影法師がひとつになるとき
高尾つばき
序話 「式典」
厚い
革張りのソファに腰を降ろし、扇子で口元を隠しながらとなりと談笑する人。
「お元気そうで」と顔見知りの人を見つけては笑顔を振りまく人。
片隅の狭い喫煙ルームでは紫煙の中、数人が時間をつぶしている。
スーツを着用した若い男性や女性の姿もあった。
彼ら彼女たちは接待する側なのであろう。
腰を低くしながら挨拶に余念がない。
都内にある高級ホテルの、大広間前の光景だ。
なかにはテレビや雑誌で見かけたことのある人たちもいる。
文化人と呼ばれている種族だ。
大広間の閉ざされたトビラ横にはテーブルが設置され、スーツの若い男女が受付を行っていた。
時刻はまもなく午後三時。
大広間の重厚なトビラの片方を押し開き会場内から、濃紺のブレザーに赤系のネクタイをビシッと絞めた宴会場担当マネージャーが姿を現した。
ロビーで談笑している人々に一礼する。
「大変長らくお待たせいたしました。ただいまより開場させていただきます」
再び一礼すると、丁寧な物腰で両トビラを開いていく。
ロビーで談笑していた人たちは順番に大広間の中へ入っていった。
~~♡♡~~
豪華なシャンデリアの光があふれる大広間には、金屏風を正面に向かって椅子が等間隔で並んでいた。
百名を超える老若男女が、椅子の背に貼られた氏名を確認しながら腰を降ろしていく。
列をなす椅子の後方には、立食用のテーブルがこれも等間隔で置かれており、ウエイターやウエイトレスたちが飲食の配置に忙しく動いている。
金屏風の上方には、天井から横長の看板が下げられていた。
そこには筆文字で、「第一回
矢島鈴子といえば、わが国の文学界が世界に誇る大作家である。
二年前わずか六十二歳で他界したときの臨時速報には人々が驚き、嘆き悲しんだ。
その偉大なる巨星の名を冠した文学賞が、大手の新聞社と出版社により設けられたのである。
今日はその記念すべき第一回の受賞者を讃えるパーティであった。
金屏風を背に右手には一席、左手には五席、椅子が置かれている。
「さあ、先生。栄誉ある、あのお席へ」
入口付近に立っているスーツの若い男性が、となりの若い女性に耳打ちする。
先生と呼ばれた女性は年の頃、まだ二十歳代半ばのようだ。
グレーの落ち着いた色合いのパンツスーツスタイルである。
胸元には大きな紅白のリボンバラが勲章のように付けられている。
白地には「
「ほ、本当にわたしが座ってもよいのでしょうか」
「先生」
男性は苦笑を浮かべる。
「先生。もう逃げられないから」
「やっぱり、どなたかをわたしの代理ということにしていただいて」
白坂夕子は挙動不審の様子で男性を見上げる。
ボブカットにほとんどノーメークに近い顔が恥ずかしそうに赤く染まっている。
男性は背をかがめながら、白坂夕子の顔を正面からのぞき込んだ。
「だめ」
「そんなに恐い顔で怒らないでください」
「仕方ない。では失礼」
上背のある男性は白坂夕子の両肩を優しくつかんだ。
グイッと押す。半ば強引に正面へ向かわせた。
~~♡♡~~
「えーっ、ただ今紹介にあずかりました、
この度、矢島鈴子賞の審査委員長を務めさせていただいております」
黒い羽織に袴姿の恰幅の良い初老の男性が、金屏風前に立つマイクスタンドに向かって一声上げた。
瀬道幻児は現在の大衆文学界の重鎮である。
直木賞をはじめ数々の文学賞を受賞している文豪だ。
「矢島先生の御意志を継ぎ、次世代の文学界を牽引してくれる作品、そしてその作家に贈呈するこの賞。
もちろん賞金はでかいですな。
高級外車を即金で三台は購入できるくらいでかい」
ここで会場内に笑いが起きる。
「それよりもでかいのは、今回が第一回目であるということです。
国内外を問わず今なお多くの読者を持つ矢島先生。
鬼籍に入られたときに私も一ヶ月間喪に伏し、忍び泣いておりました。
もう二度と先生の小説を拝読できぬと。
矢島先生を崇拝してやまぬ我々のために、矢島鈴子なる
われわれ選考委員は各出版社から推薦された小説を、とにかく拝読いたしました。
私など、幾分ひとさまより小さな脳みそが沸騰するくらい読みこませていただきました。
どれもが素晴らしい作品であったことは、ここで申しておきます。
ただし、ですな」
瀬道は言葉を切ると、横手の椅子にちんまりと消え入りそうな姿勢で腰かけている白坂夕子を見た。
「この白坂さんが描かれた今回の受賞作、『
このような名作と巡り会えたことを、無神論者の私でさえ神に感謝いたしました。
気づけば、もうこれ以上出ないと思われるほどの涙で顔面がぐしゃぐしゃでしたなあ。
すでにここにおられるかた、全員ご覧になっていると思いますが」
瀬道の言葉に、腰を降ろしている全員が大きく首肯していた。
中にはストーリーを思いだし、ハンカチを握りしめ再び涙腺をゆるめている人も多々見受けられる。
「私も長年、もの書きでご飯をいただいております。
恥ずかしながら高名な文学賞まで頂戴しております。
その私でさえここまでひとの心を揺さぶる小説を書いてきたのか、はなはだ疑問です。
さらに申し上げれば、同じ小説家として、なぜこのような物語を生み出せぬかと、悔しい気持ちさえいだいております。
ひたむきに人を愛することが、どれほど素晴らしいことであるのか。
そして悲しいことであるのか。
この世に与えられしわが命を懸けて、たったひとりの人を愛し続けることの尊さを今作は見事に描き切っております。
近ごろではわが国の美しい言葉がややもすると失われつつあるのではないかと、物書きを
世界にも類をみない気高く美しい言葉を操ることができるのに、ですな。
いや、けして現在の文学界の流れを否定するわけではありません。
活字離れしていく若い世代に小説を読んでもらうためには、ウケる工夫は当然必要ですから」
いったん言葉を切り、会場を見回す。
「白坂さんは大変若く、しかもとてもチャーミングなレディでいらっしゃる。
それでありながら、言葉のひとつひとつ、私たちが忘れてしまった美しき我が国の言葉を自在に操り物語を紡がれている。
このような
いや、それは古臭いという意味合いではありませんぞ。
ハッとさせられるのですな、言葉遣いに。
受賞作がまだデビュー二作目であるということに、私などは大変な危機感を持ちつつ多いに期待をいだいております。
白坂さんの小説はこれからも多くの人々に感動を呼び起こすであろうことは間違いない。
矢島先生の後継者としてわが国の文学界を担うという重責に、十二分に耐えうる作家であることを不肖瀬道が断言いたします」
平素は超辛口の発言で有名な瀬道である。
それが手放しで大絶賛する言葉に、白坂夕子は顔から火を吹き出しそうに真っ赤になりうつむいている。
そんな姿を、後方の席から心配そうに先ほどの若い男性が見やっていた。
「実はですな。
私は他の審査員が難色を示しても、私自身の作家生命を掛ける覚悟で今作を推挙しようと審査会に息巻いて出席しました。
ところがです。
私の懸念は見事に裏切られました。
審査員全員が白坂さんの作品を、第一回目の受賞作に最もふさわしいと推したのです。
満場一致で決定いたしました。
受賞作をふくめ、すでに版元では白坂作品に大重版を掛けておるようにも聞き及んでおります。
この授賞式が終わりましたなら、私はこっそりサインを頂戴しようと、白坂さんの御本をカバンに忍ばせております」
瀬道は普段は見せたこともない優しげな視線を、白坂夕子に投げかけるのであった。
つづく
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