三話 「友人」

 午前中の授業が終わりを告げるチャイムが、校内に鳴り渡った。

 どの教室からも元気のよい声が飛び交う。

 お昼休みのスタートだ。


 このところの気温上昇は辟易する。

 まだ衣替えの時期ではないため、男子たちは上着を脱げるが、女子たちはそうもいかない。

 今日も朝から太陽が、夏日のような光と熱を地上に降り注いでいる。


 めぐりは三々五々教室を出ていくクラスメートを目で追いながら、肩の力を抜いた。

 首や肩の筋肉が固まってしまったような感覚を覚える。

 孝蔵こうぞうを意識しないように、授業に全神経を集中させていたから。

 気温による汗以外にも、なんだか違う汗までかいている気分だ。

 窓は全開になっているが、風はそよとも吹いてくれない。

 教室内はいつものようにめぐりひとりきりだ。


「お腹、減ったな」


 言いながら机の横にぶら下げていたポーチを手にした。

 その時、教室前方の入り口からこちらをのぞく視線に気づいた。


「なーな、さっき」


「えっ」


 バッと顔を出したのは、縁なし眼鏡をかけたポニーテールの女生徒であった。


二井原にいはらさん!」


「おっす、久しぶりだなあ、奈々咲ななさき


 男子みたいな口調で教室に入ってくる女子。

 その手には、めぐりのよりも大きな弁当ポーチがあった。

 遠慮する様子もなく、めぐりの前の席の椅子に腰を降ろした。


「どうしたんですか」


「いやあ、ようやくクラブのほうが落ち着いたからな。

 奈々咲とこうして弁当を食べようと思って」


 めぐりは驚くと同時に、懐かしさと嬉しさがこみあげてきた。

 二井原にいはら瑠奈るなは一年生のときに同じクラスであったのだ。

 なかなか友だちのできないめぐりであったが、瑠奈とはなぜか話が合った。

 だからお昼ごはんもよく一緒に食べていた。


 瑠奈は理系志望であったため、二年生に進級したときに離れてしまっていたのだ。

 めぐりのほうから瑠奈のいる四組の教室へ顔をのぞかせるなんてできなかったから。


 瑠奈は吹奏楽部でトランペット奏者として活躍しながら、この四月からは部長としてクラブを切り盛りしている。

 桔梗が丘ききょうがおか高校の吹奏楽部は大所帯であり、それなりに大変だと聞いていた。

 ポニーテールがよく似合う瑠奈は、恋歌れんかとは趣は異なるもののかなりの美形である。

 眼鏡もチャームポイントであった。


 なぜめぐりと仲良くしてくれていたのか、未だにわからない。

 それでもこうしてきてくれたのは、本当にうれしい。


「どうだ、奈々咲。

 少しはクラスになじんで、いないみたいだなあ」


 瑠奈はひっそりとした教室内に首をめぐらせる。


「あ、いえ、わたしはひとりでご飯を食べるほうが、好きだから」


「なあんだ、せっかく来てやったのに。

 ちっ、それなら戻るとするか」


 席を立とうとする瑠奈のスカートを、思わず握りしめるめぐり。


「ご、ごめんなさいっ、そういうつもりでは」


 ニヤリとする瑠奈。


「冗談だよ、冗談。

 こうして奈々咲とお弁当を食べたくて押しかけたんだから」


 めぐりはホッとため息をついた。

 椅子を「よいしょ」と後ろに向け、瑠奈はポーチをめぐりの机に乗せた。


「さあってと、いただこうぜ」


「はい」


 めぐりは大きな目元をほころばせる。


「クラブ、大変そうですね」


「まあな。

 ウチはさ、人数は多いし、顧問も口うるさいからさあ。

 部長なんて引き受けるんじゃなかったぜ、ったく」


 口では文句を言いながらも、眼鏡の下の瞳は輝いている。

 それからふたりは、それぞれのクラスのことを話しながらお弁当を口に運ぶ。


「そうそう、前に奈々咲からお奨めしてもらった本な、全部読んじゃったんだよ。

 だから新しい小説を紹介してもらおうって魂胆が、実はあったりなんかして」


「理系の二井原さんが小説を読むなんて、わたしは最初ビックリしました」


「おいおい、それは偏見ってもんだ。

 ウチはこれでも読書家なんだから」


「あっ、ごめんなさい」


「すぐに謝るなよう。

 奈々咲は、もっと堂々としていいんだぜ」


「でも、わたしは」


「モブキャラだから、なんてまだ言ってるのかよ。

 笑顔の奈々咲は、とってもチャーミングなんだけどな」


「いやだ、からかわないで」


「ホントだぜ。

 まあ、あまり褒めると嫌われそうだから、やめておくか。

 それよりもだ。

 なんかこう胸が熱くなるような本はないか。

 数式と音符で埋め尽くされた、ウチの脳を文字で中和させたいんだな」


 はっきりと自分の意見を言える二井原さんが羨ましいな。

 わたしも見習わなくちゃ。


 めぐりはこんな自分を友だち扱いしてくれる瑠奈が、大好きであった。


「そうですねえ。

 あっ、そういえば、瀬道せどう先生の新刊が出ています。

 わたしは図書館で借りましたけど、すごく感動しました」


「おっ、あの瀬道せどう幻児げんじだな。

 奈々咲に教えてもらって読んだけど、確かにあのおっさんの書く小説はいいな」


「お、おっさんって」


 めぐりはプッと吹いた。


 今日はお昼休みに読書はできないけど、二井原さんが気をつかってこうして様子を見に来てくれるなんて、心から感謝です。


 休憩時間ぎりぎりまで瑠奈はいてくれた。


「おや、そろそろ戻らなきゃな。

 奈々咲、また遊びにくるからさ。

 面白い本を探しておいてくれよな、たのんだぜえ」


 瑠奈はポーチを持つと、ウインクしながら席を立つ。

 がやがやと廊下から声が聞こえてきた。

 クラスメートたちが戻ってきたようだ。


「ありがとうございます、二井原さん」


「なに言ってんだよ、おい。

 ウチたちは友だちだろ、礼なんてやめてくれ。

 じゃ、またな」

 

 瑠奈が教室を出るときに、麻友子まゆこと取り巻き連中がすれ違う。

 麻友子だけが胡乱うろんな目つきで、瑠奈の後ろ姿に一瞥いちべつをくれていた。

                                  つづく

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