか公開されていないけどさ。

 文体までほとんど一緒じゃないか」


 もう一度めぐりは紙に目を落とした。


「昨日まで、新規の読者をふくめてな、えらい勢いで読まれてるぜ。

 そりゃそうだよ。

 奈々咲が書いた小説だもん、つまらないわけがない。

 しかし、いったいどうやってあのノートの中味ををパクったんだろ」


「わたし、あの日帰り支度をしていたときに、高梨たかなし先生から呼び出しを受けて席をはずしたの。

 そのときに、机の上にノートを出しっぱなしにしていたから」


「こっそりと読んだんだな。

 ウチの推測だけどコピー機なんて教室にはないから、スマホで写メしたのじゃないかな」


 腕を組んで憤慨する瑠奈。

 めぐりはとても悲しい気持ちでいっぱいになった。


 わたしは九堂くどうさんの小説を拝読したことはないけど、みなさんのお話によれば、とても人気のある作家さんだって。

 創作するって簡単ではないけれど、だからこそやりがいがあるし、読んでくださるかたに想いを伝えたいから。

 それをなぜ? 


「どうする、奈々咲。

 ウチが文句つけてもいいけど、そうなると困るんだろ」


「はい。

 もし誰かにその証拠を出せだなんて言われたら、わたしは恥ずかしすぎて死んでしまいます。

 わたしが孝蔵くんを想って書いた物語だって、あのノートに書いた小説を読めばわかってしまうから。

 絶対に、知られたくありません」


「将来のある作家の卵に死なれたら、ウチは悲しいぞ」


「半分冗談ですけど。

 わたしが孝蔵くんに恋してるのを知っているのは、二井原さんだけ。

 他の誰にも知られたくない。

 だから、いいです、このままで」


 めぐりは決心した。


 コンテストが、どういうものであるのかは知りません。

 だけどそこで万が一評価されたのであれば、それはわたしの書く小説が認められたことと同じと思っても構わないですか?

 それがわかるだけで、いいのです。

 だってわたしは、これからたくさんの物語を創作するって決めたのだから。

 うん、だから構わないのです。


「悔しいなあ。

 ウチはこれほど悔しい思いをしたことがないぜ。

 でも奈々咲がそういうなら、ウチがでしゃばることは返って奈々咲に迷惑だものな」


「二井原さん、本当にごめんなさい」


「おい、奈々咲。

 なぜ謝るのさ。

 むしろ悔しいのは奈々咲のほうだろうに。

 でもウチは、そんな奈々咲が大好きだ。

 まあ、どこかでボロをだすだろ、あのオンナ。

 さあって、じゃあお弁当いただこうか」


「うんっ」


 めぐりは瑠奈に笑顔で応えた。

                                  つづく

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