三話 「書物」

 その週の土曜日、めぐりは自転車で図書館へ向かっていた。

 いつもより風が強い。

 ピンクのトレーナーにジーンズ姿だと、まだ中学生でも通りそうなかわいらしさがある。

 前髪をなびかせてペダルを漕ぐ。

 団地街から自転車で十分も走れば、市営の図書館がある。

 道路に沿って満開であったソメイヨシノも花びらがかなり散っており、今日の風で綺麗にさっぱりとするかもしれない。


 ~~♡♡~~


 始業式の翌日。

 あの三人組の女子がどう言ったのかはわからないが、まともに朝の挨拶さえ交わしてくれない教室。


 それでもめぐりは「おはようございます」と会釈しながら自席へ向かう。

 室長のしゅうは、「奈々咲ななさきくん、おはよう!」と返してくれた。

 そして恋歌れんかも「あら、おはよう」と笑顔で返してくれた。


 本鈴ぎりぎりに教室へ飛び込んできた孝蔵こうぞうが席へついたとき、めぐりは顔を合わせないように小さな声で「おはようございます」と頭を下げた。

 孝蔵は黒板を見ながら、「うすっ」と言ってくれた。

 それだけでめぐりは嬉しくなった。

 もちろんこの日も自転車置き場から孝蔵が弓を射る姿を、まぶたに焼き付けるように応援してはいたのだが。


 昼の時間は昨日と同じ、誰も誘ってくれることはなかった。

 めぐりは誰か一緒にお弁当を食べてくれるクラスメートはいないかなと教室内を見渡すが、誰もこちらを見てくれることはなかった。


 それでも落ち込むことはせず、それならば昨日のように読書しながらお弁当を食べようかなと思う。

 ながら弁当に背徳心を抱くものの、ほんの少しだけ胸を高鳴らせるのであった。


 全開の窓から、にぎやかな声が春の陽気とともに流れてくる。

 寂しくないといえば嘘だけど、自分にはこの立ち位置が合っているのだからと納得する。

 少なくとも、周、恋歌、そして孝蔵の三人だけはめぐりを無視することはない。


 それでいいのだ。

 むしろ一年生のときよりも、挨拶できる級友が増えたのだから。

 孝蔵は寡黙な男子である。

 周とは気が合うみたいだけど、それ以外のクラスメートと談笑している姿を昨日も今日も見かけなかった。

 他のクラスメートも、孝蔵の持つ近寄りがたい雰囲気に遠慮しているようなのだ。


「昔のおさむらいさんってイメージ。

 やっぱり格好いいなあ」


 めぐりはニンジンとアスパラをベーコンで巻いたおかずを、箸でつまんでつぶやく。

 教室内はめぐりしかいないのだから、独り言を口にしても気兼ねない。


「道着が似合うのは、なんか日本男子って感じで素敵よね」


 頬を緩め、孝蔵の射場しゃばに立つ姿を思い出すのであった。


 ~~♡♡~~


 今日はブラブラと書棚を物色するだけではなく、目的の書籍があった。

 麻友子まゆこの取り巻きたちが教室内の男子も含めて勧誘しているのを、めぐりは耳にしていた。

 その言葉の切れ端を拾い集め、ノートにメモしていたのだ。

 それらを図書館で調べようと思っている。


九堂くどうさんが小説を書いているなんて、驚いちゃったな。

 ウエブサイトで小説を発表してるって話だけど。

 いまの世の中って本当にすごい。

 電子書籍のたぐいなのかなあ」


 国道に沿う舗道。

 道行く人を避けながらゆっくりとペダルを漕ぐ。

 図書館は広い敷地に公園と隣接する二階建ての洒落たコンクリート建てだ。

 すでに駐輪場には多くの自転車が停められていた。


 かおるが古いシャツやジーンズを切り張りして作ってくれた、図書館専用の肩掛けバックを自転車の前かごから引っ張り出す。

 このバッグはめぐりが中学校へ入学したときに、薫がプレゼントしてくれたものだ。


「もっと素敵なブランドのバッグをあげたかったんだけど」


「ううん。

 わたしは既製品よりも、おかあさんが心をこめて縫ってくれたこのバッグのほうが嬉しいな。

 だって、世界のどこにもない、わたしだけの特別なバッグなんだもん」


 めぐりは本当に嬉しそうに満面笑みを浮かべて受け取った。

 特別性のバッグは大切に使っていた。

 ほつれがあると、めぐりが気づく前に薫がこっそりと縫い直したり、かわいい端切れがあるとアップリケのように縫い付けたりしてくれている。


 自転車置き場の横には花壇があり、木漏れ日を浴びたチューリップにペニチュアのカラフルな色彩が心をときめかせてくれる。


 週末の図書館はにぎやかだ。

 幼子を連れた父親や母親、本好きな小学生、館内の勉強ルームで勉強する中学生、朝刊や雑誌を手にソファでくつろぐお年寄り。

 もちろん館内で大声をだす不埒ふらちな人はいないけど、独特の活気に包まれていた。

 めぐりはどこの棚にどんな書物が収まっているのかは熟知している。


「ええっと、たしかこっちにあったはず」


 本棚の前で立ち止まってページをめくる人にぶつからないよう、また、じっと背表紙を眺めて本を物色している人の邪魔にならないように配慮しながら進んでいく。

 漫画の単行本がずらりと並んだ奥の棚。

 めぐりは漫画を読まない。

 だからここのエリアに来ることはまずなかった。


「どこだったかなあ。

 あっ、正解!」


 めぐりは拳を小さくにぎった。

 漫画コーナーの横の棚に、ライトノベルと呼ばれる小説を集めた一角があった。

 このライトノベルとは十代から二十代の若い世代に受け入れられており、比較的読みやすい小説をそう呼んでいる。

 イラストがアニメ調なのも特徴で、人気の絵師が描いたイラスト目当てで購入する読者もいるのだ。

 もちろん、めぐりは漫画同様に、ラノベと呼ばれる新文芸は読んだ経験はなかった。


「ふわあっ、すごいんだ」


 試しに手にした文庫本の表紙に、めぐりの大きな瞳が驚きの色に変わる。

 かわいいセーラー服の女の子に妖しげな生物、騎士の鎧を着た男子、バックには地獄の鬼が描かれていた。


 パラパラっとページをめくると、一定の割合でイラストが挿入されているのにも驚いた。

 丁寧にその本をもどすと、バッグを両手でかかえて棚の上から下までゆっくりと顔を動かしていく。

 作家の名前はまったく知らないけれど、かなり多くの書き手の名前が背表紙に見える。


 横歩きで順番に眺めていくと、「あった」めぐりは思わず声を上げる。

 そこには雑誌が表紙を向けて並べられており、アニメ関係の本の間にお目当ての雑誌があることを発見したのだ。


 ファッションからアンダーグラウンドまで、あらゆる分野の特集を別冊として編集し、雑誌の体裁で発行している老舗の出版社がある。

 めぐりはなんどかこの別冊を書棚で見つけては、読み漁った時期があったのだ。


 世の中で話題になったり、いったい誰が興味あるのと首をひねるようなコアな情報を写真やイラスト、文章で紹介している号もあったりする。

 だから今回も求める情報が、雑誌として発刊されているのではとめぐりは推測し、当たりをみつけたのであった。

                                  つづく

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