二話 「宣言」
翌日、雨足はおさまっているものの、どんよりとした
めぐりは念のため、レインウエアの入った袋も前かごに入れて学校へ向かっていた。
昨夜は父が愛用していた万年筆を受け取った。
父の志には遠く及ばないかもしれないけれど、友だちの
地平線が遥かに見えるだけの砂漠に、突然投げ出されたような不安はある。
だけど、歩く方向はわかっている。
やってみる。
心したのだから、「わたしは、小説を書く」と。
踏み込むペダルに力が入った。
学校の自転車置き場が近づいてきた。
カンッ!
滴の光る矢よけの樹木の間から、小気味よい音が聴こえてきた。
「せいっ」の気合がこもった声が
めぐりは降りた自転車を押してチラッとのぞく。
いた。
孝蔵が他の部員と一緒に的前に立ち、弓を構えている。
白い上衣に黒袴。
めぐりの大好きな凛とした姿だ。
ゆっくりと自転車のスタンドを立てながら、耳を澄ます。
あまりジロジロと眺めていては申し訳ない。
それでも気になり、何度も振りかえる。
もう一度だけ。
そう自分に言い聞かせる。
それが数度続いた。
いつものように他の自転車通学をしている生徒たちが、次々とやってきた。
これでは仕方ないな、とめぐりは後ろ髪を引かれながらも教室へ足を向けた。
いつもの一日が始まる。
二年生になって三ヶ月目。
今のところ、お友だちは二井原さんしかいません。
同じクラスの中ではできていないけれど、それは自分の努力不足。
九月には十七歳になります。
十六歳までの自分から、一歩前進するきっかけを模索するの。
あと三ヶ月と少し。
わたしならできる。
わたしならやれる。
わたしなら。
「おはようございます」
めぐりは精一杯大きな声で挨拶をしながら、教室へ入った。
〜〜♡♡〜〜
お昼休みになると二組の生徒たちは、めぐり以外は教室を出ていく。
入れ替わるように瑠奈が現れた。
「いようっ」
「あっ、
「しかし見事にこのクラスは教室で弁当を食べる連中がいないな」
「四組はどうなの?」
「ウチのクラスは三分の一くらい教室で食ってるぜ。しかも教科書片手に」
めぐりは目を開く。
「ええっ、お昼休みにも、勉強ですか」
「まあな。この高校は有名大学進学率が高いからさ。みんな必死だよ。
特に医学部を狙ってる連中はさ、授業が終わると一目散に塾へ走っていってるんだ」
めぐりは今まで一度も塾に通ったことがない。
資金的なことは大前提としてあるが、学校で授業をしっかりと受け、理解するまで自宅で復習すれば、ほとんどの教科は把握できたからだ。
この
「二井原さんは、塾とかは行かないの?」
「へへっ、必要ないね。ウチは医学部を狙ってるわけじゃないしさ。
将来は数学者ってのが、ウチの目標なんだ。
奈々咲はどうするの」
「わたしは、まだボンヤリとしか考えていないの。
ただ」
「ただ、なんだよ」
瑠奈は男子用かと見紛うほどの大きなお弁当箱を開く。
めぐりもお弁当をポーチから取り出した。
「笑わないで、聞いてくれますか」
「ああ、もちろんだ」
意を決したような息を吐くめぐり。
「わたし、小説を」
「うんうん」
「書こうかなって」
沈黙がふたりを包んだ。
眼鏡の奥の大きな目が、もうこれ以上は無理と思われるほど開いた。
「ええっ!
奈々咲が、しょ、小説を書くうっ!」
「ああ、そんなに大きな声で叫ばれたら、誰かの耳に届いちゃう」
その言葉を無視し、瑠奈はいきなりめぐりの両手をガッとつかんだ。
「すごい!
すごいぞ、奈々咲っ。よく決心してくれた。
そっかあ、いよいよ奈々咲が小説を書いてくれるんだ。
どれだけ待ち望んでいたことか」
「ありがとうございます。
でも、二井原さんが背中を押してくれたからですよ」
「嬉しいなあ、うん。奈々咲が紡ぐ物語かあ。
で、どんな内容なんだ」
めぐりは頬が熱くなっていくのを感じた。
「えっと、内容は、まだ」
「待つぜ、ウチは。
だから書いたら絶対最初に読ませてくれよな。
ウチは読者第一号になりたいんだから。約束だぜっ」
「そう言っていただくと、なんだかわたしも書けるような気がします」
ニコリと微笑んだ。
「奈々咲の笑顔って、ウチは好きだよ。
どうしてこんなに可愛い子なのに、誰も手を出してこないのかなあ。ここの男子は奥手なのか見る目がないのか」
「に、二井原さんったら。
わたしの見てくれは、小説には関係ないですよっ。
それにわたしなんかより、ずっと二井原さんのほうが綺麗です」
「あっ、待った。この話は終わろう」
なぜか瑠奈は目を伏せた。
「わたし、なにかいけないことを言いましたか」
「いや、違うよ」
めぐりは瑠奈がいつもと違う雰囲気に首を傾げる。
「ウチはさ」
「はい」
「奈々咲だから打ち明けるけど」
「は、はい。なんでも言ってください。もちろん他言無用です」
いずまいを正すめぐりに、瑠奈は見せたことのない恥じらいの表情を浮かべた。
「ウチはさ」
「はい」
「この顔にさ」
「はい」
「コンプレックスってやつを、持ってるんだ」
言った途端、瑠奈は頬を染めてうつむいた。
「えっ? コンプレックス、ですか」
不思議そうな表情を浮かべるめぐり。
女性のわたしから見ても、二井原さんはとても綺麗だと思う。
大きな二重の目元、すっと通った鼻、シャープな輪郭、どれもが美しいわ。
「ま、まあ、そんなことでだな。
はい、顔の話はおしまいっと」
はぐらかす瑠奈。
でも追及はしない。
どうしても他人には言いたくないことだってある。
めぐりはそのまま飲み込んだ。
「ウチのことよりもさ、奈々咲はどんな小説を書いてくれるのか、楽しみだな。
あっ、そうだ思い出したっ」
めぐりはお弁当に入っている俵型の海苔お結びを手に取ったまま、瑠奈の続きを待つ。
「奈々咲が言ってたウエブサイトな」
「はい、『小説ラウンジ』ですね」
「さっそく検索してみたんだ。いやあ、すごいな。
画面のいたるところにアニメ風のイラストが載っててさ。
これが本当に小説投稿のサイトか、なんて驚いた」
「わたしも図書館でいろいろと調べてみて、ビックリなんですよ」
瑠奈は止まっていた箸を動かし、タコさんウインナーを取り上げる。
「あの
「ええ、たしかそうだったと思います」
「えらく人気のある作家なんだな」
瑠奈は眼鏡のブリッジを、指先で持ち上げた。
つづく
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