最終章

一話 「回想」

「おーい、奈々咲ななさきくん。

 悪いけど、この書類をコピーしてくれないか」


 めぐりは「地域振興課」の札が下がったコーナーの自席で、パソコンに入力中であった。


「はい、すぐにいきます」


 めぐりはこの秋で、二十三歳の誕生日を迎える。

 高校時代には一度も引いたことのない紅を唇に、薄くお化粧までほどこしている。

 といっても、ほとんど素顔に近いナチュラルメークではあったが。

 ショートだった髪も、少しだけ先を伸ばしたボブカット。

 ナゴヤ市役所に勤務する公務員であるため、服装は地味なスーツスカートにインナー、そして足元はパンプスである。


 高校から、ナゴヤ市職員の推薦応募枠で就職した。

 高梨たかなし先生は最後まで大学進学を勧めてくれたけど、かおるの理解もあり高校卒業し公務員になった。


 季節はまた春の訪れを、景色が教えてくれるようである。

 市役所はナゴヤ市の中心部、中区なかく三の丸に庁舎を構えている。

 自宅からは地下鉄を利用している。

 市役所からすぐの位置に金の鯱きんのシャチホコで有名なナゴヤ城を囲む名城めいじょう公園は、ソメイヨシノを始め、春を告げる草花が満開だ。


 めぐりは仕事帰りに少しだけ公園に寄ってホッと息を吐き、一日の疲れを癒す習慣があった。

 お堀に沿って咲く、ソメイヨシノ。

 夕暮れどきにはお天気がいいと、運動したり散歩を楽しむひとたちとよくすれ違う。


「うーん、今日もお疲れさま」


 声に出して桜を見上げ、近くのベンチに腰を降ろした。

 あまりゆっくりはできない。

 帰ったら薫と一緒に夕飯の支度をするからだ。


 桜の花の隙間から、温かい風が頬をなでていく。

 ベンチに座ったまま、ふと懐かしい高校生時代を思い出した。


 初めて書いた小説が、クラスメートの麻友子まゆこによって盗作された。

 かなり人気作となっていたようだが、コンテストの結果前にその小説は『小説ラウンジ』から作者によって削除されてしまったらしい。


 友人の瑠奈るなから聴いたところによれば、麻友子は『城ノ内じょうのうちイリア』のアカウントまで消して、二度とウエブ小説界でその名を発見することはなかったという。


 応援部隊の女子たちは、元々麻友子の性格にはうんざりしていたため、以降つるむ姿をめぐりも見かけることはなかった。

 麻友子は性格まで変わったように、無口で暗くなった。

 勉強面でも成績は下がる一方であった。


 もちろんめぐりには、その理由がわかる。

 麻友子は盗作してまで虚勢を張ろうとした自分に、嫌気がさしたのだろう。

 創作者としての矜持きょうじさえ放棄させる行為であったのだから。 

 十七歳の高校生にとって、取り返しのつかぬ痛恨の極みであったに違いない。

 だから後悔の沼へ沈み込んでいった。

 それを、いい気味だなんてことは思ったことは一度もない。

 むしろ可哀想だなと心情を察する。


 孝蔵こうぞうとはなんの進展ももちろんなく、三年生のときには席替えで離れてしまった。

 ただ挨拶だけは、変わらず仏頂面であったが交わしてくれた。

 大学は、ナゴヤ大学の文学部に現役合格した。


 卒業式の日に一言だけ勇気を振り絞り、めぐりは「今までありがとうございました」と頭を下げた。

 孝蔵は無言のまま、右手を差しだしてきた。

 とまどうめぐりに、半ば強引に別れの握手をしてきたのだ。

 温かくて力強くて大きな掌に、めぐりは涙をこぼしてもう一度頭を下げた。


 瑠奈は国立キョウト大学理学部へ進んだ。

 数学の専門課程を専攻するために。

 卒業式のあと、めぐりは瑠奈のたってのお願いで京都へ一泊二日の卒業旅行をしたことを、今でも鮮明に思い出す。

 一緒に笑い、一緒に泣いた。

 一晩中灯りを消すことなく、会話をした。


 大学の入学式へ向かう瑠奈に、めぐりはお弁当を作って、ナゴヤ駅で渡し、またふたりで泣いた。

 大学が休みになると必ずめぐりに連絡をくれて、ご飯を食べに行ったり映画を観たりして過ごす。

 去年大学を卒業し、さらに大学院へと進んでいる。


「ウチはさ、数学者になるぜ。

 博士だよ、博士」


 大人の艶がかかり、その美貌にめぐりが絶賛すると、瑠奈顔を赤らめて、「か、顔の話はやめようぜ、奈々咲ぃ」と照れくさがる。

 なにゆえそれほど顔にコンプレックスを持っているのか、めぐりはいまだに首をかしげてしまう。


 しゅうは一浪し、東京のケーオー大学へ進んだ。

 恋歌れんかが現役でケーオー大学へ入学したため、一年後輩となった。

 その後ふたりが付き合っているという噂を、めぐりは瑠奈から聴いていた。


吾平ごひら室長と恋歌さんが交際してるんですね。

 美男美女のカップル、素敵だなあ」


「奈々咲もさ、思い切って三船みふねに告白しときゃよかったのに。

 奈々咲はチャーミングだから、一発返事だぜ」


「やめてくださいよう、二井原にいはらさん。

 わたしなんかが好きだって言ったら迷惑です」


 めぐりは大好きな孝蔵と、一緒の教室で学べただけでも嬉しかったから。

 それ以上の望みなんて、神さまに叱られてしまう。

 真剣にそう思っていた。


 もう二度と、自転車置き場から弓道場に立つ孝蔵くんの姿が見られなくなって悲しいけど。

 その分、わたしは小説に想いを託します。

 リアルなわたしでは叶わなかったことでも、小説のなかのわたしならできるから。


 めぐりのバッグからスマホの着信音が聴こえ、思い出をそっと閉じる。

 社会人となり、めぐりはようやく自分で稼いだお金でスマホも、そしてパソコンも購入したのであった。


「あっ、おかあさん。

 うん、もうお仕事は終わったから、帰ります。

 そう、また残業?

 もう無理しないでね。

 それならわたしが夕飯の用意を、うん、できますよう、もう子どもじゃないのだから」

 

 めぐりは声をあげて笑った。


 ~~♡♡~~


 父の形見の万年筆で書いた小説は、ノートで三十冊を越えていた。

 就職してからしばらくは、仕事を覚えるのに最大限の努力をはらうために、とても書く時間がとれなかった。

 仕事を覚え、通勤にも慣れ始めたころから時間をつくっては何作も書いた。


 もう一度矢島やじま鈴子りんこの「小説を書きたいあなたへ」を熟読し、プロットの組み立て方法や描写の技を学んでいったのだ。


 スマホを初めて購入したとき、すぐに瑠奈に連絡をした。

 それからパソコンを購入し、Eメールが可能になるとすかさず瑠奈から「早く新作をファイルに落として送ってくれ。奈々咲の小説がないとウチは病気になる」などと、半ば脅迫めいて請求してきた。


 創作も、ノートからパソコンに替え、ワードで書いた文章をテキストに変換し、送った。

 そのたびにスマホから、瑠奈の悲鳴に近い歓喜の声を聞くことになる。


「そろそろ、挑戦してみようかな」


 めぐりは夕食後、スエット姿で勉強机に向かっていた。

 机上には一冊の雑誌があった。

 大手出版社である研創堂けんそうどうが毎月発行している大衆文学を中心とした雑誌『月刊BUNGEI』だ。

 めぐりの敬愛する矢島鈴子や瀬道せどう幻児げんじの連載小説も掲載されており、愛読している。

 その月刊誌では年に一度、新人賞を募集しているのだ。

 今年の締め切りは七月。


 まだ三ヶ月ある。

 薫の淹れてくれたミルクティのカップを傾けながら思案する。

 これまで書いた小説は、瑠奈にはもちろん薫にも読んでもらっている。

 閉めたカーテンの隙間から淡い月の光に誘われるように立つと、そっとカーテンから外をのぞいた。


 あのときと変わらぬ、優しい光がめぐりを包んでくれる。


 孝蔵くん、お元気ですか。

 わたしは毎日精一杯頑張っています。

 出会ったころから、もう十年以上経ちました。

 今でもやっぱりわたしは孝蔵くんのことが、大好きです。

 いつか同窓会で会えたのなら、ああ、でもやっぱり恥ずかしくて言えません。

 だからこの想いを、小説に託します。

 もしも、もしもわたしの書いた小説が本になって孝蔵くんに読んでもらえたのなら、わたしはそれだけでもう胸がいっぱいです。

 いつまでもいつまでも、孝蔵くん、わたしはあなたが大好きです。


 めぐりは応募用の作品に取り掛かり始めた。

                                  つづく

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