五話 「昼食」

 校内にお昼休みのチャイムが鳴り響いた。

 高梨たかなし先生はすでにスーツの上着を脱いでネクタイを緩め、袖口をまくり上げていた。


「うん、とりあえず午前中はここまでだな。

 じゃあみんなのお待ちかねのメシタイムだ。

 はい、新室長」


 しゅうは心得たもので、すかさず「起立!」とよく通る声で号令をかけた。


「礼っ」


 周に続き、クラス全員が礼をする。


「よっしゃあ! 走るぜ」


「一年生のときには遠慮してたけど、今日からは堂々と食いにいけますな」


 桔梗が丘ききょうがおか高校には食堂と購買がある。

 生徒たちは、弁当持参以外はどちらかで昼食をとる。

 幾人かの男子生徒たちは財布を片手に小走りで教室を出ていく。

 弁当持参者は教室内でもいいし、校内であればどこで食べてもよい習わしになっていた。


孝蔵こうぞう、今日はどうする?」


「そうだな。

 学食よりも購買でなんか買って、外で食わないか」


「おっ、いいねえ。

 こんな日和には陽射しを浴びながら食べるか」


 孝蔵と周は立ち上がると教室を出て行った。


恋歌れんかさん」


 ひとりの女子がお弁当の入ったポーチを持って、恋歌の席に近づいた。


「お昼、一緒にと思って」


 すると「私も」、「私も」と数人が取り囲んでくる。


「じゃあ、グランドにでも行ってみようか」


 恋歌もポーチを手にした。


麻友子まゆこ、どうする」


「食堂へ行こうよ。

 それと他にも誰か誘ってさ」


 麻友子は一年生のときに同じクラスであった六人と教室を出て行った。


 めぐりはチャイムのあと、すぐにお手洗いに立っていた。

 友人を作るにはこのお昼休みがチャンスである。

 だが午前中はずっと我慢していたために、まずは先に用を足そうと急ぎ足でトイレへ向かったのだ。


 ようやく教室にもどって唖然とした。

 二組の教室には誰もいない。

 もどるのが少し遅すぎたようだ。

 わざわざめぐりを待っていて、お昼を誘ってくれる顔見知りはいないのだから、仕方ない。 


「もう、わたしったら、どうしてこうなんだろ」


 げんこで頭を叩きながら自分を戒めた。

 窓から校内のざわめきが頭上を通り過ぎていく。

 ふうっとため息をつき、もう一度席に腰を降ろした。

 仕方ない。

 今日はひとりで昼食をすませようとポーチを机上に置いた。


「そうだ。普段ならおかあさんに叱られてしまうけど」


 辺りをうかがうように、通学カバンから今朝読んでいた文庫本を取り出す。

 お弁当の入ったポーチと一緒に机に置くと、「うふふ」と笑った。


「ご飯を食べながら本を読むなんて行儀が悪いわよ、あなた」


 生前、父がよくかおるに注意されていたことを思い出す。


「もう少しで読み終わるんだけどなあ」


 父は許しをこうように、テーブルで薫を見上げながら読みかけの本をアピールする。

 薫は声をださずに口元だけで「だぁめ」と戒めた。


「めぐが真似をするようになったら、困ります」


 幼いめぐりは父がかわいそうになるが、正論は薫にある。


「すみません」


 父はしょんぼりと肩を落とすと、悲しそうに「叱られちゃった」と頭をかいていた。


 家で食事するときには絶対に本は読まないのだが、「今日くらいは大目に見てね、おかあさん。じゃあ、いただきます」と小さなお弁当箱を開き、文庫本も開いた。


~~♡♡~~


 校内には広いグランドが南側に、校舎を挟むように北側には野球場ある。

 校舎はH型になっており、中庭には花壇が設けられベンチも置いてあった。


「なあ孝蔵よ」


「うん?」


 周は購買で仕入れた惣菜パンを口に運びながら、ベンチの横に座る孝蔵に問う。


「おまえさん、大学はやっぱりメーダイを狙っちゃったりしてるの」


 メーダイとは旧帝国大学である、国立ナゴヤ大学をさす。

 孝蔵は紙パックのコーヒー牛乳で口内のサンドイッチを喉へ流し込んだ。


「いや、まだ決めちゃいないな」


「ふうん、そうなんだ」


「周はどうするんだ。

 前から東京がぼくを呼んでいるぜ、なんて言ってたけど」


「おっ、覚えていてくれたんだな、わが盟友よ」


 肩をパンパン叩かれ、孝蔵は思わずむせる。


「おいっ」


「やっぱりワセダかケーオーあたりを狙うかな」


「水泳の特待生でか」


 孝蔵は膝に肘を乗せ、サンドイッチの包みを丁寧に折りたたんだ。


「いや、水泳に全力投球するのは、今年いっぱいだ。

 来年からはねじり鉢巻きで、受験生色に染まる予定かな。

 スポーツ枠じゃなくて、ここで勝負するさ」


 周は指で頭をつつき、ウインクする。


「ふうん、考えてんだな」


 周は吸い込まれそうな青い空を見上げた。


「まあ、あくまでも今の段階では、だけどな。

 ところで、気づいてるか?」


「ああ」


 孝蔵は中庭から校舎を仰ぐ。

 三階のあちらこちらの教室から、女生徒たちが何人もふたりを見下ろしていた。

 口々にささやき合っているようだ。

 周はわざと両腕を伸ばし、爽やかな笑顔を浮かべて三階に顔を向けた。

 とたんに「キャッ」だとか、「目が合ったわ! 嬉しい」などと可愛い声が降ってくる。


「あれ、一年生たちだろ」


 孝蔵はまぶしげに手庇てびさしをかざし、目を細めた。


「うん、そうだな」


「相変わらずモテて結構なことだ」


「ふふん、羨ましいかね、孝蔵よ」


 周は茶目っ気たっぷりに、見下すように言う。


「俺はいいよ」


「えっ!

 ま、まさかとは思うけど孝蔵の趣味は、ぼ、ぼくのような美少年か!」


 バシッっと周の頭が音を立てた。


「怒るぜ、周」


 孝蔵はやや本気で周をはたく。


「イタタッ、すまん、冗談だ、冗談。

 そう目くじら立てなさんな。

 ぼくはきみがまともな青春を送ることができるのか、心配でたまらないんだ。

 ここを卒業するまでに、なんとか彼女をだな」


 孝蔵は立ち上がった。


「俺は好いた惚れたなんてことに時間を割きたくないんだ。

 今は勉強と弓道、これだけで充分だよ」


「はいはい、わかりましたっと、わが心の友よ。

 でもなあ、ぼくが女子だったら絶対に放っておかないけどなあ、孝蔵みたいな男子。

 頭脳明晰にして、武道の達人。

 その上、よく見れば目つきがちょっとコワいけど、イケメンくんだし」


 周の言葉の途中で歩き出す。


「腹ごなしに、散歩してくる」


 孝蔵は振り返りもせずに歩き出した。

                                  つづく

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