第四章

一話 「順位」

 中間考査から一週間。

 このところ梅雨入り前にせめてもの贈り物とばかりに、太陽が微笑みを大地に降り注いでくれている。


 めぐりは進路のことをかおるに話せないままであった。

 切りだすタイミングが難しい。

 試験中はお休みであったクラブ活動が再開され、朝練する孝蔵こうぞうの姿をまぶたの裏に焼き付けるように、自転車置き場でめぐりは心の中でエールを送る。

 教室に入ってしまえば、もっと距離は近づくのだけれど、けっして悟られてはいけない。


 だからこの一瞬だけ、ふたりだけの空間を切り取ることを許してください。


 めぐりは凜とした立ち姿の孝蔵に、許しをこうた。


 この日は桔梗が丘ききょうがおか高校恒例の、中間考査順位発表がある。

 校舎の一階、職員室の壁に各学年の上位に十五名の氏名が書かれた模造紙が貼りだされるのだ。


 二年生と三年生は、文系理系クラスのそれぞれ上位十五名の名が発表される。

 進学校であるから、生徒を鼓舞こぶする意味合いがあるのだろう。

 発表はお昼休み。

 そのため生徒たちはいつもよりも早めに昼食を切り上げて、職員室前に足を運ぶ。

 なかには、はなっから諦めており、確認すらしない生徒もいる。

 めぐりは瑠奈るなに誘われて、また音楽教室で昼食タイムを楽しんでいた。


二井原にいはらさん」


「うん?

 まだ発表には時間があるぞ」


「いえ、そうではなくて。

 そのう」


「なんだなんだ、言ってみなよ」


 めぐりは申し訳なさそうに下を向く。


「こうしてわたしを誘ってくれるのは、すごく嬉しいんだけど」


「おや、迷惑だってかな」


「いえっ、そんなことありません。

 わたしは二井原さんとこうしておしゃべりしながらお弁当をいただく時間が、すごく楽しいの」


「うん、ウチも楽しいよ」


「だけど、本当はご迷惑かけて」


「おいおい」


 瑠奈はめぐりの言葉を遮った。


「いつウチが迷惑だなんて言った?

 なんども言うけどさ、奈々咲ななさき

 ウチは本当に奈々咲とお弁当を食べたくて誘ってるんだぞ。

 かあっ、いまだにウチのことを信頼してくれていないとは」


「ああっ、いえ、信頼していないのじゃなくて。

 本当に、わたしなんかと時間を過ごして楽しい?」


 瑠奈の眼鏡の奥、やや薄い茶色の瞳が潤んでいる。


「奈々咲、進む道は違えどウチはずっと友だちでいたい。

 どんなことでも話し合える友だちでいたい」


「二井原さん」


 めぐりは言葉が続かなかった。

 十六歳の今まで、「友だちでいたい」なんて言葉は一回も、誰からも聞いたことがなかったから。


「本当にわたしなんかと友だちでいてくれるの」


「うん、ウチは奈々咲とずっと友だちだ」


 めぐりの心を覆っていた鈍色にびいろの雲に、まっすぐなまばゆい一筋の光が差し込んできた。


「本だけじゃなくて、ウチは奈々咲から色々と教えてもらいたい」


「わたしも二井原さんから学びたいです」


「わかったよ。

 じゃあ、まず五線譜の書きかたから教えよう」


「えっ。

 い、いえ、わたしは音楽の才能なんてこれっぽちもないから」


「あはは、冗談だ。

 でもな、音楽っていいもんだぞ。

 ポップスにクラシック、それにジャズやブルース。

 そうだ。

 実は、ロックも大好きなんだ」


 瑠奈の熱く語る話に思いをはせる。


「奈々咲は、スマホもパソコンも持っていなかったよな」


「う、うん」


「CDプレーヤーはあるかな」


「それなら自宅にあります。

 母がたまに、昔の歌謡曲を聴いてるから」


「オッケイ。

 ウチは奈々咲から書物を紹介してもらう代わりに、適当に見繕ってCDを持ってくるから」


「お願いします」


 ほとんど縁のなかった音楽の世界だけど、吹奏楽部長の瑠奈ならとても素敵な音楽を提供してくれることだろう。

 めぐりは楽しみが増えることに喜びを感じた。


「おっと、もう時間だな。

 そろそろ中間考査の順位発表だぜ。

 一緒に行こうか」


「はい」


 ふたりはお弁当箱をしまうと、音楽教室をあとにした。

 職員室前は、まるで通勤時間帯のホームのような混雑さであった。


「おっ、名前があったぞ!」


「ざ、残念だわ」


「へえ、あいつ、密かに勉強してたんだ」


 などと声が上がっている。

 めぐりは瑠奈に引っ張られるように集団の中へ入っていった。


 名前があったらお母さんに喜んでもらえるかな。

 でも恥ずかしいから、できれば載ってないほうがいいかも。

 それよりも気になっているのは、孝蔵くんの順位。

 古文のときには、会心の笑みを浮かべていたもの。


「ほほう、これだけひとがいると、ウチなんか背が低いから見えないぜ」


 爪先立ちで瑠奈は手庇てびさしをかざしている。


「うん?」


 二年生の文系クラスと理系クラスの上位十五名の氏名を確認する。


「おいっ、奈々咲!」


「は、はいっ」


 めぐりも背伸びしながら模造紙を見ようとするのだが、前に立つ大柄な男子に隠れて確認できない。


「やったな、奈々咲。

 文系組でなんと、五番じゃんかっ」


「ええっ」


 ようやく前が空き、周囲に遠慮しながら一歩前進した。

 あった。

 瑠奈の言った通り、「奈々咲めぐり 五位」と番付されている。


「わたしが、五位」


 それよりも。

 あった!

「三船孝蔵 一位」と堂々トップにあるではないか。

 凄いと思った。

 朝から弓道場で汗を流しながら、夕方もしっかりと部活に精力を傾けていながら文系クラスで一番の成績を収めているのだ。

 文武両道を地でいっている。

 二位には隣りのクラスの生徒の名があり、三位はしゅうである。

 それに四位には恋歌れんかの名が挙がっていた。


 室長は水泳部でも活躍し、もちろんクラスをべる大変な役目を負いながらも堂々の三位。

 志条坂しじょうざかさんだって代議員の要職を務めながら四位。

 みんな、凄いなあ。


 感心仕切りのめぐりである。

 

 わたしなんて勉強する時間は、他のみなさんよりもたっぷりあるのだから五位は当たり前かもしれない。

 それでも嬉しい。

 お母さんも喜んでくれるかな。


「おい、奈々咲。

 文系もいいけどな、理系も見て欲しいもんだぜ」


「ああ、ごめんなさい」


 めぐりはあわてて頭を下げたあと、キッと模造紙をにらんだ。


「二井原さん、い、一位よ!」


 指さすめぐりに、へへーんと胸を張る瑠奈。


「ねじり鉢巻きで頑張ったからな。

 まあ、勝因は数学だな。

 ウチのもっとも得意科目だからさ」


「凄いなあ、二井原さん。

 吹奏楽部で部長をしながらですもの。

 それに勉強に関係のない本だっていっぱい読んでいるのに」


「つまりはさ、要領がいいってことさ。

 でも、やっぱり嬉しいもんだ、うん。

 奈々咲の五位だってウチはエライと思うよ」


 ふたりは手を握り合った。


「ちょっと、いつまで前を占領してんのよ。

 見終ったんならさっさと代わってよ」


 いきなり背後から険のある声が届く。


「あっ、ごめんなさい」


 めぐりは頭を下げると、瑠奈の手を引いて列から離脱する。

 声の主は、麻友子まゆこであった。

 あと数名、二組のつるんでいる女子たちも一緒ににらんでいる。


「同じクラスには、なじもうとしないのに」


「私らとは合わないのよ」


 あからさまな侮蔑ぶべつの言葉に、「ちょっと」と応戦しようとする瑠奈の腕を引っ張る。


「わたしなら平気だから」


 めぐりは小声でつぶやいた。


「でもあんな言われ方される筋合いじゃ」


「いいんです、二井原さん」


 めぐりは瑠奈の手を引いたまま職員室の前から遠ざかる。


「ええっと、なんて名前だったけ、あの女子」


「ほら、あそこの五位よ」


 麻友子は細い目で模造紙を指す。


「へえっ、いわゆるガリ勉ってやつか」


「スマホもパソコンも勉強の邪魔になりますから、ってことね」


「それよりも、今回はどうだったかな」


 二組の女子たちは順位表を見上げる。


「あちゃあ、残念ながら名前がないわ」


「私も」


「おっ、さすがは麻友子。しっかり上位に食い込んでるわ」


「小説を書きながらも勉強も手を抜かない。さすがだわ」


 取り巻き連中の称賛を聞きながらも、麻友子は唇を噛む。

 文系クラスの十一番目。一年時には常にトップテンに名前があったのに。

 十番以内からはずれてしまったことに、プライドが許さなかった。


 あの奈々咲って子がいなければ上位十番以内に入っていたのに。

 あんな子に追い出されてしまった。

 いまだにクラスでは無口ですましているのに、よりによって理系クラスのトップと親しげにしているなんて。


 麻友子は職員室前から仲良さそうに手をつないで去って行くめぐりをじっとにらみつけていた。

 つづく

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