五話 「食欲」

 予選を通過した孝蔵こうぞうたちは、応援にきてくれたクラスメートたちの席へ集まった。


「孝蔵、さすがだな。

 決めるところは、ビシッと決めるな」


 しゅうは道着姿の、孝蔵の肩を叩く。


「ああ、ありがとう。

 今日は日曜なのに、こんなに応援にきてくれて嬉しいよ」


 孝蔵は目元に笑みを浮かべる。


三船みふねくん、今日はみんなでお弁当を作って来たのよ」


 麻友子まゆこは得意げに大きなバッグを差し出した。


「それはありがとう。

 本選まで時間あるから、ご馳走になろうかな」


「私も作ってきたけど、ゴメン。

 二人分だけしかないわ」


 恋歌れんかは整った眉を八の字にする。


「ああ、それなら大丈夫よ。

 私たちが分担して、たくさん持ってきたから」


 麻友子の言葉に、他の弓道部員たちも歓声をあげた。


「たしかプラザ内に休憩用のベンチシートが並んでいたから、みんなでそこへ行こうか」


 周は道場の外を指さした。

 桔梗が丘ききょうがおか高校の面々は、それぞれ雑談しながら移動した。


 ~~♡♡~~


 腕時計に雨の水滴が流れる。

 めぐりはもう一度まわりに顔をめぐらす。

 時刻はとうに正午を回ってしまっていた。

 携帯電話を持っていないから、麻友子に連絡を取ることはできない。

 いくらなんでも遅すぎる。

 やはり約束の時間を間違えてしまったんだと焦る。

 めぐりはその場から、スポーツプラザに向かって小走りで急いだ。


 ~~♡♡~~


 女子たちが作ってきたお弁当はかなりの量があったが、元気な高校生たちの胃にみるみる収まっていく。

 恋歌はまさか孝蔵だけに渡すわけにもいかず、結局麻友子たちの広げたシートに一緒に置いていた。


「うん、このピーマンの肉詰めは美味いな」


 周は恋歌の作ってきたおかずを、割り箸ではさみながら感心する。


「室長のお口にあってよかったわ。

 みなさんも、よければ遠慮なく」


吾平ごひら室長、私の玉子焼きも食べてほしいな」


 女子のひとりが口をとがらせる。


「もちろんいただきますよ。

 孝蔵くん、今日はあまり食欲がないみたいだね。

 もしや、本選前で緊張しちゃってるのかな」


 周の言葉に孝蔵はあいまいに首を振り、お握りをひとつだけつかんだ。


 ~~♡♡~~


 傘が急ぐ足には邪魔になってきた。

 めぐりは濡れるのも構わず、ただお握りを入れたバッグだけはなるべく濡れないようにかばいながら、傘を閉じて走る。

 スポーツプラザの大きな建物が見えてきた。

 すれ違うひとたちは降り注ぐ雨のなかを、必死に走る女子高生に驚きながらも道を空けてくれた。

 そのたびにめぐりは「すみませんっ」、「ごめんなさいっ」と頭を下げ、額から目に流れる雨に顔をしかめながら走った。


 道着姿や制服姿の男女の高校生が、玄関口に確認できる。

 めぐりは一気に玄関に飛び込むと、肩で息をしながら顔からしたたる水滴を手のひらで拭う。

 どこに弓道場があるのかわからない。

 バッグをかかえながら奥へ進んだ。

 他校の生徒が大勢来ていてにぎやかな雰囲気のなか、めぐりは足早にクラスメートたちを探して進む。


「あっ」


 広いロビーの奥に並んだベンチシートに、見知った顔ぶれをようやく見つけた。

 談笑する輪に、孝蔵の姿があった。


「おやあ、あそこにいるのは奈々咲ななさきくんじゃないか」


 周は目ざとく手庇てびさしをかざした。

 孝蔵の目がそちらを向く。

 めぐりが泣きそうな表情で走ってくる。

 麻友子は隣に座る女子と、目を合わせてイヤな笑みを浮かべた。


「ご、ごめんなさい! 遅れてしまって」


 荒い呼吸を繰り返しながら頭を下げる。


「どうしたの、奈々咲さん、傘差さなかったの?

 ずぶ濡れよ」


 恋歌がバッグからタオルを出そうとしてしてとき、「ほら」と孝蔵が持っていたタオルをめぐりに差し出した。


「あっ、いいですいいです。

 汚れちゃうから」


 めぐりは頭をふる。

 孝蔵は立ち上がると、無言でそのタオルをめぐりの頭からかぶせた。


「俺が使ったもので悪いけど、風邪引くぞ」


 仏頂面のまま言った。


「奈々咲さん、待ち合わせ時間を間違えたんでしょ」


 麻友子は冷めた声をめぐりにぶつける。


九堂くどうさん、すみません。

 わたし、待ち合わせ時間が十一時って聞いてたものだから」


「ええっ、私はそんなこと言ってないわよ。

 あなたが間違えたんでしょ、失礼しちゃうわ。

 それに確認するならスマホに連絡って、そうか、携帯電話は持っていなかったっけ」


 一斉に笑いが起きた。


「ごめんなさい、わたしの聞き違えでした」


「勉強熱心なのもいいけどさ。

 ちゃんと聞いてほしいわ、まったく。

 ところで、その濡れたバッグはなによ」


 麻友子は指さした。


「あっ、これはわたしが担当したお握りを」


「もうみんな昼食はすましたわ。

 それに、そんな濡れたお握りで食中毒になったらどうするのよ。

 デリカシーの欠片もないひとね」


 めぐりはバッグをギュッと抱く。


「なるべく濡れないようにしてきましたから。

 それにラップして、ビニール袋に入れてきたから」


 ポツリポツリと言葉にしながら下を向いた。


 おかあさんが朝早くから、一緒に作ってくれたお握り。

 でも間に合わなかった。

 おかあさん、ごめんなさい。


「俺、もらってもいいかな」


 孝蔵はそう言うと、手を差し出した。


「えっ、でも」


「まだ食い足りないんだ。

 よかったら、くれないか」


 麻友子は細い目を広げて「三船くん、やめておいたほうがいいよ」と注意する。

 それには答えない孝蔵。


「は、はい。

 もし腐っていたり、まずかったら捨てていてだいても構いませんから」


 めぐりはそっとバッグを開いた。

 麻友子の隣りの女子がそっと耳打ちする。


「あの布切れのバッグって、前に図書館でぶら下げていたアレね」


 孝蔵はビニール袋からひとつ取り出すと、一口食べた瞬間ピタリと止まる。


「ほらあ、やっぱり腐ってるのよ。

 困るわねえ」


 麻友子の言葉の直後。


「う、美味い!」


 孝蔵は一気に平らげると「もう一個いいかな」と手に持つ。


「あっ、はい。

 どうぞ」


 二つ目もあっという間に食べきる。


「孝蔵だけ、いいな。

 じゃあ、ぼくもご相伴しょうばんにあずかろうっと」


 周もラップをはがして口にする。


「うん、これはちょうどいい塩梅だな。

 しかもこの具が、いいアクセントになってるよ」


「三船くんと室長のおすみつきなら間違いないわ。

 奈々咲さん、私にもいただけるかな」


 恋歌が手を伸ばした。

 すると他の弓道部員たちも、次々とバッグからお握りを取っていく。


「おっ、この肉みそ? すっげえ美味い」


「こっちの大葉とツナもいけるぞ」


 孝蔵はさらにもうひとつ取り出して、聴いた。


「これは、奈々咲が作ったのか」


「あっ、はい。

 おかあ、いえ、母にも手伝ってもらいましたけど」


「そうか」


 めぐりはホッと安堵した。


 予選には間に合わなかったけど、孝蔵くんが食べてくれました。

 それに他のみなさんも、美味しいって言ってくれました。

 

 麻友子たちだけは、まるで汚いものを見るような視線を向けるだけだった。

                                  つづく

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